103 話 消えていく未来
凄惨な作戦を用いてではあったものの、彼らはやっと人類の統一政府という目的を達し、新しいインフラも軌道に乗ろうとしていた頃。
社会に活気が戻ろうとしている時になって、民衆が気が付かないところからまた人類の行く先に暗い影が落ちようとしていた。
その異変に最初に気がついたのは、予知能力を持っているオリバーだった。
「表面上は問題など何も無いはずのその状況で、オリバーの見ている未来がだんだん曇っていったのよ」
そうヒルダが言った。
オリバーの言によると、未来とは固定化したものではないらしい。
一人一人の選択の積み重ねから、時々刻々と景色が変わるように様相が変わり、明るく開けていったり暗く閉塞していったりするらしいのだ。
オリバーは予知能力によってその兆しを感じ取ることができるのだが、それも万能と言うわけではなく、どうしてそうなってしまうのかは自分で探し出さなければならない。
オリバーからその懸念を聞いた彼ら7人は、当然のことながらその社会の流れが悪くなっていく原因を特定しようとした。
しかし、新しく動き始めたアースユニオン政府と都市群は、表面上は上手く行っているように見えているのだ。
その中に未来にやってくる隠れた問題点を見つけ出すことは難しい……。
結局、原因がわからなかったことで事前に手を打つくことはできず、結局事態は悪化の一途をたどることになったのである。
その話を聞きながら翔哉は「脳が退化した話みたいだな」と感じていた。
「僕が見た未来のビジョンは、新しくできた先進的な社会の中に次第に暗部が生まれ、その暗い部分がどんどん大きくなっていくようなイメージだった……」
そうオリバーが述懐する。
「だが、僕達はなぜそういった方向へ世界が進んでしまうのか。そこで答えを見つけることがどうしてもできなかったんだ。物事を考えるための大事なピースが欠けている感じだった」
アースユニオンが始まった当初、大きな責任を果たした彼ら7人は先行きをかなり楽観視していた。
自分達には予知透視能力者オリバーがいる。
彼が未来をチェックしてくれることで、今後はある程度とは言え未来を知ることができるのだ。
それなら物事で後手を踏むことはない。
大抵の悪い事態は避けられるはずだ──と。
当初彼らはそう考えていたのだが、現実にはそういう訳にはいかなかったのである。
この世界は実際にはたくさんの人間の因果律が歯車のようにガッチリ噛み合って動いており、世界の方向がある程度決まってしまってからそれの流れを大きく変えるのは難しい──。
そんな教訓を彼らはすぐさま学ばなければならなかった。
まるでブラックホールのシュバルツシルト半径の中に囚われてしまうが如く、先に手を打とうとしても最初はなかなか上手く彼らの思い通りに物事は回ってくれなかったのだ。
──そうこうして手をこまねいているうちに。
オリバーの予知はより具体的に形となって世の中に現れていく。
まずは突然──レゾナンス症状という未知の疾患が急増してあちこちで人間が暴れ出した。
慌ててゲヒルンに調査させたところ、松果体に損傷を受けた人間たちがある低周波に反応することで、周りの悪意に憑依されたような状態になることが原因だと解ってきた。
「だがこの研究結果は非常に興味深かったよ。肉体が入れ物だとしたら精神は何処に宿っているのか。それは僕達の知りたいテーマでもあったからね」
憑依とは人間の松果体に意識という波動が共鳴することで、他の人格として主人格が乗っ取られる現象なのではないのか?
この考え方を使えば、彼ら委員会の7人がどうしてこういう状態になったのかを紐解く糸口になりそうではあったのだ。
しかし、その研究もレゾナンス症状の治療という観点では、それ以上の進展は難しいようだった。
結局、社会全体の問題を解決するには至らなかったのである。
それと平行して更に厄介な問題も噴出することになる。
新しいテクノロジーによって、豊かで便利になったはずの大衆の知能が低下し、多くの人間の脳が収縮を始めたというのだ。
こちらは、より深刻な問題だった。
治療方法の目処が立たないというのもさることながら、やっと軌道に乗り始めた新しい社会インフラの存続を揺るがす危険もあったからである。
更に悪いことに、どうやらこれは性急に“ここに無いはずの”テクノロジーを取り入れた弊害らしく、オリバーに見える未来を覗いても解決策はどこにも見当たらなかったのだ。
「こうなってくると、未来を知っていてもどうにもならなかった。予知は万能じゃない。結果だけを薄っすらと表面上見ることができるだけなんだと。それを改めて痛感することになってしまったよ……」
オリバーはため息を着いた。
彼はそれからも予知の精度をあげるために、様々な“修行”めいたこともしたらしいのだが……。
「確かにその修業によって、少しは今までよりはっきりとした未来が見えるようにはなったさ。しかしそれもやはり結果と答えだけだ。問題の解答だけを盗み見ていることに変わりはなかったんだ」
テクノロジーという“結果”は確かに盗み見て持って来ることができた。
しかし、そのテクノロジーを得るためにどんな“プロセス”があったのか、それは置き去りにされてしまったというわけなのである。
しかしそんな“プロセス”などというものに、物事を実現するという結果以外に一体何の意味があると言うのか。
「結果」を、そして「答え」を知れば、それで充分ではないのか。
彼らも、その辺りがどうしてもわからずに、当時かなり悩んだらしい。
◆◇◆◇◆
結局のところ……。
社会に起こっているそういったその負のスパイラルを、彼らは未来を知っていてもどうしても止めることができなかったのである。
その結果、大衆に行き渡っていたナビゲーターAIを没収せざるを得なくなり、それを発端としてあちこちで暴動が起きたことよって──。
実現間近にまで進んで来ていた最初のガイノイド計画を、中止しなければならなくなってしまったのだ。
そしてその決定を下した途端。
更なる異変が起こったのだ。
「オリバーの見ていたこの世界の未来が急に見えなくなったのよ」
ヒルダがそう言った。
「未来を見ようとした場合、決して一本道に見えるわけじゃないんだ。このままの流れで何も変わらない場合の未来が一本広く見え、そこから小さく枝分かれしていくんだが……」
オリバーが説明してくれる。
そのように見えていた主流と傍流の未来が、最初は少しずつだんだん不明瞭でわかりにくくなっていったらしい。
「最初は、自分のコンディションの問題かと思った。しかし僕がこの世界の悪いニュースを認識する度ごとに、見えている未来がどんどん黒く濁っていき──」
オリバーはため息をついた。
「それは委員会がガイノイド計画を中止する決断を下した瞬間だった。2045年以降の未来が突然真っ暗になって、完全に閉ざされてしまったんだよ」
その言葉に真っ先に反応したのは白瀬だった。
「2045年? シンギュラリティーポイントですか」
それに隆二や舞花が絡んでくる。
「シンギュラリティーポイントって、AIが人間の知能を追い越すって言われている年でしたっけ」
「違うでしょ? 個々の人間の知性なんてもう超えてるわよ。人類全体の集合知をAIが超えるって言うんじゃないの?」
その二人に対して恵が訂正を入れた。
「そうやって、日本ではよくAI技術の進化と一緒に語られることが多いんだけどね。実はシンギュラリティーポイントというのは “技術的特異点” のことなのよ」
シンギュラリティーというのは元々“特異点”という意味の英語である。
ブラックホールの中にあるとされる重力が無限大に達する点などがそう呼ばれ、実は数学や物理学の分野では度々お目にかかる用語なのだ。
「大昔から人間の技術は、まずは自分の物質的な肉体の力を代替し、そしてそれを拡張する形で発展してきたのね。そしてそれが次第に自分の頭脳、知性を代替して拡張する方向へと向かっていく」
恵はホワイトボードを使いながら説明する。
「そうすると、必然的に全体的なテクノロジーの進化は、どんどん加速されていくことになるの」
それを聞いて、隆二が不可解という顔になった。
「どんどん加速されて? それだととんでもないことになっちゃいません? そのうち振り切れちゃうんじゃ?」
「そうよね。人工的な知性が実用性の高いところまで行きつくと、そこからはまた技術の進化そのものをその人工の知性自体が後押しする格好になるから、どんどん加速度が増していくの……すると──」
恵はホワイトボードにグーッと上へと角度をつけて、最後には垂直に近くなってしまうような曲線を描いていく。
「……最終的には行き着くところまで行ってしまう。そう言われているわ」
◆◇◆◇◆
それが技術的特異点。
通称シンギュラリティーポイント。
それがつまり2045年なのである。
地球暦で換算すると30年。
地球暦30年……今から6年後ということになる。
そこまでの話を、翔哉もエルに通訳してもらいながら聞いていた。
今はヤオ以外の委員会カウンシルの7人と開発課のメンバー達は、基本英語同士で会話を行っており、そのため翔哉の横にいるエルが彼に対しては英語から日本語へと通訳をしてくれていたのだ。
そのお陰で、翔哉も何とか話の流れについていくことができていた。
「行き着くところまで行ってしまうって……いったいその時に何が起こるんですか?」
そこでその翔哉がそう聞いた。
抽象的な話が続いている上にそれも全部英語。
わかりにくいことこの上なかったが──。
シンギュラリティーポイントからの未来が真っ暗になったことと言い、行き着くところまで行くという話の流れと言い、正直聞いていて嫌な予感しか無かったのだ。
まるで白瀬から聞いた脳が退化する話のように思えてしまう。
それをはっきりさせてしまいたかった。
しかし、恵はそれに対してはっきりと答えることができない。
「そうね。観念的と思われるかもしれないけど、まだその辺は憶測の域を出ないというか。具体的な仮説は無かったんじゃないかしら……」
困った風である。
しかし、それを聞いていたオリバーが横から話を引き継いだ。
「確かに、一般に知られている範疇においては具体的な仮説は何もない。だがここまで状況証拠が揃ってしまった以上、その時の私達も認めるしかなかったのだよ。悪い予感として心の中でくすぶっていたある“仮説”をね」
オリバーの顔が予言者のような不気味さを帯びる。
「その仮説……とは、まさか……」
場が嫌な予感に凍りつきそうになる中、白瀬がその空気を断ち切るように話を前に進めた。
そしてヒルダがそれに短く答える。
「そう。“淘汰”よ──」