プロローグ
華の金曜日。
皆さんは、どうお過ごしでしょうか。
友達とお酒を飲むもよし。好きな映画を観るもよし。
明日は土曜日、休みなのだ。自分のしたいことを思う存分すればいい。
仕事のことなんて忘れて楽しむべきなのだ。
もちろん、最終電車に間に合うよう駅の階段を駆け上がっている人がいてもよいのである。
「いいわけあるかぁぁぁあああ!!!」
腕時計を確認する。11時59分34秒。
過去の記憶から考えて、このタイムはなかなかのギリ。
本当であれば、19時半には退社して今日アップデートされたネトゲのイベントに没頭している頃合いだった。課長の野郎が今日中に得意先に提出しなければならない書類を手付かずの状態で横流ししてこなければ、こんな時間まで仕事をしなくてよかったのに。
静まり返った駅のホームに駅員の最終電車が発車するという無機質な掛け声が響く。
俺は階段を登り切り、最後の直線を残すのみとなっていた。
必死に声をあげ、体育の時間にパスを欲しがる中学生のように駅員に自分の存在をアピールする。駅員とはもうすっかり顔馴染みで実質間に合っていなかったものを何度助けてもらったことか。
今回も駅員と目が合い「この試合もらったな。」と安堵した瞬間――。
右足の靴が突然脱げた。
脱げるような素振りを見せなかった右靴がここでまさかの裏切り。
それを見て無言でうなずいた駅員は、俺を見捨てる覚悟をしたのか運転席へと向かった。
電車を諦めて靴を取りに行き、近場のネットカフェで惨めに一夜を過ごすか。
片方の靴を見捨てて電車に乗り込み、自宅での楽しい週末を過ごすか。
そんなの決まっている!
俺は、子を崖から突き落とす親ライオンのような気持ちで転がった右足の靴に別れを告げ、閉まる扉に間一髪のところで飛び乗った。
俺は、乱れた呼吸を治しながら、座れる席を探した。傍から見れば、それは少し変態に見えてえたかもしれないが、今はそんなことを気にしている余裕はない。
金曜日の最終電車は意外と混んでいる。
やっとの思いで空いている席を見つけそこにどかっと座った。
右には、ヘッドホンをしながらドラクエをしている大学生。その敵には、炎の呪文が効くぞ。左には、仕事に疲れた30代くらいのくたくたサラリーマン。同士よお疲れ様です。
座った後だが、なぜこの席が空席だったのかがわかった。右側からは、自分がプレイしているのではなかろうかと疑ってしまうような音量がヘッドホンから音漏れし、左側からは、今にも頭突きされるのではなかろうかと思わんばかりにこっくりこっくりとサラリーマンが首を振っているのだ。
仕事に疲れていた俺は、自分が下りる駅の1個前までは仕方なしと我慢していた。しかし事態は一転する。隣のサラリーマンがヘドバンに疲れたのかすっかり俺の肩を枕にして寝静まってしまったのだ。しかもそれだけに収まらず、お口からは光り輝く粘り気をもった液体を分泌していた。
「おいおい勘弁してくれよ……。おじさん起きてく――!!」
俺は、言葉を途中で切り、おじさんの肩に微妙な振動を与えていた手を完全に静止させた。
まずい……!!このままでは……垂れる!!
身体が密着しているからこそ生まれる骨伝導的な何かでよだれがやばい。
おそらく全力でおじさんを押しのけて立ち上がったとしてもこのギネス級に伸びたよだれは俺を逃してはくれないだろう。この困難を逃れる為には、俺がおじさんを押す方向と同じベクトルにもう1つの力が必要だ。
そう、おじさんの自力である。
おじさんが飛び起きる力+俺の全力おっさんプッシュがないことにはこの盤面を打開することはできない。
そんな文系俺が、難しくベクトルとか言っちゃってる間にも電車は目的駅に到着し扉が開いた。
降り損なうわけにはいかない。ここは奥の手を使うしかない。俺は覚悟を決めておじさんとは逆方向にいる大学生の携帯ゲーム機に手をかけた。
「過剰存在証明!!!」
全力でイヤホンジャックからイヤホンを引き抜き、車内には大学生君が見事にレベルアップしたであろう音が大音量で流れる。おじさんがその音のでかさに驚き体を起こした。
「今だ!!!」
俺は驚いて体を起こしたおじさんのよだれが落ちる前に全力でおじさんの身体を押しのけ立ち上がり、扉が閉まると同時に目的駅に飛び降りた。
扉のガラス窓からは、席から転げ落ちてしまっているおじさんとよだれが垂れて染みになった椅子が悲しげにこちらを見ていた気がした。
「ひどい目にあった……。」
帰り慣れた人通りの少ない高架下を歩きながら、自分の人生を振り返る。
思えば生まれてこの方25年、良い人生だったかと聞かれればドヤ顔でYESと言い切ることはできない。しかしこれといって不幸だと感じたこともない。(今の状況を除けば)
いうなれば平々凡々な人生を歩んできたということだ。夢を持って上京し、気付けば3年。社会の歯車に成り下がってしまっている。朝起きて会社に行って仕事し、くたくたになって帰宅し寝る。以下ループ。
小さな頃は、伝説の勇者になって世界を救う なんてかわいい夢を見ていた。しかし今は、宝くじの高額当選を心から願っている。
そんなことを片足靴下状態で考えながら歩いていると自宅である しまなみ荘 の前に到着した。築30年のアパートである。俺は1階の102号室に住んでいる。
「ただいまー。」
誰もいないが挨拶はする。寂しさを紛らわす1つのエッセンスである。
玄関にカバンを置いて冷蔵庫の中の缶ビールに手を伸ばす。
「ぷはぁぁぁぁぁ。この為に生きている!」
子供の頃は、その台詞を聞いて酒の為に命を燃やしているのか!?と不思議に思ったものである。
ふと気づくと部屋に電気がついていることに気が付いた。
「あれ?朝電気消し忘れたかな?」
キッチンから缶ビールを片手にワンルームの俺の城へと移る。
そこには、スーツ姿の元気でかわいらしい女の子が立っていた。
「おかえりなさいませ。勇者候補の卜部様。」
続く。
初投稿です。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
続きもぜひ読んでくださいね!!