第一話 桜散る契約
頼穂と夢奏に導かれて部屋に戻ってきた桜子はしばらくの間
窓の外をじっと眺めて考えに耽っていた。
と、いうよりも頭の中を整理しようと必死に考えをめぐらせていたのかもしれない。
身じろぎ一つせず、まばたきもせずに佇んでいた。
学校での勉強、人付き合いや仕事が上手くいかなくて落ち込んだとき、
弱音を吐きそうになったときにはいつも考えていたことがある。
人間は死んだ後、どこへ行くのだろう。
死後にも世界があるのならそこへ行ってみたい。行って死んだ母に甘えたい。
何も考えずに、子供だった日のように、母に縋りつきたい。
有り得ない、そんな夢みたいなことを考えて桜子は辛いひとときをやり過ごした。
でもその夢のような話は現実に存在していた。
桜子のいなくなったこの世界こそが死後の世界であり、桜子は今そこにいる。
考えていた世界とはかけ離れているがそれが真実だと気付き、いつの間にか顔が笑っていた。
「やっておかなければならないことがあるの。」
桜子の足元で膝を抱えて座っていた頼穂が顔を上げた。
桜子はまず電話をかけた。
自分が働いていた警察署に繋がるはずの番号。
電話に出たのはどうやら自分のことを知らない人のようだったので桜子はホッとした。
「先日、海沿いで銃声を聞いたんですけど、そこから逃げていく人を見たんです。」
逃げていった男の人相(桜子を撃った男だ)と、住んでいる場所の話をほのめかし
名前を言わずに「匿名で扱ってください」と言って無理矢理に電話を切った。
これで犯人は捕まるだろう。
身内を殺されたのだから、捜査はより一層、気合が入っているはずだ。
逃がすものか。
ふと目線を落とすと頼穂が服の裾を力いっぱい握っていた。
桜子は愛想笑いが苦手だ。
それでも怖がらせないようになるべく優しい顔をするように心掛けた。
「この顔って変えることはできるのかな?」
そう言って頭を撫でてやると頼穂は縦に頷いた。
次に何かを言おうと口を開きかけたところでハンモックの上の夢奏に遮られた。
「できる。だが、その前に契約だな。」
桜子は覚悟したというように笑って、頷いた。
ところが頼穂が咎めるような目で夢奏を見ている。
「契約は、いらない。」
弱々しい少女の顔から一変、しっかりした顔つきになった頼穂がきっぱり言った。
「どうして?」
「私たちは生きている人からしか報酬をもらえない決まりになってるから。」
夢奏がつまらなさそうにサングを指先にのせてハンモックを揺らした。
「今の私の状態は、生きていることにはならないの?」
「その体は……」
頼穂が言いかけて、急に口を閉ざした。
桜子がその後を察して言葉を引き取り、言った。
「あんまり長くは保てない。そうね?」
俯いた頼穂の様子を見て桜子は「お約束だわ」と吐き捨てるように言った。
夢奏がハンモックに揺られながら天井にとまった蝶を見つめた。
「あんたの残りの人生は、桜が散るその時まで。」
少しの沈黙の後、乾いた声を出して笑うと
「そう。最後の一枚が散るその時まで、っていうんだね。
O.K. それまでに終わらせるよう尽力します。」
悲しそうな声でそう言った。
だが、その表情からは少しも悲しみを読み取ることはできなかった。
頼穂がぎゅう、と抱きついてきた。
俯いた顔が泣いているのかもしれないことを思うと、胸が苦しかった。
「感謝してる。あなたたちに出会えたこと。こうやって最期の時間をもらえたことも。」