第五話 家族
「いつから……わかってたの?」
桜子は桜の花が揺れる外をじっと眺めていた。
今、直輝の顔を見ると嬉しくて泣いてしまいそうだったから。
「最初のほう。窓から姉さんが外を眺めてたとき、そうかもしれないって思った。」
「信じる?あたしが桜子だって。」
「もちろん。姉さんのことがわからない弟なんか、いるわけないよ。」
母さんにそっくりな、直輝の口調。
顔を歪め、涙が出てしまわないようにずっと堪えていたが、結局、直輝の腕に縋って大声を出して泣いてしまった。
小さな子どものように泣きじゃくる桜子の髪を撫でながら、直輝は言った。
「どんな姿でも帰ってきてくれて、うれしいよ。」
桜子はしばらく泣いて、その後は少し黙ったまま静かな時を過ごした。
直輝が湯呑におかわりを注いで、桜子がそれを受け取った。
「直輝。」
「ん?」
「父さんは?ここに来てからずっと見かけないんだけど……」
直輝は一瞬、少し驚いたような顔をして、すぐに困惑したような表情に変わった。
「父さんは……姉さんが死んでから部屋の外に出てない。」
「一回も?食事とか……」
「朝食と夕食は渚馬兄が部屋の前まで運んでる。でもいつもほとんど手付かずだよ。」
「そう……。」
雅樹と渚馬のことも気になったが、桜子は口にしなかった。父親のことがただ頭の中に広がって、急に心細くなってしまったのだ。この気持ちが、父親を心配しているのだと気が付くまでにしばらくかかった。
「食事、あたしが作るよ。」
自分の鈍さに苦笑いを浮かべながら桜子は立ち上がった。
「そう?兄さんたちも喜ぶよ。きっと。」
「知ってるの?」
「一応言ってみたけど……半信半疑って感じだね。」
「あの二人はあたしと似てるからね。疑い深くて臆病で。」
古びた台所から二人の小さな笑い声が響いた。いろいろな野菜を軽く茹で、桜子は大きな鍋を用意した。
桜子と父親は、母親の遺品を燃やしてしまったあの日からぎこちなかった。嫌いだったわけじゃない。
母さんを愛していた父さんが、あんな行動を取ったことを責めるつもりはない。
きっと、幼い頃から顔がそっくりだった桜子さえも見たくはないはずだ。
だからこそ、あまり近くにいたくはなかった。苦しんでほしくなかったから。何よりも桜子自身が苦しんでいる父親を見ていたくなかったから。
出来上がったカレーのいい香りが辺りを漂っている。一応味見をしてみたが、味はわからなかった。
「あたしが持っていくよ。」
「大丈夫かな。」
「食べてないんでしょ。空腹ならカレーのこの匂いに勝てるわけないって。」
そう言って笑いはしてみたものの、正直、自信がなかった。中身は同じでも見かけはまるっきり他人である。
父親の部屋の前、所々に穴が開いている襖の前に座った。まだ、湯気が立ち上る皿をそっと置き、
「父さん。」
ただ、優しく声をかけた。返事こそなかったが、反応があったことはわかった。襖を一枚隔てたそこには自分の父親がいる。
「ごめんね。」
今更、自分が言うべきことはそれだけのような気がした。
「ここに置いておくから。ちゃんと食べてね。……元気でね。」
襖を小さく開いて部屋に皿と水のコップを押し入れて、桜子は部屋を後にした。