幸せとは、なんぞや
幸せになりたいです。
誰しもが思うはずのことであり、誰しもが求めるはずのものだけれど、その形は十人十色千差万別。
さて、何が正しいのかと問われれば私は首を捻るのだ。
幸せになりたいとは思う。
だけれど、何をどうしたら幸せになれるのかは分からない。
お金持ちになればいいのか、愛されればいいのか、具体的に言うなら結婚して子供を産んで家族仲がいいことが幸せなのか。
「その分、幸せになって欲しいとは思います」
ファミリーレストラン、略してファミレス。
名前からしてファミリーで来いよ、と言っているような場所で、私は男の人と向き合っていた。
別に援交とかそういうのではない。
私達の前のテーブルには、パソコン一台と茶色の大きく太い封筒と注文したドリンクバーの飲み物二つ。
何か甘いものでも頼もうとメニューに手を伸ばせば、先程の言葉に遅れて反応する男の人。
「読者さんにですか」
「え、なんで」
メニューを開いた状態で顔を上げる私。
眉を寄せた私を見て、逆になんで、と言わんばかりに目を見開く男の人は、私の担当編集さん。
私はそこそこ売れてる作家さん。
お店で一番高いパフェを頼んでから、なかなかに長いお付き合いの編集さんを見る。
分かんないなぁ、みたいな顔をして原稿に手を伸ばしているけれど、話聞く気があるのかないのか。
「自分の作品の登場人物」
ぺらり、編集さんの手が原稿を捲る。
毎回毎回原稿を上げる度に、アナログだったりデジタルだったりで、そろそろ統一して欲しいと言われたけれど無視しておいたものだ。
手書きで乗る時は手書きで、乗らない時はパソコンで。
書きたいように書くのが一番だと思う。
私は私の作品を愛していて、それを世の中に出して評価されることは嬉しい。
自己満足だと自分自身で思っているものなのに、誰かの心に残ったり、誰かが喜んでくれたりするのは嬉しいこと。
幸せとは違う何かがそこにある。
「作品が自分の子供であるように、作品の中の登場人物も自分の子供みたいなものだよ」
それでいて、作品は自分であり、登場人物も自分である。
だからこそ、幸せにしてあげたくて、幸せになりたい願望を叶えるための手段でもある。
注文したパフェが目の前に置かれて、私はすぐにスプーンを持ち上げた。
取り外したポッキーを目の前の編集さんの口に突っ込んで、生クリームを自分の口に突っ込む私。
甘いものは一時的に幸せな気分になる。
緩む私の口元を見て、編集さんは肩を竦めながら原稿を捲っていく。
四百字詰めの原稿用紙に並んでいる文字は、また綺麗にフォントを整えられて少し固めの紙に印刷されるんだろう。
甘ったるい生クリームが舌に残る。
ベッタリとした甘さが喉に落ちていくのを感じて、唇を舐めた。
唇も甘ったるい。
それくらい甘ったるいエンディングを、私は書けたんだろうか。
四百字詰めの世界で、私の分身達は幸せになれたのだろうか。
口の中に詰め込んだパフェを飲み込む度に、甘さから来る胸焼けが近付いて来る。
幸せって、なんでしょうね。