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短編小説

不良品

作者: 怜梨珀夜


 あの日、僕は罪を犯しました。

 あの日、僕は彼女の幸せを奪いました。

 あの日、彼女は何もかもを失いました。

 あの日から、彼女の瞳はずっと、闇を湛えたままなのです。


 きい、と車輪の軋む音を、僕の耳が感知しました。

「ソフィー様」

 僕は振り返って、彼女の名を発しました。愚直に、そして無機質に。

「気安く呼ばないでって言ってるでしょ、出来損ない」

 そう僕を拒絶する彼女の声は、冬の氷よりも冷たく、夏の陽光よりも鋭いのでした。

「……ソフィー様」

 しかし、それでも僕は、彼女の名を呼ぶのです。


 僕は今から九年前、彼女のおじい様によって造られました。

 彼は、僕のご主人様は、街でも有名な人形師でした。偏屈なドワーフの老人や、気高いエルフの姫まで。森の奥に建てられたこの小屋に、客の来訪が途切れることはありませんでした。彼の作るアンティーク・ドールは、まるで生きているようだと評判だったようです。


 ソフィー様のご両親は、彼女が幼い時に亡くなってしまいました。ご主人様はソフィー様に、親代わりの存在を作ろうとしました。彼女だけに無償の愛をささやく、からくり人形を造ろうとしました。いつか自分が死んでも、彼女が独りにならないように。

 そうして、僕という出来損ないが生まれました。

 僕は、耳障りのいい甘い言葉を吐くことしかできません。家事もできないし、歌を歌うこともできません。無理に何かをしようとすると、必ず失敗してしまいました。


 そうした失敗を積み重ねた果てに、ついに、大きな事件が起きてしまったのです。


 今から二年前に僕が起こしてしまった火事は、彼女の顔の右半分と左足の機能を奪いました。それに加え、ご主人様の命も、その事故はさらっていきました。

 僕は事故を起こしたくて起こしたのではありません。ただ、彼女の誕生日に、彼女の好物のパネトーネを作りたかったのです。

 簡単なレシピを手に入れたので、僕でもきっとできると思ってしまい、張り切って作り始めました。

 結果は、それまでとは比べ物にならないほどの『失敗』でした。

 生地を焼いていたかまどの火が燃え移り、家が炎に包まれました。

 ソフィー様が生まれた年に買ったというふりこ時計も、ご主人様がいつも座っていたひじ掛け椅子も。

 すべて、すべて燃えてしまいました。


 事故の後、彼女は僕のことを散々罵りました。

 彼女は、あんたがじいちゃんを殺したと言いました。

 彼女は、僕のことを絶対に許さないと言いました。


 ご主人様には、一人のお弟子さんがいました。彼が彼女を引き取ろうとしましたが、彼女はここを立て直して住むと言って譲りませんでした。

 彼女は自ら独りになってしまったのです。


 それでも僕は、僕だけは。

 彼女のことを、愛しているのです。

 それだけは、本当なのです。その事実だけが、真実なのです。

 たとえそれが、ご主人様によって設定された、仮初めの感情にすぎなかったとしても。


「僕は貴女を、誰よりも、何よりも愛しています」

「そりゃあ、あんたの周りには私しかいないんだから、そうでしょうよ」

 彼女は不機嫌そうにふんと鼻を鳴らしました。

「いえ、どこへ行っても貴女だけを好きなのは変わりません」

「嘘吐き」

 彼女は細い眉をひそめたまま、僕を嘲笑います。

「こんな私の何が好きなの」

 彼女の声は時々、今のように、急に高くなったり低くなったりを繰り返します。そういった時の彼女の言葉は、決まってとても冷静なものなのです。

「すべてです。貴女の姿も、声も、何もかも」


 好きなのです。

 日に透けて銀色に輝く、長い髪一本一本が。

 包帯の隙間から発せられる、低くざらついた声が。

 僕のことを大嫌いな、彼女のことが。


「私の顔は、ひどく醜いじゃない。あんたの目は節穴か何か?」

 彼女は剥き出しになった真皮を突っ張らせながら、僕のことを睨んでいます。

「分かっているでしょう、僕の目が何でできているのかなんて」

 僕の目の奥が、小さく唸りました。

「……偽りにしか見えない目なんて、くりぬいちゃえばいいんだわ」

 痛々しい包帯から覗く彼女の大きな瞳は、赤くぎらついていました。

「あんたの見てる私は、偽物でしかない」

「……それでも貴女は、美しい」

 一瞬、彼女の瞳に一粒の太陽が差したような気がしました。


「……私のための、人形のくせに」

 彼女の握りしめた拳が、震えています。

 僕は、彼女がどうして泣いているのか分かりません。

 僕は、彼女がどうしてそんな顔をしているのか知りません。


 僕は、彼女に謝りたいのです。許しを乞いたいのです。

 しかし僕は、愛をささやくしか能がないのです。謝罪の言葉を、知らないのです。

 だって僕は、そのためだけに造られたのですから。


「大嫌いよ、あんたなんか」

 幾度となく繰り返された言葉。それはそうでしょう。僕には、彼女に好いてもらえる要素など、針の先ほどさえないのです。

 彼女の涙に震えた声が、僕を責めます。


「いなくなって、しまえばいいのに」


 喉の奥のねじが小さく軋むのが、僕には分かりました。



     ◇



 いなくなってしまえばいいのに。

 あの事件が起こってから、彼女には何百、何千と罵声を浴びせられましたが、そう言われたのは今日が初めてでした。


 僕はこの二年間、ずっと考えていました。

 彼女のために何ができるのかを。出来損ないの僕に何ができるのかを。

 そしてついに先ほど、その答えにたどり着くことができました。

 先ほどの彼女の言葉。

 これほど簡単なことに言われるまで気づかないなんて、やはり僕は出来損ないなのでしょう。


 僕が、彼女の前から消えること。


 それが彼女にとっても、僕にとっても、最良の選択なのです。


 薪を集めて、家の裏のひらけた場所に積んでいきます。ここだけ木が生い茂っていないのは、ご主人様が、僕や他の人形たちの材料をここから切り出していたからなのでしょう。

 そうして積み上げた木々に火をつけます。火打金と石を打ち合わせると、小さな火花が辺りに散りました。木くずから燃え移った炎はどんどん大きく、咲いていきます。

 燃え盛る炎の中に、ご主人様の姿を見たような気がしました。ご主人様もやはり、僕のことを恨んでいるのでしょうか。


 僕は炎に、炎の中のご主人様に手を伸ばします。しかし、僕の手は何もつかむことはなく、幻想は赤い闇に消え去りました。

 伸ばした僕の手からは黒煙が上がり、指先から紅蓮に染まっていきます。自分の指が消炭になろうとしているというのに、僕は何も感じません。


 死ぬのは、怖くありません。彼女に必要とされないのなら、僕に存在価値はありません。

 だって僕は、彼女のためだけに造られたのですから。


 炎に一歩、踏み出します。右足に炎が這い回ります。

 さらに一歩、炎が体を侵食します。

 そしてゆっくり、炎に身を沈め――――


「バカなことしてんじゃないわよ!」


 声がした瞬間、僕にまとわりついていた赤が消えました。その代わり、僕の焼け焦げた肌からは白い煙が立ち上っています。軽く腕を振ってみると、しずくが辺りに散りました。

 呆然としながらも声のした方を見ると、息を切らした彼女が、僕を見下ろしています。彼女の傍には、大きなバケツが転がっていました。


「ソフィー、様」

 どうして彼女が、ここにいるのでしょう。彼女の僕を見る目は、あいかわらず赤くぎらついています。

「どうして、止めるのです」

 彼女は不愉快そうに細めた目を二、三度、ゆっくりとしばたたかせた後、口を開きました。


「あんたは、私のものだもの」

「…………」

「何よ、その顔」

 僕は今、どんな顔をしているのでしょう。彼女に訊いてみたいのですが、なぜだか言葉が出てきません。ひどく大きな塊が、僕の胸を押し潰しているような気さえします。


「側にいても、いいのですか」

 やっと絞り出した声は、なんだか僕のものだとは思えませんでした。

 彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らし、僕から目をそらしたまま、言いました。


「……置いてくなんて、許さないから」


 彼女がなぜ、泣いていたのか、今なら分かる気がしました。



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