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教育

 幽霊の存在を確認してから、コミュニケーションをとった初日のことだ。幽霊の面接を終え、本格的な指導に入ることにした。

「お客さんの煙草を落としてくれるのはすごく助かるんだ」

 無反応の幽霊。

「でもな、床に落ちたりしたらお客さん嫌がるだろ?」

 無反応。

「だから今度から、いつもの煙草の棚での返事みたいに、前のほうにスライドするとか、とにかく落とさないでほしい。わかった?」

 棚の八十一番が動いた。……何なんだこの指導は。多分世界中のコンビニ店員の中で、俺以外は未経験だろう。

「セッターソフト」

 さっそく教育を活かすチャンス到来だ。ちなみにこれはセブンスターソフトの略語である。スーツ姿の眼鏡の青年(ポケットには赤いペンと黒いペンが一本ずつ入っている、事務関係の仕事か、教師の可能性がある)がそう注文した時、俺の左手になにかが握らされた。この握りなれた感触。長方形の、ビニール状の柔らかさ。手の中を見ると注文の銘柄だった。

「お、兄ちゃん覚え早いね。俺まだ一回しか来たことないのに」

 手元の煙草を見て、客は俺があらかじめ用意していたのだと判断したらしい。曖昧に「えへへ」と笑うことしかできなかった。お客さんが帰り、振り返る。

「棚以外にもいろいろ動かせるんだな」

 煙草の棚はしばらく動かず、またシカトかと思った。すると九十二番ががたりと動いた。

「九十二? ……急に?」

 煙草の八十一番が動く。急にということは、今日できることが増えたということか。これは頼りになるかもしれない。

「ところで気になっていたんだけど」

 ここで、とある疑問を追及することにした。

「働いたから給料をもらう。この理屈は俺にだってわかる」

 お客さんが仮にいたとしたらかなり恥ずかしい光景だろう。煙草の棚にもたれながら、誰もいない空間にぶつぶつとしゃべっているのだから。

「何故かっていうとさ、そりゃ、お金がなかったら人は生きていけないからだよ。愛じゃ飯は食えない」

 煙草の棚も、レジも無反応である。

「でも、お前は飯食わなくても大丈夫だし、金がいる意味がわからないんだ」

 俺の独り言に似た語りかけは続く。

「お前は金が必要なのか?」

 八十一番の棚が動く。

「でもそれなら銀行でも襲えばいいし、このコンビニでもお客さんの財布や、レジの金や金庫の金、丸ごと持っていけばいい話だろ?」

 棚が動いた。番号は十八番だ。

「一と八で嫌、ってことか?」

 十八番がまた動く。

「じゃあ、働いて稼いだ金がほしいんだな」

 動いたのは八十一番だ。

「それは、どうしても、必要なのか?」

 幽霊がそこまでしてほしい金。しかもそれは働いて稼がないと意味がないもの。それほどまで、こいつは強い意志を持っているのか。それほどまでの理由とはなにか。いや、それ以前に。

「……なんで一緒に入るのが俺なんだよ」

 深夜のほうが稼げるだろうに。だがその質問に幽霊は答えることはなかった。

「……わかった」

 こいつにも何か信念があるのだろう。それに、俺が千四百円を毎日レジに入れるだけで、こいつの助けになるんだ。学校とバイトの往復だけで退屈していた。放課後になって、クラスの奴らにお疲れと声をかけてバイトへ行き、そして帰って寝るだけの無味無臭な毎日。それを改善する第一歩にはいいかもしれない。奉仕活動として、やってみる価値はある。

「俺がお前の給料を払ってやる。だから、しっかり働いてくれ」

 端的に俺の決意と要求を告げた。動いた棚は百十四番。八十一番ではない。一一四、いいよということか。

「結構答え方のバリエーションはあるんだな」

 素直にそう感心した。それからも幽霊の教育指導は続いた。幽霊はたばこの手渡しができるようになり、そこからファーストフードの廃棄のことも教えた。

「いいか、この時間が来たらここに書かれている数の分だけ捨ててくれ。たとえば今は八時十分だ。この時間にポテトが二つ廃棄になっているだろ?」

 ショーケースのさっきまでポテトが並んでいたところを指差す。

「あれ?」

ショーケースに並んでいたポテトは煙のように消滅している。捨てた覚えはないし、売った覚えもない。どこに行ったのかあたりを探すと下のごみ箱に、見慣れた紙屑が落ちてある。紙でできたポテトの入れ物である。中身は消滅していた。

「……」

 まさかと思った。

「食べた?」

 今までで一番元気よく、跳ね上がるように八十一番が動いた。

「ポテトが好きなのか?」

 八十一番の棚は動かず、レジから音が鳴った。画面を見ると、ポテトの注文入力を十個もしていた。

「めちゃめちゃ好きってことでいいのか?」

 今度は餅巾着が一覧に表示された。どうやらこれの反応は八十一番よりも強い肯定らしい。幽霊にしっぽがあれば高速で左右に振っているところだろう。

「……まあ、好きにしろ」

 また餅巾着が注文された。よっぽど気に入ったのだろうか。とりあえず指定取り消しでポテトと餅巾着の表示を消しておいた。

 それから、だんだん自分の考えで行動するようにもなっていった。例えばだ。

ある日、アメリカンドックをレンジに入れた瞬間に、三十秒のボタンが押された。

「……やるじゃん」

 アメリカンドックは揚げる前にレンジで加熱しなければならない。きちんと理解して、適切なアシストをこなしていた。

それだけではない。お客(サングラスをかけた長身のスキンヘッド男)がレジに、かごがいっぱいになるほどのチョコレートからポテトチップスまで、あらゆるお菓子をつめて持ってきたときのことだ。

「いらっしゃいませー、お預かりいたしまーす」

バーコードを打っている間に、後ろのレンジからピーピーと騒がしいアラームが鳴った。アメリカンドックの温めが完了したのだ。レジ打ちを中断し、アラームを止めにレンジへ行こうとしたときだった。レンジの開け口が開き、アラーム音が止まった。幽霊の姿は相変わらず見えないが、おそらく見えたなら得意げな顔をしているだろうなあと思った。

 二つ目の事例ではこんなものがある。揚げ物が揚がったときには、俺はついつい揚がったことを忘れ、フライヤーに放置してしまいがちになる。

「やば、チキン揚げてたんだ」

店内の掃除を中断し、モップを壁に立てかけたあと、慌ててフライヤーに戻る。そこにチキンの姿はなかった。あたりを探しても見当たらない。

「まさかお前食ったのか」

幽霊にそう言うと、ショーケースからガン! と音が鳴った。なにかと思い見に行くと中にはチキンが三つ、規則正しく並べられていた。「……すまん、まさかと思ってな」

 煙草の棚の八十八番ががたがた動いた。ポルターガイストらしい動きに驚くが、八と八で「はははは」と笑っていることなのだろう。

 ……慣れてるからいいけれど、知らない人が見たらかなり怖いな。

 何よりも助かっているのが、商品の前出しと呼ばれる、いわゆる商品の整理整頓の仕事だ。店の中の商品を見回っていると、さっきまでお客さんが取っていった商品の分だけ、きちんと奥の弁当やジュースが前に出されている。しかもジュースに至っては商品名が見やすいように向きを統一してあった。

「俺より仕事丁寧だな」

これが一番得意ならしく、乱れがちな雑誌コーナーも、まるで本屋のように規則正しく向きをそろえてくれる。おかげで店の見回りをする手間はほとんどなくなった。だが一番驚いたことがある。

 掃除中のことだ。掃除中はうっかりしているとレジにいるお客さんを見落としてしまう。だから定期的にレジのほうへ目を向けなければならない。だが今日は不覚にも掃除に熱中してしまい、レジのほうを全く見ていなかった。だからその時にレジから聞こえた言葉が信じられなかった。

「マイセンソフト」

 それは煙草の注文だ。いつも聞いている。だけど、それは誰もいないレジでいうセリフではない。だから慌ててレジへと走った。走りながら予想外のことはさらに続く。いくつかの音が立て続けに聞こえた。煙草の棚が動く音。レジの商品を打つ音。お金を受け取り、レジ打ちをする音。そして、レシートを発行する音。完全に接客を終える手順で聞くことになる音全てだ。

「ども」

 レジの前にいたお客さんは、そう言って店内をあとにしようとした。

「ちょっと! 待ってくださいお客さん!」

 予想外の事態に混乱しながら必死にお客さんを呼び止めた。振り返った金髪の作業着を着た男(半袖の作業着なのに日焼けの跡が七分袖の長さまである。野球をしている可能性がある)は、眉をしかめながら俺を見て、首を傾げた。

「あれ?」

「あの、その」

 俺が言う前に、金髪の男は言った。

「店員さん、男だったっけ?」

 二つの事実を確信した。

 だがその二つの事実を頭で整理するのに、数秒を要した。金髪の男は、息を切らして混乱している俺を一瞥して、外套の照らす駐車場の向こう側の、横断歩道へと向かっていった。事実は単純だった。

 幽霊がレジ打ちをできる段階にまで成長したこと。そして。

「お前女だったのか」

 たばこの棚の八十一番が、がたっと動いた。


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