防衛四十二回目
「ササ、この工房にギンって奴いるか?」
「なんだ?私じゃなくてあの変態に用があるのか?」
・・・変態?
「変態かどうかは知らないが、ちょっとした頼まれ事でな。いるか?」
「ああ、いるよ。今は工房の奥で作業中だったはずだぜ」
「そうか、ありがとな。明日辺りに新しい剣のことを相談するわ」
「今度は壊すなよ?」
「はいはい」
俺は少し適当に返事をすると、工房の隅に設置されている階段を下って行く。やっぱり裁縫師はエントランスホールみたいなところよりも、個人の空間の方がいいのかもしれないな。
それにしても作業中って・・・素材足りないんじゃなかったのか?
まあ、他のところをやっているんだろうな。
そう思うことにしておこう。
変態という情報に疑問を抱いたが、俺などの第3者から見たら、工房の連中の大半は変態だ。いまさら変態といわれてもな・・・まさか飛びぬけた変態とかなのか?
これ以上考えたらいけない気がするから止めた。
『ギン』
とうとうネームプレートを見つけてしまった。ササから貰った変態という前情報のせいで開けるのがためらわれてしまう。大丈夫。いつもの依頼どおりに普通に扉を開けて、2、3言話して、物を渡したらそれでミッションコンプリート。笑顔で出てくればいいだけだ。よし、行くぞ。
扉をノックすると、中からどうぞという声がかかった。
声だけを聞くと、女性のようにも聞こえるし、男がちょっと無理して出しているようにも聞こえる。ここまではまだササの言う、変態の要素は無い。
意を決して扉を開くと、そこには、町を歩いていれば10人の女性が10人とも振り返って2度見をするであろうほど顔の造形が整った、どこか中性的な感じのするイケメンがこちらを向いて、ちょうど立ち上がるところであった。
「あんたがギンか?」
「そうだよ。外に表札かかってなかったかい?」
「一応本人か確認しただけだ」
「そうか。用心深いんだね」
口元に手をやって笑みを浮かべる。やはり顔がいいと、そんな仕草でさえ絵になる。
俺はアイテム欄から巾着袋に入った人蜘蛛の糸を取り出すと、ギンに突き出す。
「お前の求めているアイテムはこれであってるか?」
『お使いクエスト【おっちょこちょいな裁縫師】をクリアしました』
ギンは中を確認すると、一度満足げにうなずき、
「ありがとう。助かったよ。素材が足らなくて期限以内に装備の強化をできませんでした、なんて言ったら職人としての腕どころか、人としても失格だしね。そもそも工房から追い出されてしまうよ」
「じゃあ以後気を付けることだな、今回は偶然俺が持っていたのと、お前が依頼するように頼んだのが俺の・・・友人だったからよかったものの。もし俺の友人以外の人間がこの依頼を持ち込んだとしても俺は受けなかっただろうな」
「そうか。肝に命じとくよ」
ギンはそう呟くと、咳払いをして、話は変わるが、と前置きをしてから
「君の報酬とは別に、一着服を作ろうかと思うんだがいいかい?」
「あいにくだが、普段から鎧かシンプルなものしか着てないから、いらねえな」
「大丈夫。鎧のしたに着こむ肌着を作るだけだから。もちろんそれなりの防御力アップは期待してくれてもいいよ」
ってことはあれか?装備をしなくても防御力を上げることができるということか?
・・・なら遠慮せずに作ってもらうか。
「じゃあ頼む」
「頼まれた。早速だが、脱いでくれないか?」
やたらいい声で言われてしまった。きっと採寸するだけ。それ以上はきっとない。きっといい声で言ったのはシャレだ。と、自分自身を言い聞かせてごまかしながら、肌着まで脱ぐ。次々と服を脱いでいく俺を、ギンは嘗め尽くすような視線を浴びせてくる。
悪寒が止まらない。これもきっと先に目測で大まかな検討をつけているのだろう。決してそういった意味の視線でないと信じている。
肌着になると、一旦嘗め尽くすような視線はなくなったが、ギンがため息を吐きながら首を左右に振っている。
「ほら、脱いだぞ。早く採寸でもしてくれ」
「はぁ、まったく君は・・・採寸といったら全裸だろう?」
「は?」
こいつが何を言っているか本気で分からない。
「は?じゃないよ。全裸になった方が正しい採寸が出来るじゃないか。君が自分から脱がないなら、ボクが脱がせてあげよう」
「おい、なんでそんなに手をワキワキさせてる。気色悪い」
「まあ、そっちが自分から脱ぐといっても、ボクが脱がすんだけどね」
「どの道お前が脱がすんかい!」
「フハハハハハ!よいではないか!よいではないかぁぁぁぁ!!」
恐怖。俺はただその感情一つに心が支配される。正直恐怖を感じたのは久々だ。久々すぎて恐怖の感情を新鮮な物として捕らえてしまっている。
「それ以上近寄るんじゃねえ!」
少しずつ後ずさりして扉に手を付ける。
実力は俺の方が圧倒的に高いはずなのに、目の前の変態に勝てる気がしない。
後ろ手で扉を開けて外に出ようとしたが、なぜか開かない。
「あ、な?え?」
あれ?なんで開かない確かこっち側から押せば開くんじゃなかったのか?なんで開かない?慌ててたから間違えた?開かない?
ギンが懐から何か、長方形の鉄の塊に、平べったい円柱がついたような物を取り出し、軽く振って見せる。
パニックに陥った俺を待っていたのは一方的な蹂躙だった。
うるさすぎるぐらいの悲鳴が耳に届くが、それが自分の声であることに気がつき、体と精神が見事に切り離され、現状を冷静に見ている自分がいることに、内心思わず苦笑い。けど、この行動はきっと現実逃避の一環なのだろう。
俺は・・・ギンという名のエネミーに汚された。
半裸で放心している俺の目の前に、つやつやした顔で笑みを浮かべている変態を、どこか人事のように班笑いで眺めている。
「実にいいね。君のその表情。非常にそそるよ」
もう、やだ・・・。
「それに、ササから聞いた君の戦い方と、その筋に訓つきかたに齟齬を感じるね」
俺・・・汚されちまったよ・・・・・・。アリシアはこんな俺も貰ってくれるかな?
「ササが言っていた君の戦い方は、彼女の作った大剣を使った一撃離脱だろ?けど、この筋肉のつき方は、それとは少し違った感じになっている。しかし、そんなアンバランスな筋肉もすばらしい!!もう一度じっくり触って確認したいぐらいさ!」
あはは、貰ってくれるわけないよな。男としての尊厳が丸々なくなるような辱めを受けた俺なんか・・・。
「ずばり、君は元々、相手に密着するほどの距離で素早く動いて、翻弄しながら戦う人間だったね?」
くそう、こんなところで俺はアリシアとの結婚の夢を諦めなきゃいけないのか?
「あれ?聞いてないのかな?」
「・・・」
「ということは、今はチャンスじゃないか。もう一回じっくりネットリと体を調べるチャンスだ!!」
「なんだね!さあ、何でもじゃんじゃん聞いてくれたまえ!」
キャラ崩壊?知るか!これ以上俺の貞操を汚されてたまるか!!
「そうかい?じゃあ、もう一度その素晴らしい肉体美を堪能させてくれないかい?」
「全力で却下だバカ野郎!」
「・・・冗談だよ。君本来の戦い方というのはどういったものなんだい?」
なんでちょっと間があった、すごい勢いで不安感が俺の中で膨らんでいく。
聞かれたことにはちゃんと答えるけどな。
「とにかく動き回るかな。一撃離脱もいいんだが、やっぱりその場に止まるのは、敵からの攻撃を受ける回数が増える。中には手遅れになりそうな状態異常を使ってくる奴もいるから、極力敵の攻撃には当たらない。各種耐性を持ってない人間の常識だと思うが?」
「ああ、やっぱりそうだったのか。今の装備だと速度落ちるんじゃないかい?なんだったらボクが君の装備を作るけど?一応皮装備までは作れるよ?」
「いや、大丈夫だ。あの程度で機動力が落ちるなんて軟な鍛え方はしてない」
「それであの素晴らしい・・・ふふふ」
背筋に悪寒が走る。即座に臨戦態勢をとり、ギンの行動を警戒する。
「やだなぁ、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ?そろそろ頼まれてる装備の改良とかしなくちゃいけないからね」
そう言って取り出した物に、どこか見覚えがあるような気がしたけど、きっと気のせいだと思ってスルーする。
「そうか、じゃあな」
「でも、もう少しだけ君の体を――」
そこまで聞いた瞬間に、俺は部屋から飛び出す。
今度は鍵をかけられてはいなかった。
俺は何も考えずにエントランスまで出ると、ササにまくしたてた。
「なんなんだよ、あの変態は!!」
「変態はお前だこのバカが!!」
ササの放ったドロップキックが、綺麗に腹へと吸い込まれていく。
工房の床を転がりながら見えた自分の体の一部が、やたら肌色多めだと思う。そこでようやく、ギンに脱がされたままこの場に出てきてしまったことに気がついた。
ササの誤解を解き、ギンの所から服を取ってくるように頼み込んだ代償が、今晩の晩飯を奢るというものであった。懐事情がそこまでよくない俺は、涙を流しながらそれを受けた。
ササが楽しそうに上げる店の名前に震えが止まらない。なんせササの上げている店は全部値段が張る場所ばっかりだからだ。
足らなかったら手持ちの素材をいくつか売らなければならなくなるかもしれない。密かにそんな決意をするのであった。
町長のところに行くと、珍しく、本当に珍しくだが、忙しそうに書類に何かを書き込んでいる。またこの前のようなものなのかと疑い、後ろから覗き込んでみたが、この町の現在の状態が書かれた報告書を読んでいるところであった。
「珍しいな、ちゃんと仕事してるなんて」
「ワシはいつだって真面目に仕事しておるわい!」
「自分の胸に手を置いて考えようか」
町長が目を瞑って自分の胸に手を置いた。
まさか実際にするとは思ってなかったが、自分を見つめなおしてくれるのだ。自分の罪を見直してくれることを祈ろう。
「まったく思い当たらん!」
清清しいまでのドヤ顔である。
殴りたいこのドヤ顔。
実際殴るわけには行かないので、拳を握り締めて怒りに震えるしかない。
「どうした?ワシの正しさに恐れおののいたのか?」
「ちょっと黙っててくれ。いや、マジで。ついうっかり殴りたくなる」
少女チックな動きで、怖~い。とか言っている。
気持ち悪い。
町長が飛んだ。比喩でもなんでもなく、垂直に、直線に飛ぶ魔法を見たかのように、見事に飛んだ。
それを行ったのは、町長の奥さんだ。
この人はなぜか町長がバカをやったときだけ、すさまじい力を発揮する。
それこそ、あのギンと同等レベルで、絶対勝てないと思う。
吹き飛ばされて呻いている奴は放置して、奥さんの方にここに来た用件を伝えると、一枚の紙を見せてきた。
突き出された紙を確認すると、アリシアの出している依頼であることが分かり、内容もアリシアが語った内容である。
『採取クエスト【人蜘蛛の糸】を受理しました』
「なあ町長、もう一つ近場で受けられて、夕方までに稼げるの無い?」
「バカ言っちゃいかんよ。今受けた依頼をキッチリこなしてからにせい!」
なんでこういうときだけ正論を言ってくるかね。うちの町長は。
「いや、だってよ、人蜘蛛って近場にいねえんだもんよ。今から行くとなると今日中には帰ってこれないんだよ」
「だったらもう一つ受ける意味なんて無いじゃろ?明日出かければいいんじゃからのう」
「ササに飯を奢ることになった」
「もちろんワシにも奢るんじゃよな?」
「金が無い」
「よし、ちょっと待っておれ」
見事な手のひら返しである。この人やっぱり真面目とは程遠いな。
しばらく自分の机の引き出しをゴソゴソ漁り、一枚の書類を取り出した。
「これなんてちょうどいいのではないかのう」
そう言って差し出された書類には、ファルフラムの森の木こり小屋から、最近小屋に侵入を試みる森熊が目撃されており、不安なため討伐して欲しいというものだった。
冒険者にとって、あの森はうま味が少ないのか、森に行く冒険者が少ない。
きっとそれらの状況から、この依頼は自警団に回されるものであったはずだ。
森熊は、自警団の中でも腕の立つ者が、1体あたり3人以上で討伐に当たるモンスターだ。
腕の立たない一般の自警団だと、きっと10人近くが必要になるはずである。何より厄介なのは、日の差し込まない空間だと、自身の体色を背景と同化させるところだろう。
無知な冒険者が遊び半分で森の奥まで行き、やられる事例がちょくちょくある。
「ウェイルズ、ゴブリンキングを倒したお主なら余裕じゃろ?」
「当たり前だろ!やってやんよ」
『討伐クエスト【木こり小屋の不穏な影】を受理しました』
町長の問いかけに、俺は当然といった顔で答える。
条件次第ではゴブリン将軍をも上回るかもしれない森熊だが、道具を使う知能がなく、ほとんどが本能のままに動いているため、脅威度はそこまで高くない。
俺は早速依頼主のいる木こり小屋に行くことにした。