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幻想剣客伝~白刃之舞~  作者: コウヤ
姫鶴白刃
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姫鶴白刃 弐

 修行の朝は早い。


 山の間から太陽が顔を見せるよりも前に目覚めた刀哉は、挨拶代はりに飛んできた礫を手で受け止め、木から下りて朝餉を探すことにした。昨晩は肉だったので、できれば魚でも食いたいところ。


 本音を言えば銀シャリを口にしたい。


 が、修行に欲は禁物。すぐに川原で顔を洗って煩悩を払い飛ばし、流れに逆らって泳ぐ数尾の魚に狙いを定めた。はじめは礫を投げつけて捕ろうとしていたのが、ふと、川の中を自在に動き回る魚に切っ先を当てられぬものかと思いつき、愛刀の柄を撫でて息を整え、目にも止まらぬ速度で抜き払った。


 切っ先三寸が水面を切り裂くが、魚たちは相変わらず泳ぎ続けている。幾度も試してみたがどうにも上手くいかず、首を傾げて唸る彼の姿が余程奇妙なものだったのか、今まで姿を隠していた鞍馬がどこからともなく降りてきた。


「なにをしておる? 先程から水遊びなどしおって」


「いや、あの魚をどうにか切っ先で捉えられぬものかと」


「ほほう。それは良いところに目をつけたのぅ。じゃがあやつらは常に食われる恐れの中で生きておる。そう易易と捕られてはくれんぞ。どれ、拙僧が手本を見せて進ぜよう」


 下駄を鳴らしながら腰に吊るした太刀を抜き、特に構えることもなく水面を睨む鞍馬は驚く程静まり返っており、一陣の風が吹き抜けた刹那に光が煌くと、その切っ先にエラを引っ掛けた川魚が必死に暴れていた。


「お見事」


「なに、お主もすぐに出来るようになる。じゃがもっと簡単に捕らえる方法もあるぞ?」


「それは?」


「釣れば良い」


 脇差で魚の腹を裂く彼の一言に、刀哉は何も言い返せなかった。


 今しがた捕らえた魚は串に刺されて遠火で焼かれ、川原の大石に腰掛けた鞍馬と刀哉は無心で貪った。


「お主も、大分山に慣れてきたようじゃのぅ」


「山に慣れたというよりは、礫が飛んでくる生活に慣れた」


「カッカッカ! それは重畳じゃ。眠っておっても礫を避けるようになったからのぅ。まだまだ迷いはあるようじゃが」


「それだけ未熟者ということでは?」


「拙僧はそう思わん。人は、迷うもの。悩み、苦しみ、その果てに更なる迷いが待ち構えておる。欲とてそうだ。欲が無ければ人は前へ進まん。無論、善悪は弁えねばならぬが、人とはそういうものである。清濁含めて己のものとし、心を鍛え上げることが肝要なり」


 俯き、師の言葉を何度も脳裏で繰り返す。今まで禁欲に徹し、ただ正道のみを求めてきたが、果たしてそれが清濁含めて器の中に収めることが出来ていたのか……段々とわからなくなった。


「カッカッカ! 若い、若いのぅ。はよう食え。冷めるぞ」


 鞍馬は既に自分の分を食べ終え、魚に刺していた串を爪楊枝がわりに咥えていた。負けじと刀哉も骨の一本も残さずに食べ終え、すぐに修行を再開しようとしたとき、不意に頭上が騒がしくなった。


 群青の空を見上げてみれば、箒に跨った自称普通の魔法使いがゆっくりと降下してくる。

 霧雨魔理沙は着地して刀哉の姿を見るなり太陽のような顔で駆け寄ってきた。


「刀哉ぁ……やっと見つけたぜぇ! おいおい、何で私に黙って山篭りなんてしてるんだよ! 久しぶりに遊びに行ったらいないもんだから驚いちゃったぜ!」


「すまなかった。居てもたってもいられなかったのでな」


「へへ、そういうところも刀哉らしいぜ。で、そっちの天狗のオッサンが刀哉の師匠か?」


「うむ。鞍馬大天狗様じゃ。察するにお主、噂のコソ泥娘じゃな?」


「盗んでないぜ? 借りてるだけさ。死んだら返すって約束しているんだからいいだろ? と、そんなこと言ってる場合じゃ無かった! 刀哉! いま人里で大変なことが起きてるんだ! すぐに寺子屋に戻って来てくれないか!?」


 藪から棒にそんなことを言われても困る、とばかりに刀哉は腕を組んで唸った。せっかく鞍馬から修行をつけてもらっているというのに中断したくはない。かといって、里の一大事ともなれば無視することも出来なかった。板挟みにあった刀哉が助けを求めるように鞍馬へ視線を向けると、煙管を喫む鞍馬は静かに頷く。


「行けぃ。お主はこの数ヶ月で随分と変わったはず。拙僧も久方ぶりに山伏の血が騒いだのでな、暫し此の地に篭る故、いつでも戻ってくるがいい」


「かたじけない!」


 師の言葉に背を押されるように魔理沙の箒に飛び乗ると、彼女は強く地面を蹴って急上昇し、人里目指して蒼い空を駆けた。


 猛烈な風に煽られながら魔理沙に事情を問いただしてみるも、大変なことが起きたということは分かっているのだが、具体的に何が起きているのかは知らないらしい。不安が更に増してしまい、思わず手で顔を覆ったので危うく箒から落ちそうになったのを必死で体勢を整えた。


 あっという間に人里の入口まで移動した二人は、着地と共に里へ駆け込むと、寺子屋の前には騒ぎを聞きつけた人々が野次馬のように押しかけており、そのうちの一人が刀哉の姿を見て寄ってきた。


「ああ、先生! とんだことになりましたなぁ」


「とんだことと言われても、何が起きているのかサッパリ分かっていない。できれば教えて貰えないだろうか」


 里人曰く、見知らぬ人物が刀哉の住まいに立てこもっているのだという。妖怪か人間かは判明しておらず、慧音が何とか事情を聞き出そうとしても、刀哉を呼んで欲しいと言うばかりで一向に動く気配すら見せないとのこと。


無論心当たりなどない。


 そもそも魔理沙や霊夢といった幻想郷の知り合い以外に、訪ねてくるような人物がいるわけがないのだ。


 首を傾げつつも人ごみを押し分けて門をくぐると、お手上げ状態の慧音が砂漠で水を得たような狂喜を纏った。


「よく帰ってきてくれた! もう私ではどうにもならない……」


「一体、何が起きた? いや、誰が来た?」


「それが……分からないんだ。名前も名乗らなかったし、刀哉の帰りを待つの一点張りで。まあ、危害を加えるようには見えなかったが」


「……会ったほうが早いな」


「気を付けるんだぜ?」


 不安げに言葉をかける魔理沙に不敵に笑って見せ、なるべくさりげない仕草で戸を開けた。囲炉裏を中心とした居間を覗くと、なる程見慣れない人物がちょこんと正座している。話を聞く限りでは道場破りだとか、あるいは刺客かと思っていたが、少なくとも「彼女」の穏やかで静寂とも言うべき雰囲気は、彼の予想を覆すのに十分過ぎた。何よりもその出で立ちが目を引いてしまう。


 腰まで伸びた滑らかな黒髪は和紙の髪留めによって結われ、華奢な四肢に纏うのは真紅の長着と黒い袴に白い具足といった物々しい格好をしており、さらに彼女の傍らには桜花を象った鍔を付けた黒い小太刀が置かれていた。


挿絵(By みてみん)


 瞼は閉じているが、眠っているわけでもなさそうだ。


 刀哉が一歩近づくと、彼女はすぐに瞼を開けて彼に顔を向けると、一瞬目を大きな丸にした後に向き直り、深々と額を床につけた。


「ようやく……ようやく、お会いすることが出来ました……」


 その透き通るような声色には嗚咽とも歓喜とも取れる震えが混じっていた。が、刀哉はいきなり額を床につけられたものだから頭の中が真っ白になってしまい、慌てて彼女に駆け寄って頭を上げさせた。


「止せ。頭を下げられる覚えなどない。そもそも、俺はお前を全く知らないのだぞ? 一体、何者だ?」


 すると少女はハッとしたように目を丸くした。


「これは拙者としたことが申し遅れました! 拙者の名は、姫鶴白刃ひめつる しらは。あなた様の家臣で御座います! これよりは我が身命に駆けてご奉公させて頂く所存です! さあ、何なりとお命じ下さい、殿!」


「待て待て待て! びた一文話が見えん!」


「む? ああ、成る程。そうですよね。とんだご無礼を言ってしまいました。刀哉様ほどの御仁がただの殿様で終わるはずがありません! 目指すは天下統一! 幻想郷の魑魅魍魎どもといえど、いずれは刀哉様にひれ伏すこと相違ござりませぬ! では、これよりは殿ではなく上様と――」


「俺は征夷大将軍ではない!」


「な、なんとぉ! ま、まさか――」


「関白になるつもりもないからな! 大体家臣になる理由も理解出来ん。とにかく俺の問いに答えてはくれないか? ええと、白刃といったな? 一体どこから来た?」


「それについては私から説明致しますわ」


 底知れぬ余裕と言い知れぬ妖美を兼ね備えた声色に、刀哉は益々頭を痛めた。出来れば対面したくない相手の登場に閉口してしまう。


 そんな彼の醸し出す空気をさらりと無視した八雲紫は、開いた扇で口元を隠しながらクスクスと笑った。白刃も紫に対して遠慮があるのか、刀哉と同じように頭を垂れている。


「ふふ、驚かせてしまったようね」


「あんたは常に人を驚かせ、困惑させるのが趣味ではないのか? またぞろ、今回もそちらが一枚噛んでいるのだろう?」


「流石に分かってきたじゃないの。まあ話は長くなるわ。お茶を頂けるかしら? 美味しいお茶菓子があるの」


 と、居間に上がり込んだ紫はスキマの中に腕を突っ込み、茶菓子が盛られた器を取り出す。不本意ではあるが話を聞かねば始まらないので、刀哉も早々と茶の支度を整えた。


「あなたは彼女を知っているはずよ」


 湯気の立つ熱い茶を啜る紫が、舌の火傷に耐えながら言った。


「幻想郷に来てからの記憶には無いが」


「そうね。今の彼女の姿では、ね」


「相変わらず歯がゆい喋り方をする」


 ちらりと居間の隅で畏まっている白刃を見てみれば、不意に視線が重なり、彼女は慌てて頭を垂れた。


「やはり……知らないぞ」


「いいえ、知っているわ。だって、あなたは一度、彼女を救ったのだから。そして私は彼女の願いを聞き届けた。宿るべき肉体を与え、自分を統べる主であるあなたに仕えるために……そう、幾千、幾万の魂が等しく望んだ願いを一身に受け、主の刃となるために」


 そこで刀哉は脳裏に電流が走った。鼓動がうるさいくらいに高鳴り、全身の血が逆流したような強烈な感覚に襲われた。あるいは魂が震えた。彼の奥底に眠る刀神が震えていた。


 なんということだ。今、ようやく理解出来た。

 彼女が己を主と言っていた理由も、そしてなぜ魂が震えるのかも。


 紫は静かに核心を告げる。


「そう……彼女は、あなたに浄化された刀剣たちの……魂よ」



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