26話 なんとか家族を守りたい②
「はい、いつもの安定剤ね」
「ありがとうございますグリルさん」
あの火事から約一年が経過した。母は教会から新居に引っ越し、僕は週に一回、教会に母用の薬を取りに来ているのだ。
「ケニー君大丈夫かい?お母さんのことだけじゃなくて、君自身も大事にしなさいよ」
「...わかっています」
僕はグリル神父に軽くお辞儀をすると、教会を後にした。2人の命を奪った火事、その原因の不明瞭さも重なり当時は話題にする者も多かったが、今では人々の忘却の彼方へ投棄されている。
「母さんただいま」
「ああ、お帰りケニー」
僕は笑顔を引きつらせないように注意しながら、もらってきた薬を机の上に置いた。あれから、僕はずっと兄として生活している。最初こそ抵抗があったが、今ではだいぶ慣れてしまった。むしろ、本当に僕がケニーなのではないかと自分でもわからなくなる程だ。だが、植物を動かせないという事実が、僕をいつも現実へ引き戻した。
「ケニーどこへ行ってたんだい?」
「教会だよ、母さん。薬をもらってきたんだ」
薬。その言葉を聞いた途端、母はがたがた震え出した。そして、椅子から立ち上がると、部屋の隅へ逃げようとする。
「いやよ!それを飲んだら...私、おかしくなって...」
「母さん落ち着いて」
僕は母をなだめようと、笑顔でゆっくり近づいた。あの日から、母は心の病を発症している。幻覚、不眠、挙げ出すときりがない。
せめて眠って落ち着いてもらおう。そう思い、僕は定期的に教会から睡眠薬をもらってきているのだ。
「母さん大丈夫だよ。これは母さんのために...」
「いや...いや!あなた!ケニー!誰かあの子を止めて!」
「ケニーは僕だよ母さん」
僕は少しづつ距離を詰め、一瞬のスキをついて薬を母に飲ませる。次第に母の抵抗する力は弱くなり、やがて瞼を閉じ、深い眠りに落ちた。
「おやすみ、母さん」
僕は母を寝室に寝かすと、手を洗いに洗面所へ向かった。ふと鏡越しに自分の顔が映る。ひどい顔。自分でもそう思えるほど、鏡の中の少年は歪んでいた。
いつからこの生活をしているのだろう、そして、いつまでこの生活が続くのだろう。母と父でコツコツしてきた貯金もそこが尽きてきた。薬自体は教会から格安で手に入るとはいえ、今の僕らには痛い出費には違いない。
「これでいいのかな兄さん。僕は...家族を守れてるかな?」
目の前の少年に尋ねてみても、返事が返ってくることは無かった。
「グリルさん、いつものをもらいに来ました」
「やあケニー君、いらっしゃい」
神父は振り返りもせず、挨拶を返す。まるで僕が来るのを分かっていたみたいだ。
しばらくすると、奥からいつもの睡眠薬、そしてもう一つ、見たことのない薬を出してきた。
「これがいつものね。それでこっちが...いわゆる安楽死させる薬」
「え?」
僕は自分の耳を疑った。今この人は安楽死と言ったのか?
「これは僕の友人が作ったものでね、ケニー君の役に立つかなと...」
「待ってください!」
僕はグリル神父の前に手を突き出す。
「それは母に使えってことですか?冗談じゃない!僕は家族を...母を守るために!」
「君は囚われているんだよ、その家族という存在にね」
僕の言葉を遮り、神父は話始める。
「君はお兄さんとの約束を果たすために、お母さんを守ろうとしているらしいけど、その約束が君を拘束してるんじゃないのかい?」
「なぜ兄のことを...」
ザインはあの火事で死んだ。僕はあれ以降ザインと名乗ったことは無い。なのに、なぜこの人は...
「約束は美しいものだ。互いを信じ合い指を絡めあう、人間の歴史は約束の歴史と言ってもいいだろうね」
グリルはカウンター上に置かれた薬を見やる。青色の睡眠薬が光に反射し、きらめいていた。
「だが、絡め合った指がほどけることは基本無い。君は指切りをして、約束が果たされた後、その指切りを解いたことがあるかい?まあ、普通は自然にほどけていくものだからね、そこまで気にしたこともないだろう。けど、君の場合は別だ。君の指は約束に絡めとられ、解けなくなっている。そこまでくれば、もう指を断ち切るしかないのさ」
「指を断ち切る...」
僕はもう一つの瓶を見る。内容物は透明で、うっすらと向こうが透けて見える。
「まあ、使うかは君次第だ。けれど考えてほしい、お兄さんなら、君になんとか生きてほしいと願うんじゃないかな?」
「ただいま、母さん」
「お帰りケニー」
いつものように母は答える。母は椅子に座り、お茶を飲んでいた。
「遅かったわねケニー。何かあったの...」
「母さん。母さんは...僕を誰だと思う?」
「...え?」
母はきょとんとした顔で僕を見つめる。
僕は拳を強く握りしめた。体が熱い。血が全身を駆けまわるような感触に僕は襲われた。
頼む、一言でいいんだ。たった一言、僕のことをザインと...
「誰って...ケニーでしょ?」
その言葉は、天国にいる兄さんからの合図のようにも聞こえた。
「...そうだね。ごめんね母さん、変なこと聞いて」
僕は薬の袋を持ったまま、自分の部屋へ向き直る。もう迷いはない。
「おやすみ、母さん」
僕はにっこり笑うと、母に別れを告げた。
目覚ましの代わりに、鳥のさえずりが夜明けを伝えて回る。ここは町の中心部からかなり離れた住宅街、いわば貧民街である。普段、こんな場所に教会関係者が訪れることは少ないため、皆好奇の目で道を歩く神父、グリルを見つめていた。グリルはそんな人々を気にすることなく歩き続け、ある家の前でぴたりと止まった。そして、軽くノックをした後、家に入っていった。
そこには、母らしき人物を腕で抱え、静かに泣く少年の姿があった。女性は眠っているような表情で、今にも起きて動き出しそうだ。机の下には、食べかけのパンが落ちている。
しばらくして、少年は口を開けた。
「睡眠薬と違って色がなかったので、パンに塗って食べさせました...いつもよりいいパンを買ったので...おいしいと言ってたくさん食べて...それで...」
崩れ落ちそうになる少年をグリルは優しく抱きしめる。
「つらい決断を...よくぞやってくれた。私は君を誇らしく思うよ」
グリルにこたえるように、少年は神父の背中を強くつかむ。
「...お母さんは、最期に何を?」
「よく聞こえませんでした...けど、こう言った気がするんです」
少年はグリルを見上げる。涙がグリルの服に落ちた。
「ザイン...と」
母親の白い髪は、朝の風を受け、カーテンのようにひらひらと舞っていた。
「君の面倒は私が見よう。実は、ある目的のために魔法が使える人材を集めていてね」
「目的って何ですか」
母の遺体は父と兄の墓の近くへ埋めた。せめて天国で、仲良く暮らしてほしいという少年の計らいだ。即席で作った十字架に祈りながら、少年はザインに尋ねる。
「それはね... 」
「そんなこと...ほんとにできるんですか」
少年の問いかけに、グリルはゆっくりとうなずいた。グリルの目標、それはこの世界を根本からひっくり返すような、馬鹿らしく、非現実的なものだった。それが、余計少年の興味を引き立てた。
「...わかりました。協力しますよ、僕のような人を増やさないためにも...ね」
「ありがとう。ええと...君のことは何て呼ぶべきかな」
グリルは隣で目をつぶり、祈っている少年を見やる。その顔には以前とは違い、借り物の感情は表れていなかった。
「僕の名前は、ザイン・アルバーツです」
その日、ザイン・アルバーツは生き返り、ケイン・アルバーツは再びこの世から姿を消したのだった。




