再会と疑惑
翌朝、俺は佐藤に会いに行った。
昨夜の居酒屋では遺書の概要を伝えただけだった。だが一晩かけて読み返した結果、いくつか気になる箇所が見つかった。佐藤に直接確認したいことがある。
佐藤の会社は新宿三丁目のオフィスビルにある。アスミールという小規模の広告制作会社で、社員数は二十人ほど。佐藤はそこで営業を担当している。
昼休みの時間帯を狙って、ビルの一階にあるカフェで落ち合った。
佐藤はスーツ姿でやってきた。ネクタイを少し緩めて、コーヒーを注文する。いつも通りの佐藤だったが、目の下にうっすらとくまがあった。
「眠れなかったか」
「まあな。お前があんなもの見せるから」
佐藤は苦笑した。
「気にしてないわけじゃないぞ。ただ、気にしすぎても仕方がないだろ」
「確認したいことがある」
俺はトートバッグから封筒を出さず、代わりにスマートフォンのメモ帳を開いた。昨夜、遺書を読みながら書き出した疑問点のリストだ。
「まず、お前の部屋の間取りについて。ワンルームだよな」
「ああ。六畳のワンルームにユニットバス」
「窓はいくつある」
「二つ。リビングの南向きの掃き出し窓が一つと、ユニットバスの高窓が一つ」
「換気扇は」
「キッチンの上に一つ。あとは浴室に一つ」
遺書には、すべての窓と換気口をガムテープで塞ぐと書いてあった。掃き出し窓、高窓、キッチンの換気扇、浴室の換気扇。この四か所を塞げば、部屋は密閉される。
遺書の記述は佐藤の部屋の構造と完全に一致している。
「お前の部屋に入ったことがある人間を、思いつく限り挙げてくれ」
「入ったことがある? えーと、引っ越しの業者は別として、友達なら何人かいるな」
佐藤は指を折りながら数え始めた。
「大学の同期だと、河瀬、お前だろ。あと中村と小林。会社の同僚だと、水野と宮本。あとは……」
佐藤が少し言いよどんだ。
「あとは?」
「織田圭吾。会社の上司だ。営業部で俺の直属にあたる」
「言いよどんだな」
「言いよどんでない」
「した。なぜだ」
佐藤はコーヒーカップを両手で包むようにして、視線を落とした。
「織田は、ちょっと変わった奴なんだ」
「変わった、というのは」
「悪い奴じゃないんだが、距離感がおかしいときがある。こっちが何も言ってないのに、俺が好きな映画の話を始めたり、俺が昼飯に食べたものを知ってたり」
「それは普通に気持ち悪いな」
「だからって犯罪者だとは思わない。ただ、ちょっと、うん、独特なんだよ」
織田圭吾。名前をメモしておく。
「織田はお前の部屋に何回来たことがある」
「三回くらいかな。飲み会の帰りに終電を逃して泊まったのが二回と、あとは引っ越しを手伝ってくれた時が一回」
「部屋の鍵の構造を知っている可能性は」
「あるだろうな。泊まった時に鍵を閉めてもらったことがあるし」
サムターンの構造を知っている人間。佐藤の部屋の間取りを知っている人間。佐藤の筆跡を真似ることができる人間。
条件を満たす人物が一人、浮かび上がった。
だが、まだ断定はできない。
「織田のことはあとで詳しく聞かせてくれ。もう一つ確認したい」
「ああ」
「遺書の最後に、赤い糸で縁を結び、永遠の眠りにつく、という一文がある。この表現に心当たりはないか。お前が誰かに言ったとか、どこかで書いたとか」
佐藤は首を傾げた。
「ないな。そんな気取った言い回し、俺はしない」
「だよな」
「でも、赤い糸って言い方は気になるな」
「何が」
「織田が前に言ってたことがあるんだ。酔った時だったけど。人と人の縁は、赤い糸というよりは鎖みたいなものだって。切ろうとしても切れない、逃げようとしても追いかけてくるって」
背筋が少し冷えた。
「それを言った時の文脈は」
「覚えてない。ただ、妙に真剣な顔をしてたのは覚えてる」
赤い糸。縁。切れない。逃げられない。
遺書に書かれた一行が、織田の言葉と重なる。
「佐藤。もう一つだけ聞いていいか」
「何だ」
「お前、視線を感じると言っていたよな。それはいつ頃から始まった」
「二週間くらい前からだな」
「何かきっかけはあったか。誰かと揉めたとか、何かを断ったとか」
佐藤は天井を見上げて記憶を探るような仕草をした。
「あったかもしれない」
「何が」
「二週間前、織田に飲みに誘われたんだ。でも、その日は別の予定があって断った。断った時の織田の顔が、いつもと少し違った」
「どう違った」
「笑ってたんだけど、目が笑ってなかった。そのあと一週間くらい、織田のほうから話しかけてこなくなった。今は普通に戻ってるけど」
佐藤のコーヒーが冷めていた。俺のコーヒーも同様だった。
「警察に相談しないのか」
佐藤がそう聞いてきた。
「相談しても動かない。遺書が届いただけでは事件にならない。犯行予告ですらない。書かれているのはあくまで自殺の手順であって、殺害予告じゃないからな」
「じゃあ、どうする」
「俺が調べる」
「河瀬が?」
「フリーライターを舐めるな。調べることだけは得意だ」
佐藤が少しだけ笑った。だが、目の奥には不安が残っている。電話の時には気づかなかった翳りが、対面だとはっきり見えた。
「お前、本当は怖いだろう」
佐藤は答えなかった。コーヒーカップを置き、時計を見る。
「そろそろ戻らないと。午後イチで会議がある」
「織田も同じ会議に出るのか」
「いや、部署が違うから。でも、同じフロアにはいる」
「今日、織田の様子を見ておいてくれ。何か変わったことがあったらすぐ連絡しろ」
「わかった」
佐藤が立ち上がる。
「河瀬」
「何だ」
「ありがとな。お前に話してよかった」
佐藤は手を振って、エレベーターホールへ向かった。背筋を伸ばして歩く姿はいつも通りだったが、足取りがわずかに速い。急いでいるのか、あるいはこの場所から早く離れたいのか。
一人になった俺は、冷めたコーヒーを飲み干した。
織田圭吾。
佐藤の会社の同僚。隣の部署。独特な距離感。佐藤の部屋に三回入ったことがある。赤い糸、という言葉を使ったことがある。
状況証拠にもならない断片ばかりだ。だが、断片が集まれば輪郭が見えてくる。
カフェを出て、駅に向かう途中でスマートフォンを取り出した。
検索窓に「サムターン回し 外部からの施錠方法」と入力する。
表示された結果を読みながら歩く。
サムターン回しとは、ドアの隙間やドリルで開けた穴から道具を差し込み、内側のサムターンを回して施錠または解錠する手口だ。防犯の文脈では「サムターン回し対策」として知られている。
だが、俺が知りたいのは防犯対策ではない。
外側からサムターンを回す方法だ。
遺書の台本では、自殺に見せかけるために部屋を密室にする必要がある。内側から鍵がかかっている状態を作り出さなければならない。
犯人は外からサムターンを回す手段を持っている。
そして、その手段は遺書の中にヒントとして書かれている。
赤い糸で縁を結び。
糸。
紐。
同封されていた赤い紐。
頭の中で点と点が線で繋がりかける。だが、まだぼんやりとした輪郭でしかない。
もう少し情報が必要だった。
Xデーまで、あと二日。




