89 後継者のお役目
ドラブの粛清もようやく終わりを迎えた頃、秋晴れの中再開されたレッドフォード侯爵家主催の大規模な茶会。
義母上でなく私の名によるその茶会とは、父上からの命で開かれたひと際豪勢なものである。その意味するところが分からぬ者などこの社交界には一人としておりはしない。
ふん、つまらぬ茶会だ…。だがこれも侯爵家嫡男本来の務め。
父上もこうして私の母を娶られたのだ。愛は無くとも互いに敬愛を持っていたと、そう話しておられたではないか。テオを娶る娶らぬさておき私は後継を考えねばならぬ。
だがどうだ、この浅ましい令嬢たちは。
あっさりとその手の平を返し、あれほど悪しざまに吹聴したテオドールにさえ愛想を振りまく節操の無さだ。
「品性の欠片もないな…」
「まったくですね。ハインリヒ様、テオドールお兄様を大切にされる方でなければ僕は歓迎できませんよ」
「言われなくともそのつもりだ」
それにしても問題はそのテオドールだ。
私との関係を見直したことにより、以前にも増して甘えてみえるのは気のせいではないだろう。やはり私の考えは間違っていなかったようだ。
「お兄様~!」ポスン
背中に感じるテオの体温。このような振る舞いなどここ数年のテオでは考えられなかった。
ふふ、やはり兄である私に警戒心は抱かぬのだな。
「どうしたんだいテオ?気に入ったお菓子はあったかい?」
「うん。あ、けど僕の作ったポテチを食べてくれた人が居てね、」
「ほう?あの芋菓子を…。奴隷芋などご令嬢がたには不評かと思ったのだが…。誰だいそれは」
「会いたい?良い人だったよ、連れてくるね!お兄様お願い、その人に誰かお婿さん紹介してあげて!」
「おやおや。随分気に入ったのだね」
そうしてテオに連れられてきたその令嬢は今まさに没落に手をかけた目立たぬ地方の一貴族、モーリィ伯爵家のご息女だった。
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最優良物件のお兄様がついに開いた大規模な茶会お見合いパーティー。
狩猟解禁とばかりに目を光らす令嬢たちは、お兄様への取成し目当てで、溺愛している弟である僕を追いかけまわしてた。
うんざりして思わず隠れた立木の向こう側。
その時だ。いきなりテンションの高い女性の声がどこからともなく聞こえてきたのは。
「いやぁん、テオドール様だわ!」
ビクッ!な、何事!
「まぁぁ!噂通りね!かっわい~い!ちっちゃ!さ、触っても?その髪触ってもいいかしら!あ、いいえダメね…偶像は触れてはいけないのよ。落ち着きなさいオリヴィア…」
あ、圧が強い…
このご令嬢はなんだか前世のお姉ちゃんを思い出させる。
けど、過剰に好意的なのは伝わってきた。だからとりあえず返事をすることにした。
「かっ、髪くらいなら触ってもいいけど…あなた知らないの?僕がこの間まで何て言われてたか」
少し時代遅れなドレスを着たどこかのご令嬢はギラギラした目で僕を見ている。
だけどそのギラギラは嫌な感じじゃなくて…そう。まさにお姉ちゃんが推しを見るときのような、そんな腐女子味を感じさせる。
「ああ、聞いたことはあるけど気にしないわ。わたくし自分の目で見たことしか信じないことにしているの。そもそも我が家は他家に構っていられるほどの余裕がなかったもの。あなたのほうこそ聞いたことは無いかしら?」
「な、何を?」
「モーリィ家は借金だらけで首が回らず没落寸前だって噂。まあ噂でなく真実だけど」
「し、知らない」
っていうか社交界のことなんてほとんど知らないよ…
「人のいいお父様はよせばいいのに怪しげな投資話を真に受けてあっという間に財産を減らしたの。そのうえあの騒ぎでしょう?ドラブ家は金貸しから多額の借財をしてたのよ。回収できなくなった金貸しは屋台骨が危うくなり、我が家のような小口にまで今直ぐ返せと言ってきたわ」
こ、こんなところにまでドラブ家の影響が…。これってまさに『風が拭いたら桶屋が儲かる』ってやつだよね?
「何もかも差し押さえられてもう我が家には新しいドレスを作るお金なんかないわ」
「なのに来たんだ…」
「だからこそよ。だからこそこんな古い母のドレスに袖を通し恥を忍んででもやってきたのよ。あわよくば嫁ぎ先を見つけられないかと思って。それともう一つ…」
「もう一つ…?」
「どうせ貴族でいられるのもあと少しよ!それなら今のうちに神のギフトと名高いテオドール様を拝んでおこうと思って!」
「ええー!」
「今さら怖いものなんてないわ!ああん、柔らかそうなその髪…触っていいとおっしゃったわね…」ジリ…
「うっ!」
ハンターだ!本物のハンターが居た!これは得物を狙う目だ!
「それよりその手のお菓子は何?ずいぶん美味しそうな…」
「ハッ!そ、そうこれはポテチだよ。僕が作ったの。だけどご令嬢たちはお芋は食べないって。御免なさいって笑ってたけどむしろ鼻で笑われた気がする…」
「お芋…奴隷芋のことかしら?一枚頂ける?」パリ「あら美味しい」
おお!初好感触!
「そっ、そうでしょ!美味しいよね!でもいいの?奴隷芋は食うに困った人しか食べないって聞いたよ?」
「食うに困る…我が家のことじゃないの。じゃぁわたくしが全部頂くべきね」
「えっ!そっ、あー…いいけど…あの、お土産に包もうか?」
「そうしてくださる」
ず、図々しい…だけどこのたくましさは嫌じゃない。取り澄ました令嬢たちよりずっと話しやすい。
「お兄様にはもうご挨拶したの?」
「侯爵家の嫡男様にはさすがにお会い出来ないわ…。こんなみすぼらしい恰好では失礼ですもの」
ドレスで序列が決まるなんて貴族の悪しき習慣だよ!
「でもいいの。最初からそんなつもりはなかったから。招待されてる他の…そうね、もう少し釣り合いの良いご子息方と少しだけお話しできれば…そう思っていたのだけど…それすら無理そうね」
「え、だってせっかく来てくれたのに…。待ってて!僕お兄様に聞いてくる!誰か紹介してもらおう?そこに居て!」
「待って!あっ、テオドール様!」
こうして僕はそのお姉ちゃんに似た令嬢をお兄様に引き会わせたのだ。
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モーリィ伯爵家のご息女はオリヴィアと言った。
ふむ、古い型のドレスではあるが丁寧に保管されていたようだ。
しかし噂はおおむね真実なのだろう。新しくしつらえることも既に出来ない様子。
モーリィの領と取引はあったか?父上に報告しておかねば。
だが待て。目の前の令嬢は姿勢も良く健康そうだ。顔立ちも決して悪くない。振る舞いも…没落寸前にしては毅然とした佇まいだ。たとえ負債付きだとしても声をかければ嫁にと望む者は恐らく居るだろう。
それにしても妙にテオドールが気安い…
「ねぇねぇオリヴィア~、こっちのこれも食べてみてよ。これもお芋で作ったの。芋きんとん!これ救護院でも大好評でね」
「あら美味しい、というかすごく美味しいわ。ちょっと、そっちのも取って下さる?」
「…オリヴィア様?お腹がおすきなら軽食でもお持ちしましょうか?」
「それはそれ、これはこれよ。アリエス様、女性の甘味は別腹ですのよ」
「そ、それ、同じセリフ……、お…お姉ちゃん…!」
「お姉ちゃん⁉」
「お姉ちゃん…だと?」
驚いた。
人見知りの激しいテオが初対面でこれほど胸襟を開いたのは初めてのことだ。
テオの焼き菓子を喜んで頬張る姿にほだされたのか?テオに対し偏見の無い様子が良かったのか?
いや、偏見どころかこのご令嬢、隙あらばテオの髪に触れ、さっきなどあの柔らかな頬をつまんでいたではないか…けしからん!だがテオドールは少しも嫌がっていない…だと?
…テオドールは懐いた相手を勝手に兄弟と呼ぶ癖がある。公爵家のデルフィヌスにもお兄ちゃんと愛称を付けていた。
ではこの令嬢も?すでに領域に入れたというのか。
ふむ。翌々考えればこの令嬢…私に対し余計な秋波を送って寄こさないのは実に都合がいい。
誰か紹介してあげてとテオは言ったが…むしろこの私と二人で話す必要があるだろう。
これは互いに降って湧いた幸運だ。
彼女が賢い人ならば、これはモーリィ家にとっても救済だ。
茶会を開いた甲斐はあったと、そう独りほくそ笑んだ。




