88 新しい学院生活 9月
今日から始まる新学年。こんなに清々しい気持ちで支度をするのは学院に入って以来初めてだ。
「ハインリヒお兄様、今日から二学年頑張ります。そ、それでこの間話した、その、演習だけど…」
「ああ。無理の無いよう頑張りなさい」
ダメか…
「うう…頑張ります…」
「ハインツ様…?何をしておいでですか?」
「…テオドールの服を着せているのだ。テオドールにとっては今日から本当の学生生活が始まるのだ。気合を入れねばね。ほら顎を引いて」
「おっ、お兄様!髪は!髪は僕が整えます!良いですよね?」
アリエスの剣幕に久しぶりに本邸に戻って来た僕の専属侍従ウォルターが肩をすくめる。
そして長年僕の側付をしてた従者はいつの間にか執事見習いとなっていた。
まじかぁ…彼は良くも悪くも余計な事はしない要領の良いタイプで能力はそんなに…そうか、要領がいいからかっ!
講堂では去年の僕みたいな新入生が列をなしてやってくる。そしてそこで見た新しい学院長は…
「せっ、先生っ!家に来てくれていた先生だ!やったぁ!せんせ~い!せんせー!え~、先生ってそんな偉い人だったのぉ?」
ああ、でも学術院の教授って言ってたし、お母様が雇った人だもんね。すごい人に決まってる!
「落ち着いてお兄様。嬉しいのは僕も同じですけど飛び跳ねてはいけません」
「生徒会役員は後で挨拶に行くんだ。テオも連れて行ってやろう。会いたいんだろう?」
そして今年は会長挨拶と王子の挨拶がニコイチのため、去年より早く終わったスピーチの後、一年前よりもさらにスキルアップした大きな歓迎の魔法が披露された。
ちなみにアルタイルは副会長となり来年の会長就任がほぼ確定である。
新しい学年からはフロアーも一つ上がる。新い教室、新しい本。
今年からは選択授業が中心となって、残念ながら大半の授業はみんなと離れ離れだ。
アルタイルはそのこともあって、一学年のうちに解決したかったんだと言っていた。
彼は本当にかゆいところに手が届く孫の手のような存在だ。
そのアルタイルは召喚術を選択している。いつか僕に風の精霊シルフィーヌを見せてやるってそう言って。
これはあれだ、いつか僕がデルフィと約束した水の精霊ウンディーヌに対抗してると見ていいだろう。
そしてタウルスは魔法工学。魔道具や武器についてもっと詳しく学びたいって言ってたけど…僕ってば、もう武器はお腹いっぱい。
アリエスは古代魔法だ。魔法をとことん極めるならそれが最も最適に違いない。
独りぼっちで薬学の授業受ける心細げな僕の為に、みんなクラスは別なのにこうしてギリギリまで付いててくれる。それはとても嬉しいけどいつまでも甘えてはいられない。
困っていた僕に声をかけてきたのは演習事件で親しくなったあのチームリーダーだ。
「テオ君お久しぶり。この夏は散々だったね。ドラブ家は一門ほとんどが粛清対象になったようだよ。家のつながりが強すぎるのも考え物だね」
「リヒャルト君…良かったぁ…クラス一緒だったんだ。ねぇねぇ、隣に座って。そうだ!あの子は?バッハ男爵令嬢はどうなったの?」
「コリーンは…学院を退学になったよ。お家は処分を免れたみたいだけどもう陽の目は見れないだろうね。婚姻相手すら見つかるかどうか…」
「すり寄る相手を間違えたよね。バカだなぁ。セリッシュ嬢なんてわかりやすくやばかったのに」
「あの頃はテオ君がやばいって思われてたから」
「そっか、あはははは」
「テオドール…お前…前から思ってたがよくもそこで笑えるな。大物と言うかなんというか…」
タウルスのあきれた声が頭の上から降ってくる。何とでも言って!
それにしてもクラスの他の子たちはいまだに僕を遠巻きにする。だけど前の感じとはまた違って、ヒソヒソじゃなく、チラチラ見ては横を向いてまたチラチラ見ては下を向く。う、うっとおしい!
そうしたら一人の令嬢がこちらへとやって来た。
「あ…あの…」
「なぁに?」
「今までの事ごめんなさい…。勝手に怖がって勝手に避けて…。だって皆そう言ってたし私たち全然知らなくって。その、あれがセリッシュ様の仕掛けたことだったなんて。でもほんとは少しおかしいなって思ってたんです。だってテオドール様は私たちを見下したりなんかしなかったし。セリッシュ様の取り巻きに入った後のコリーンさんの方がずっと…その、横柄で…」
「…いいけど……もう避けたりしないでね」
「は、はいっ!」
悲しいかなモブキャラの運命だもんね。場面の展開に都合が良いよう簡単に立ち位置を変えるだけ。
僕だってゲームをしながら思ってた。変わり身早!って。
でもそういう仕様…仕方ない。けどモブキャラの位置をキープできた彼女らはある意味勝者。重ね重ねコーリン嬢の残念臭が拭えない。あそこでクラスチェンジさえしなければ…
「あれだけの目にあっておいて…すごいなテオは」
「お兄様は寛大なのですよ。ふふ」
タウルスだけじゃない。アルタイルもあきれてる。
だって僕が悪役になっちゃうのはゲームの設定で仕方ないってほとんど諦めてたし、僕は断罪さえ回避出来れば全然それで良かったし。
それより今は呪縛から抜け出した生活を、どうやって楽しもうかって頭の中はそればっかり。この世の春ってこういうことを言うのかな?
「それよりどうですか今日の髪。編み込みにしてみたんです。お兄様の愛らしさが際立って見えるでしょう?」
「アリエスは器用だよね。ねぇどうかなリヒャルト君。編み込み似合ってる?」
「そっ、その、すっごく似合ってる!編み込みのおかげで顔がはっきり出て…その、ふわっと髪が顔にかかるのもいいけどせっかくのきれいな顔が隠れるのはもったいないなって…実は前から思ってて…」
リヒャルト君は背格好が僕と同じくらいの弱弱しい子だ。カバンに可愛いワンコの編みぐるみをつけてるし、きっと右側。だからかこうして隣に座ってもアリエスたちも何も言わない。
「いかがです?良く似合うでしょう?」
「アリエス様がこれを?」
「僕たちは非情に仲の良い兄弟ですから」
今日の朝は大変だった。お兄様とアリエスに二人がかりで構われまくって。
あんなお家事情があったせいか、二人はいきなり兄弟愛に目覚めたようだ。
正直言うとちょっとうっとうしい。
だけど、お兄様とアリエスがせっかく歩み寄っているようだから、ここは僕が橋渡しする場面だよね。これくらいなんともないよ。
「それにしてもコリーンは馬鹿ですね。殿下の婚約者であるテオ君に不敬だと思わなかったのでしょうか」
リヒャルト君の言葉に反応したのはアリエス。でも返答は斜め上だ。
「婚約者…まんまと殿下の計略に乗せられましたよ…なにが仮の婚約ですか」
「十六までに解消するんじゃなかったのか」
「お前ら…本気でそんなこと信じてたのか。馬鹿だな、王家との婚約がそう簡単に覆る訳が無いだろう。だからセリッシュ嬢もあれだけのことをしでかしたんだ。どうにかしてテオドールを引きずり降ろそうと」
「タウルス様は分かってらしたんですね。それにしても本当に殿下は弁がたつ」
レグルスと結婚…ああ、あったね、そんな話。まさかね。そんなのありえない。だけどレグルスは本気だ。でもなんで?
ああーっ、もういい!どうせ考えたってわからない。
きっと明日の僕は今日の僕より一日分成長してるし、来月の僕ならもっと成長してるに決まってる。
そして八か月後ならもっともっと…今の僕が考えるより成長した未来の僕のほうが良い考え浮かぶに決まってる!
明日からの学院生活に希望しか持てなくていろんな問題を先送りにする。
明日の僕も僕なんだからその能力値は変わらないのに…
今日より未来の僕の方が賢くなるなんて決まりは…本当はどこにも無かったのに…




