79 レッドフォード家①
「話はまだ終わっていない。侯爵及び侯爵夫人、私はテオをこの成人の儀を持って正式な婚約者とするつもりだ。疑いは晴れた。問題はないであろうな?」
「大有りですとも王太子殿下。テオドールの此度の騒動、たとえドラブ侯爵家の断罪が済んだとてすぐに収まるとは思えませぬな。大貴族の中にも根強く残るテオドールへの忌避感を無かった事には出来ますまい。ならば一旦白紙に返し改めて選定を行うが最も禍根を残さぬ道。そうではありませんか?」
レグルスはすごい…あの怖い目をしたお父様に怯みもしないでよくもここまで言えるもんだ。
って言うか、どさくさに紛れて何言ってんのー!これは仮の婚約でしょうがっ!
「いったん白紙に戻した隙に…ハインリヒとの婚儀を進めるのだな?侯爵、何故そこまでテオドールと息子の婚儀に固執する。家名に泥を塗ってまで執着するのは何故なのだ?」
そこに割って入ったのは令嬢を見送り戻ったデルフィ。
「多少の調べはついている。アリエスの離れに居たという療養していたデイビッド氏、彼はあなたの忍び人か?あの離れに匿い逢瀬を続けていたのか?」
お父様が固くこぶしを握る。
「彼、亡くなられたデイビッド氏は侯爵夫人、テオの父親なのだろう?一体何がどうなっている?」
は、はぁ?
デルフィがとんでもない爆弾を投下してきた。
えっ?何その話?一体今日だけで何回の爆撃受けたらいいの?
HPバーはもうすでに危険水域。あとほんの少しのダメージでゲームオーバーになりそうだ…
デイビッドさんがお父さん?お母様は言わなかった。ううん、誰も言わなかった。
こんなの初耳なんですけどー!
キョロ…隣に居るお兄様へ視線を向ける。だけどそのお兄様さえも驚きに目を見開いていた。
「まさかと思うが、…テオとハインリヒ、その姿にかつての己と恋人を重ねていると言うのではないな?」
「止すのだ!私たちはそのような下世話な関係などではない!」
「だが実際に彼はあなたの」
「おやめくださいレグルス殿下、そしてグリーンベルのご令息も!」
辛そうなお父様を庇うかのようにお母様が立ち上がる。その姿はまるで盾のようだ。
「これ以上、旦那様、そして亡くなられた奥様を愚弄するのはたとえ殿下であっても許しません。旦那様は奥様に最後まで誠実に向き合っておられました。旦那様はただ彼の、デイビッドの夢を叶えたかっただけなのです。年々デイビッドそっくりになるテオドールの姿だけが旦那様にとって何より辛く、そしてただ唯一の生きる動機だったのですから」
お母様の言葉に僕の頭は混乱してる。
お父さんの友人デイビッドさん…。それなら何故誰も言わなかったのか?僕の侍従も、家令のステュアートだってそんなの知ってたはずなのに。
辛いって言った、僕の姿が…似てくる僕を見るのが辛いって…。そうか、きっとそういう事なんだ。
当主夫人、お母様による箝口令…それはお父様の心の傷をえぐるから…
聞けば誰かは教えてくれたかもしれない。だけど僕は何の疑問も持たなかった。父親の不在はゲームの設定。だから僕は関心すら持たなかった…
「ディビットはレッドフォードで畑を耕す小作人の息子でした。彼は若い頃からすでに虚弱で、彼の親はわたくしの生家、まだ爵位を賜る前のスタンリー商会に何度も金銭を借りに来ておりました。そしてわたくしはと言うと、隣の領の次期侯爵、若きドルフから「ラクシアンの領地では碌な娯楽も無いだろう」と何度も狩りに呼ばれていました。そんな身分もばらばらのわたくし達でしたがある日思いがけずに縁を持ち友人となったのです」
お母様の静かな語り口調にその場の全員が引き込まれる。なんてことだ。お母様には語り部の才能があったらしい。
「わたくしは次期領主として立派に務めを果たされる若きドルフをいつしか愛しておりました。そして繊細で人の心の機微に聡い優しいデイビッドのことも大好きでした。ドルフがデイビッドに愛情を抱いたのはすぐに気が付きましたしデイビッドが同じ気持ちであることも分かりました。その時からわたくしとデイヴィッドは友人と言うより、同じ人を愛す同志のような、そんな関係だったのです」
お父様とデイヴィッドさんは両想い…
それを傍で見ているお母様は辛くなかったんだろうか?僕ならきっと耐えられそうにない。
僕の視線に気が付いたのか、お母様がこちらに視線を宇起こす。
「おかしいかしらテオドール?当時のわたくしはどれほど裕福でも平民位。名門侯爵家のご嫡子との未来など考えるのも不敬と言うもの」
そ、そうか…、お母様の生家はその後お金で爵位を買ったんだった…
「もちろんデイビッドもただの平民、デイヴィッドはわきまえておりました。またドルフも筆頭侯爵家、名門としての立場を捨てることなど出来なかった。互いの心を知りながらも二人は最後までその想いを言葉にする事はなかったのよ」
顔を伏せたままお母様の話に聞き入るお父様。今その胸には当時の想いが蘇っているんだろうか…
「わたくしとデイヴィッドは叶わぬ想いを胸に抱いたそんな同志だった。そしてドルフは…名家でありながら後継者に恵まれず今にも没落せんとしていたミッドグレー伯爵家から援助と引き換えに一人娘のご令嬢を娶られたのです。レッドフォードの前侯爵は資源豊かなミッドグレーの領地を欲しておりましたから」
目をつむったまま静かに顔をあげたお父様は、前夫人への想いを言葉にしていく。
「だが私は妻サディに対し、愛していたとは言わぬが深い敬意を持っておった。それはサディも同じこと。大貴族家の子女としてお互い教育を受けてきた身だ。高位貴族の務めを果たし領地と民を最も大切な宝として互いを常に尊重しあっていた。そこには確かに絆はあった。あったのだ…」
僕は思わずお兄様の手を握っていた。理由なんかないけどなんとなくそうしなきゃって思って…
「そうしてハインリヒが生まれ私たちは二人で共に慈しんでいた」
「その頃わたくしはすでにスタンリーの娘からラクシアン男爵令嬢となっており侯爵様の計らいでハインリヒの世話係となっておりました」
「私はサディを家族として…燃えるような愛ではないがとても大切に想っていた。だがもともと持病のあったサディは産後の身体がなかなか回復せずある晩高熱にうなされ…あっと言う間だった。ハインリヒはまだ二歳にもなっていなかったというに…。ミッドグレーは早世の家系だったのだ。分かってはいたが思った以上に早すぎた…」
亡き母親の話が出たことでお兄様は強く僕の手を握りしめた。その手は少し痛かったけど振り払う事なんてとても出来なかった。
「その頃ですわ、ディビットまでが倒れたのは。サディ奥様の療養や葬儀。気落ちしたドルフを励ます中、彼はどんどん弱っていきました。その病状を案じたドルフはデイビッドまで失いたくは無いと考え、先代様から王都の屋敷を任されたのを良い機会に、医療の揃った都へ強引に彼を連れてまいりました。そしてあの離れをお与えになったのです。回復を祈り、病を祓うといわれるパウサントの木を植えて…」
あの離れを囲むように植えられたパウサント。
アルタイルは貴重と言った。ジローはあれを高価と言った。
離れにはそんなパウサントが所狭しと植えられていた。あれはお父様の気持ち。どれほど彼を助けたかったのか…
「それでも一向に回復しない彼はある日遠くを見ながらこう口にしたのです」
『ドルフと結ばれる未来が見たかった…せめて僕に似た子がいればよかったのに…その子はきっと君の息子と出会って想いを実らせたに違いないよ…ねぇそうだろう…?』




