74 春の嵐 5月
余り気乗りはしなかったけど、大好きなデルフィの誕生日会だからちょっとだけ顔出してお祝い渡して帰ろうって…、そう思って清水の舞台ならぬスカイツリーから飛び降りることにした。
初めての公爵家。
ここのお屋敷もかなり大きいんだけど、レッドフォードのお屋敷ってばやっぱりちょっとレベチだよね。
今日の夜会に出るって言ったらお兄様からもお母様からもダンス禁止命令が言い渡された。
心配しなくてもダンスなんて頼まれたってもうしないのに。僕はほら…リズム感があれだから。
それにしても…プレゼント渡してさっさとここから帰りたいのに、主賓のデルフィとVIPのレグルスには次から次へと挨拶の列が伸びてまったく途切れる気配がない。
フワ…
「ん?あれ?」
「どうしましたお兄様?」
「どっかからオピオンの香りがする…」
「オピオン?」
「お花だよ。ここだけの話ちょっとヤバいお花ね。その花から採れる樹液はお薬に使われるんだけど使い方をひっくり返すと悪いお薬になるの。だから王室の医局の庭以外では栽培禁止になってるん…だけど…」
なんだってこんなところで匂うんだろう?
「この香ばしい匂いの事ですか?」
「んん?なんかすぐ近くで…あっ」
「なんだね君は…ああ、レッドフォードの悪童か」
「悪っ、…ふ、ふんっ!別にいいもん。何言われたって気にしないんだから。それよりなんであなたからオピオンの香りがするの?ここは王室のお庭じゃないし同じような匂いの花なんてありえないのに」
するとどうだろう。その男の人は僕の言葉に血相を変え、いきなり僕を指さし叫びだした。
「オピオンだと!何故お前はオピオンの香りを知っているのだ!ああそうか!やはりあの噂は本当だったのだな。怪しげな薬で男どもを操っているという噂は!」
「ええっ!いきなり何なの?それは違うってちゃんと言ったよ!僕の薬は悪くない。レグルスにだって全部提出した!」
「その殿下すら篭絡されておると言っているのだ!気の毒に、イエローダル侯爵もお前に惑わされたご子息の素行に手を焼いているではないかっ!」
「…ぼ、僕は…」キッ「僕は悪いことなんてしてないっ!何にも知らないくせに勝手なこと言うな!オピオンの香りがするのはそっちじゃないか!」
「だからお前は何故オピオンの香りを知っている!花の香りを記憶するなどそうとう精通せねば覚えぬわ!」
「あ、で、う…」
「お兄様は薬学の専攻でありその知識は随一です。教授から特別な薬草をお見せいただくことも一度や二度ではありません!」
上手く言葉が出ない僕に代わってアリエスが反論する。
オピオンの花の香り…それは前世で大好きだったカフェオレの香り。それはこの世界で他には無い香り。どうして知ってるって…、だってそれは…
「私が見せたのだ。テオドールに王室で栽培しているオピオンを。テオドールは薬学に造詣が深い。きっと役に立つだろうと思ったのでね」
「ほう殿下、あなたがお見せになられたのか…、それはいつ、いかほど、どれほどの時間?」
「何だと…、ノイラート伯、其方王太子であるこの私を疑うか!なんと不敬な!」
「殿下を疑ったりなどするはずもございませぬ。されど殿下、あなたの目を盗みテオドールが手折っていないその保証がどこにあるというのか」
「私の言葉だけでは不十分だと、そう言うのだな」
「よいか諸君!殿下はじめその親衛隊をつとめるご友人も皆テオドールに篭絡された!この国の社交界はなんとお先真っ暗であろう!」
「やめてっ!」
僕のことならいい。どうせテオドールは悪役令息だもの。だけどみんなは…、攻略対象者のみんなはヒロインを護る正義の味方で…
「違う違う!アルタイルもレグルスも篭絡なんかされてない!タウルス、デルフィ、何とか言って!誰も僕なんか好きじゃないって!」
だけどタウルスが返した言葉は火に油を注ぐようなもので…
「テオドール…たとえ嘘でもそんなことは言いたくない。だが俺は篭絡などされていない。ハッキリとした自分の意思でお前の側に居たいんだ」
バカバカバカ!タウルスのバカ!嬉しいけど今は嬉しくない!
「タウルス!この馬鹿息子!侯爵家の嫡男がなんという分別の無い真似を!良いから来るのだタウルス!その性根を入れ替えるまで家から出さずしごいてくれる!」
当主である騎士団長に引っ張られていく嫡子タウルス。だから言ったのに!
「ほうら、ご覧になって皆さま。こんなふうにこの謀略に長けたレッドフォードの令息は学院内で何度も何度もおかしな薬を作っては皆を惑わせ取り込んでおりますのよ。お気をつけあそばせ」
声の主は招待客の一人。僕を目の敵にするドラブ侯爵令嬢だ。
その声をきっかけにして一斉に集まる多数の視線。刺すような視線がいたたまれなくて…思わず僕はその場を逃げ出していた。
あああ…僕のバカっ!逃げちゃダメだって分かってるのに、これじゃ悪い噂を認めてるみたい。
だけどあれ以上あの場所に居たらなんだか断罪が始まりそうで…すごくすごく怖かった…僕は怖かったんだ。
途中で誰かにぶつかった気がする。だけど…
滂沱の涙で僕の視界はオーシャンビューだ…
ぶつかったのは僕のはずなのに後ろから謝る声が聞こえてくる。
ああ…やっぱり僕は怖がられてるんだ。悪役令息テオドール、どうしてもその汚名からは逃げられない。
…もう…もう何にも聞きたくないよ…。会いたいジローに…
「すまない…本当にすまなかった…。こんな事になるなんて思わなかったんだ…」
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言ってやったわ、あぁいい気分。泣きながら逃げ帰るなんて傑作ね。
ほーらご覧なさい。テオドールが消えた途端にレグルス王子がいらっしゃったわ。
「セリッシュ嬢…」
「まぁ殿下。今日のお召し物もとっても素敵でございますこと。高貴な金がとてもよくお似合いですわ」
「近寄らないでくれないか」
「ま!」
「ありもしない事実をあたかも真実のように声高に叫び人を貶めるとは…想像以上に見下げたものだ」
「え?で、殿下!お待ちになって殿下!」
まるでわたくしが悪いみたいに…どうしてなの!
テオドールも居なくなってせいせいしたところで今からダンスにでもお誘いしようと思ったのに…ギリ…何がいけないと言うの!
「…くっ、これも全てテオドールのせいですわ!あの野蛮人さえ居なければ!」
「セリッシュ様、きっと殿下は従兄弟であるデルフィヌス様の会が荒れたことで虫の居所が悪いのですわ」
「そうね。そうに決まってる。そうだわ、ねぇ貴女方…テオドールに」
ここまで思い知らせたのですもの。駄目押しの一つもしておくにこしたことはないのではないかしら。
「あ、の…セリッシュ様、わたくしお命に関わる事はもう…。あの演習ですけれど封印の祠が壊れているとは知らなくて…、わたくしその、殺してしまったかと気が気でなくとても恐ろしくて…」
パシッ
「祠がなんですって!…滅多な事を口にしないでくださらないかしら…」
「…っ…」
「くっ!良いわ、もう結構。見てなさいテオドール、次はわたくし自身の手で最後の引導を渡して差し上げる…」
わたくしあれから考えましたの。
闇ギルドを通そうとするから上手くいかないのよ。直接武器商に渡すのが一番間違いない方法ではないかしら。
それにしてもなんとも良いタイミングだったこと。この設計図を手に入れられたのも日頃の行いですわね。
「やあ。待たせましたなお嬢さん」
お嬢さん…ですって?なんと不躾な物言い。これだから下賤の者は嫌なのよ。
「ドラブ家のこのわたくしを待たせるなんて随分失礼な方ね。貴方がギルド長から伺った商会の会頭かしら」
「ああそうだ」
「まぁいいわ、闇ギルドの方々は結局あれらを上手く流せませんでしたの。危険な組織と聞いていたのに随分とお粗末なものですのね」
「ほう?我らを見縊るか、この小娘め」ギロリ
ビク「ほ、ほら!これがあの野蛮人が描いた武器の設計図よ。確かに渡しましたからね。早く隣国へ戻ってばら撒いてちょうだい!」
「…まあよい」
「その際必ず忘れないでくださいましね、製作者の名前を」
「テオドール、テオドール・レッドフォードでございますな」
「そうよ。稀代の悪神テオドール。必ずそう言い添えるのよ!」
ああ嫌だ、野蛮だこと。
わたくしは足早にその場を離れることにした。だからその男が吐き捨てた言葉など少しも聞こえなかった。
「武器商人に身分を明かすなど…足元をすくわれるとは思わないのだね。あの頭の弱いお嬢さんは」




