68 本物の悪いお薬
この国を統治する王、リゲル・ヴィモス・コスモー。
三千年と続くこの国を、父はいくつかのしがらみに縛られながらも、大きな問題を起こすことなく安寧に治めてきた。
現王の資質はその高い統制力にこそあり、必要な人員、物資、時間、配置を考え、行動を監視、または指示することによって合理性を高めていく。
だが実際には、その合理性はこの貴族社会ではなかなかに受け入れられぬ複雑な側面も抱えていた。
いくつかのしがらみ……貴族社会は家同士の繋がりこそ重視され、それは時に能力やら人間性やらそういったものが軽視され、さしもの王も苦汁を飲んで妥協することを余儀なくされる。
その現王、父リゲル、王妃である母ラダーとこうして三人で食事を共にするのはいつぶりだろうか?
父には他に自ら選んだ献身的な側妃が三人ほどおりその宮を公平に回らねばならない。
側妃のところには母違いの兄弟が何人かいるが、後継者争いを避けるため王位につける者は正妃の産んだ直系の子のみと決まっている。
私の後に続くのは未だ十歳にも満たぬ年若い弟王子、カノプスだけだ。
それでも王がこうして側妃を持つのは、その子供らに徹底した帝王学と爵位を与え、また娘であれば才気あふれる有能な家門に嫁がせ、いつか国庫をむさぼる無能な名前だけの貴族をこの宮廷から一掃し総入れ替えを行いたいと、そういった想いがあるためだ。
自らの手の内で育てた近親が最も信用でき重用出来る、そう思えるのは王宮内での争いが聞こえてこないために他ならない。
それも両陛下における努力の賜物。父はどの妃へも公平であるよう愛情深く宮を回り、母は並々ならぬ気配りによってその一群をまとめあげ、王家の繁栄の旗のもとに足並みをそろえているのだ。
「それでレグルス、テオドールは最近どうなのだ。私の元へもいろいろな話が漏れ聞こえてくるが」
「父上、武器関係は先走ったハインリヒの失策だとそう申したはずではありませんか。ハインリヒとも話し合いのうえ既に名義はテオドール個人からレッドフォード家へと変更済みです」
「そうは言ってもレグルス、一度湧いた噂というものはなかなか消えはしないのよ。知っているでしょう?娯楽に飢えた貴婦人たちはこれと言った話題を見つけると搾りかすも出ないほど面白おかしくしゃぶりつくすの。ヴィクトリアも気の毒ね。彼女たちの口が紡ぎだす無責任な陰口はどれほど有能な官吏の手にかかってもきっと止めることなど出来ないわ」
ご婦人方の中心に立つレッドフォード侯爵夫人ヴィクトリアは、己の中の優先順位で時にテオドールの不利すら捨て置くなかなか剛腕なご婦人だ。
とは言えハインリヒでさえ気づいてはいなかった今回のこの噂、ことはレッドフォードへの波及すらありえる。家名に重きを置くあの夫人に思惑があるとは考えにくい。
「ですが余りにも執拗かつ不敬ではありませんか?仮にも彼はこの私の婚約者であり、筆頭侯爵家の愛息ですよ?」
「それはわたくしも感じているの…。最近では貴方が薬で操られているなどと、わたくしに懸念の声を寄せてくる者まで現れだしたわ」
「はっはっは、操られておるのかレグルスよ。これは傑作だ。だがその話は捨て置けぬ。実は第三国ではあるが法と秩序の整わぬ途上国エンバスから我が国の貴族が人心を惑わす麻薬を持ち込んでいる節があると、調査を促す私信があった」
「テオドールが人心を惑わす薬を生成している…ですか。馬鹿馬鹿しい、あまりにも荒唐無稽。テオドールは魔法すら満足に使えぬ実に無害な子供ですよ。薬草を煎じて民間薬を作っているのは本当ですが、それがどうしてこんな話に…」
「そうであろうとも。良いかレグルスよ。すでにブラックバーンの手の者はエンバス国へと向かわせた。だがテオドールの周囲のことはお前の力で解決して見せよ」
「望むところですよ父上。テオドールが成人を迎えるその時までにはすべてに片をつける所存でいます」
こんな状況をいつまでも放っておけるわけがない。
そうして今ひとたびの対処に動き出そうとしたその最中、あってはならない最悪の事態が起きるなど、その時の私はまだ知る由も無かったのだ…




