66 恋敵と追跡
一学期の最終日、泣き腫らして真っ赤な目を見たハインリヒお兄様は今にも学院に殴り込みに行きそうな勢いだった。
余計悪化するからヤメテとなんとか抑えてもらったけれど…当然納得しているはずはない。
そうだよね、そりゃぁこうなるよね。
翌日から始まった二週間の冬休みは学院に行きたくない今の僕には都合よかった。
お兄様が外出禁止を言い渡すのも予想通りだったけど、ほんとは孤児院か救護院で気分転換したかった。
屋敷を出られない僕に代わってアリエスに学校へのお使いを頼む。
大きなバスケットのお弁当は今でも週に三日は届けてる。だってお兄様がいない日の朝食は僕のリクエストが多すぎてとても一人で食べられるような可愛げのある量じゃない。だから残ったそれを全部詰めて、きっと待ちわびているであろう学校の子供たちに…
そうそう、この間持っていけなかった僕の薬も…ウル…孤児院と救護院に届けて欲しい…
僕の薬はみんなが言うような危ない薬なんかじゃなくて、ちゃんと効果のあるものだもん。ドリーの腹痛もこれで治ったし、ゼッドじいちゃんの肩の痛みもあの薬で良くなったって…みんなそう笑ってくれたのに…ぐすん…
「お兄様、もう思い出すのはお止めになって。根拠のひとつも無いというのになんてひどい言い草でしょうね。お使いが済んだら急いで戻ります。そうしたら一緒に遊びましょう?カードにします?それとも庭の散策を?そうだ!久しぶりにお兄様の手作りクッキーが食べたいな。お兄様僕に作ってくださいますか?」
「…しょうがないなぁ。そ、そんなに言うならアリエスのクッキー焼いておく。お弁当みんなにちゃんと渡してね。えっとそれから…」
長いお休みは学校にも孤児院にも毎日行くつもりだったのに…アリエスを見送る事しか出来ないなんて…なんたる不覚。
お兄様にもう一度交渉しようとそう心に決めながら、アリエスのクッキー焼くために、日ごろ思いついたら書き溜めているオリジナルレシピメモを手に取った。
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ジローがお兄様の為に危険を顧みず闇ギルドの人間に近づいていると聞き、薬を届けたその帰り道、少しだけ商業ギルドへ寄り道をすることにした。
「ジロー」
「あん?んだよ、アリエスか」
「お言葉だけど、僕はこう見えて学院でも五本の指に入る人気者ってご存知でした?声かけられたこと感謝してくれてもいいんですよ?」
「みんな見かけに騙されてんな…お前の本性知ったら愕然とすんだろ」
「…僕の本性よりお兄様の真実を知っていただきたいものですけど」
「まあな、全くだ…、きたっ!奴だ…」
「…あれが例の?」
「ああ…」
闇ギルドの〝例の奴”が奥の部屋へと消えていく。その顔には打撲痕がいくつもあって、きっと上役に叱責を受けたのだろう。
今度こそその男は必ず完璧な設計図を手に入れようとするはず。
ならば直接顔見知りのジローに接触してくるはずだ。そのことに思い至ってやって来たのだ…ジローの補助をするために。
「どうするつもりで居たんです?彼は強引な手に出てきますよ」
「望むところだ。俺が囮になってやる。ケフィウスの仲間はもう来てんのか?信じるしかねぇよ」
デルフィヌスもアルタイルも、ジローの無茶を心配してる。
あの晩屋敷に寄った彼らはお兄様の様子を伺いその後揃って同じことを言った。
『ジローに何かあれば一番悲しむのはテオドールだ』
悔しいけれど…それが事実なのは否めない…
「心配はいりません。僕の魔法であなたを守ります。僕の光魔法は戦闘特化ではありませんが素手で戦うあなたくらいはお守り出来ますよ」
「そんなことが出来んのか…はっ、全く魔法はずりぃよな。必死に生きる人間を横目にあっさり手柄をかっさらうんだ」
「…あっさり…そう思いますか?その魔法を取得するのに時には血のにじむような努力を…しっ」
殿下程得意ではないが、僕も隠匿魔法は習得済みだ。どれほどの精度かはわからないけどなにもないよりはましだろう。
隠匿魔法で自分を包み、それでも念のため柱の陰に姿を隠す。
「ようジロー、随分と久しぶりだが…孤児院上がりの貧民にしちゃぁ最近羽振りがいいらしいな。上玉のカモを捕まえたんだろう?その上がりで屋台まで構えたってスラムでも専らの噂だが…間違っちゃいねぇんだろう?」
「ちっ!そんなんじゃねぇよ…。で?俺なんかに声かけて何の用だ?」
「いやまぁ、ちっとその恩恵にあずからせてもらおうかとおもってな。」
「なんで俺が。俺なんか相手にもしてなかっただろうが」
「いいから顔貸せ!お前に話があるんだよ!」
男がジローの腕を掴んだその時、奥の部屋へと向かう通路の先には見覚えのある顔が踵を返すと消えていった。
強引にジローを連れ出した男は足早に人目を避けようと場所を変える。
何度も何度も進路を変えながらの入り組んだ道。
随分と慎重な奴だ。けれど気が付いたらそこは袋小路で、なにかおかしいと思った時には手遅れだった。
「しまったやられた!アリエス!もう一人いる!後ろだ!」
「くっ!」
寸でのところで身をひるがえし震える腕でワンドを引き出す。そしてすばやく詠唱する。
『常闇を照らす聖なる光よ、出でよ!ライトクロス!』
十字架の形の光弾が相対する敵に向かっていく。
「小癪なガキどもめ!」
見たことも無い鋭い刃物を両手に持って奴らは凶悪な形相で向かってくる。
「アリエス距離を取って戦え!」
「あなたは自分の心配をなさい!」
ジローは最初の男と交戦するが、ジローの得物はミスリルのナイフ。アルタイルが持たせたというその頑強なナイフで健闘するが明らかに押されている。
スラムや孤児院上がりの子供たちは暴力を身近に感じて生きていく。だけど幸運にもお兄様と知り合ったジローは随分真っ当に生きて来た。
いくらジローの腕がたとうが本物の悪党とは経験値が違うのだ。血に濡れた経験値が…
「ああ!危ないジロー!『輝く光の槍よ、貫け!ライトランス!』
ジローに気を取られたその時、目の前に刃物を振りかぶった男が迫りくる。
間に合わない!
『汚泥よ、彼のものを埋め尽くせ!マッドフロアー!』
もう駄目だと思った瞬間、目の前の男が下半身を泥の沼にとられ身動きできずに追いつめられた。
魔法を放った…おそらく…ブラックバーンの諜報員は自害を防ぐためさらに魔法を重ねて一切の動きを止めている。
見ればジローが対峙していた男もいつの間にか泥の鎧で拘束されている。
「間に合って良かった。全く君たちは無茶をする。もしも何かあろうものならデルフィ坊ちゃんにお叱りを受けるところだった」
「ぼ、坊ちゃん…ふっ、くっくっくっ…坊ちゃん」
「坊ちゃんですって…あは、あははは」
初めての対人戦闘、そして命拾いした安堵感から僕たちは感情の起伏が変になっていたのだろう。
デルフィヌスが坊ちゃんと呼ばれている、たったそれだけの事が無性におかしく、二人していつまでも笑い転げた。




