46 ルート アリエス
僕の夜会デビューが王宮の舞踏会だなんて…
考えてもみなかった幸運に身体が震える。
七歳の年まで過ごした薄暗い歓楽街。あのままあそこにいたとしたら一生かかっても縁の無かった雲の上の不似合いな場所。
きっと侯爵家に引き取られた後だって、テオドールお兄様が居なければやっぱり行けなかっただろう、王城とはそんな場所。
それなのに、こうして招待されただけでなくあんな夢のような時間が過ごせるなんて…
「お兄様と踊れるなんて…なんという幸運…まさに奇跡…」
「2曲も踊りきるなんてな…殿下に睨まれても知らないぞ」
行きは公爵家のデルフィヌス様が迎えに来てくださった。帰りは方向が同じだからと侯爵家のタウルス様が送って下さる。
タウルス様…一時は顔を見るのも腹立たしかったけれど、今では逆に一番ましなんじゃないかと思っている。
何故なら彼は戦線に立つつもりがないようだから。
当たり前と言えば当たり前。お兄様にあれだけの無礼を働きながら友人面が出来るだけでも、お兄様の寛大さにひれ伏すがいい!
「殿下に睨まれたところで特に困りはしませんよ。むしろ今僕はハインリヒお兄様と共闘中ですからね」
「…ほんとに好きなんだな…どうするつもりか知らないが…」
「どうとでもなると思っていますよ。僕はもとは平民。こうみえて図太いんです。ふふっ、知らなかったでしょう?」
「可愛い顔で笑うんだな…お前を好きでいられた時が懐かしいよ」
「ふふふ…今のタウルス様ならきっと素敵な恋人が出来ますよ」
お別れの挨拶をして馬車を降りる。
暗い小道を抜け離れへ向かっているとハインリヒ様のお出ましだ。
…あ~あ、せっかくのいい気分が台無し…
「随分楽しんだようだな、初めての夜会を」
「そうですね。そのせいかうっかり羽目を外してしまいました。すみません。少し浮かれていたようです」
「…まぁいい。お前がいなければあの青い髪の伯爵令息がテオをバルコニーへと誘っていただろう」
「…よく見ているんですね。僕は気がつきませんでしたよ?」
「何度も視線がバルコニーへと向けられていた。お前との踊りは渡りに船だ。許してやろう。テオの手は柔らかかったか?」
「…どういう意味でしょう?分かりかねますが…」
ハインリヒ様のもの言いはいつもこうだ。僕を見下す視線も変わらない。
僕を盾に侯爵家を脅し続けたという生みの母。その行為を思えば仕方がないと僕はこの嫌みにも耐えてはいるが、息子の僕にいつまでもこうして悪意をぶつけてくるのは迷惑だと思っていたりもする。
「お前のテオを見る目に私が気づいていないと思うのか。だが今のようにわきまえてさえいるのであれば不肖の義弟で居ることくらいはこれからも許してやる。テオは何故か昔からお前を気にかけているようだからな」
「…ありがとうございますハインリヒ様…」
「今後も決してあれら害虫を近づけさせるな。わかったな」
言いたいことを言って去っていく。
…まぁ、僕としても誰も近づけさせる気はないからいいのだけど…
それにしても、問題はお兄様がハインリヒ様にかなり懐柔されていることだ。
兄としか見れないでいるのは勿怪の幸い。おかげで婚姻には後ろ向きだ。
かといって残された猶予はあと二年。けして長くはない…
「お帰りなさいませアリエス様。夜会はいかがでしたか?」
「ただいま戻りました。ウォルター、このお兄様からいただいた衣装…大切に大切に保管しておいてくださいますか」
「もちろんでございます。テオドール様のお下がりとはいえ大変に質の良いものでございますからね」
「ふふふ、質はもちろんなのだけど…実はね…お兄様と踊ったんだ!それもお兄様からお誘いくださって!ああ…とても幸せだった…楽しかった…。今日と言う日を僕は一生忘れない」
「記念の衣装と言う事ですね。では保存魔法をかけておきましょう」
「ふふ、お願いします。…お兄様…いい匂いがしたな。なんだろう?トワレじゃない…もっと優しい…、ああ、お兄様が育てているハーブの香りだ」
いつまでも冷めない夢心地に水を差したのはウォルターのちょっとした問いかけ。
「テオドール様のお衣装はいかがでございましたか?」
「殿下から贈られたあの衣装ですか?良くお似合いでしたよ、悔しいけれど。それにワイルドベリーのブローチをお付けになられて…。あれは最高品質のルビーでした。王家だけに献上される特上の」
文句のつけようもないほど深い発色の真っ赤なルビー。
「だけどお兄様にはもっと柔らかい色合いのほうがお似合いになる。僕のあの指輪のような…」
いつかお兄様にお渡ししようと思ってたきれいな指輪。それは数年前にここで見つけたものだ。
この小さな離れはお父様のご友人がお使いだったと聞いている。
昔からのご友人とか言うその方はここで療養なさっていたのだと。
僕に何かを教えてくれるのは、教授先生も来ない今ウォルターだけになってしまった。
子供の頃からここに居たというウォルター、その彼が言葉を濁し、そもそも誰も話題にしないのは良い結果ではなかったんだろう。
その方の持ち物だろうか?
細工がすごく細やかで意匠もとても素敵なガラス細工のきれいな指輪。
オーロラ色に輝くその指輪は庭の隅、サネカズラの木の根元に落ちていた。落とし物か捨てられていたのか分からない。だけど持ち主がいないなら頂いてもかまわないよね…?
当時、まだ覚えたてのクリーンでキレイにしてガラスを磨いた。可愛い箱に入れてリボンもかけた。いつかお兄様にこれを渡せる日が来ることを祈って…
ああ…、今日はここ最近で一番良い夢をみられるに違いない…




