28 侯爵家のサロンでは
「あれから噂の出所を探したのだけどね、発端はやはりテオによって首にされた使用人たちで間違いなさそうだ」
「我がグリーンベルの手の者を使い徹底的に調べ上げましたが、特に元西棟メイド頭のドリスは執拗に殊更酷くテオドールの噂を流していましてね。割り当て金の着服でしたか…。後ろ暗いところのあるものほど悪態をつく。ドリスも同じく、自分の罪を隠すためか過剰に正当性を主張しようとご子息を貶めたのでしょう」
「そうでございましたか」
「いや侯爵夫人、貴女は知っていたはずだ。なのに何故それを表沙汰にはしなかったのだい?テオはあの通り社交の場へは出てこない。貴女や兄のハインリヒが火消しに回らねば際限なく噂は広がる。時に尾びれや背びれをつけてね」
緩やかに扇を揺らめかせながら侯爵夫人が言葉を返す。淡々と、少しの感情も乗せず。
何を考えている…
テオ以外にアリエスを庇うものなどこの屋敷には居なかった。
ならばドリスの着服を知っていたとしても、それがアリエスに割り当てられたものである以上、この夫人ならばおそらく見て見ぬふりをしたことだろう。
それを分かっていたからこそ、テオドールはドリス以下幾人かのメイドを追い出すとき夫人に言いつけはしなかったのだ。お得意の癇癪という手段を用いて彼は我儘を通した…
そして己の罪が白日の下に出ないことを知ったメイドたちはこれでもかと悪意をばら撒いたのだ。
ああ…こうして小さな正義は踏みにじられたのか。
「それにあの詐欺師のような宝石商。普段ならたとえ二流品を持ち込んだとしても、まさか侯爵家へ紛い物など勧める事はなかっただろう。夫人、貴女がそれを咎めないことを知っていたから、あのデザイナーはアリエスにおもちゃのような真珠を売りつけ差額を懐へ入れようとしたんだろう。違うかい?」
「わかりかねますわ」
筆頭貴族家へあのような狼藉を働いておきながら未だあの男は社交界を渡り歩いている。やはりテオドールへの悪意を携えながら。
たまりかねたデルフィヌスが眉を寄せながら問いただす。
「ハインリヒが前妻の子である以上テオドールは貴女の愛しい一人息子ではないのですか?それこそ我が子をこの筆頭侯爵家の後継にと夢見たことは一度もないと?」
「ふぅ…だからでございますわデルフィヌス様。無用な諍いの種など初めから無いがようございましょう?あの子の行いが愚かであればあるほどハインリヒを後継へと望む声は確固たるものとなりますの。我が生家ラクシアン男爵家の中には神童テオドールを後継にしてはどうかと分不相応な望みを持つものが少なくはございませんでしたのよ」
この夫人はレッドフォード侯爵にとって二度目の妻。今は亡き先妻の侍女だった女性だ。
彼女の生家は商いから身を興したこの国でも有数の資産家。増長する者がいたとしてもおかしくはない。
「ですがわたくしはこのレッドフォードを正当なお血筋であるハインリヒに継がせる事こそ使命と心得ておりますの。そのためにわたくしはこの王都邸から動くことなくハインリヒを成人まで無事育て上げ、爵位の継承がなされるその日を待っているのでございますわ。」
現侯爵夫人ヴィクトリア、彼女は豪商ラクシアン家の一人娘。大富豪と言われるラクシアンだがその身分はもともと平民でしかなかった。
先物取引で大きな財を成したスタンリー商会、それがラクシアンの前身だ。
レッドフォードと隣り合わせた、先の男爵ラクシアン卿の領地の中にスタンリーは別荘を持っていた。
領主の屋敷よりも広大なスタンリーの別荘。
男爵が支払勘定に困るたびスタンリーの別荘面積は広がっていった。
領地の半分以上がスタンリーの物となった時、男爵は王の意向を仰いだうえでその爵位ごとスタンリーに売り渡した。
そうしてスタンリー商会の頭取はラクシアン男爵となったのだ。
そう、確か夫人が十五の頃。男爵位を以て夫人は社交界へとデビューを果たしたはず。
それほどまでに亡き侯爵夫人、そして夫である侯爵に恭敬の念を持っているのか…
だが納得のいかないデルフィヌスは尚も夫人に言い募る。
「それにしてもテオドールが気の毒だとは思わないのですか?なさぬ仲のアリエスに対し辛く当たる行い、それならば褒められたことではないが心情としては理解出来なくもない。だがテオドールは」
「テオドールに関しては旦那様の意向でございますの」
「何だって!」
「ハインリヒはテオドールをとても可愛がっておりますわ。ええ、とても義理の兄弟だとは思えぬほどに。だからこそここから出すことが心配なのでしょう。そして旦那様はそれで良いと仰せですの。来たる将来、ハインリヒの横にはテオドールをとお望みですのよ。そのためあえて噂を放置したのです。テオはあれほどの美貌と才気を持つ子供。多少の噂ごときでは婚約の打診を退けることなど出来ませんでしょう?でもまぁこれだけの悪評、これで年頃になってもテオドールへの釣り書きは来ないでしょう」
何と言う事だ。
つまるところレッドフォード家はテオドールを独り占めしたいと望んでいるのか…
「それで誰になんの迷惑がかかりまして?それにテオドール、あの子も外へ出るのはそれほど好きではございませんのよ?屋敷の中で守られてさえいれば、どこで誰に何を言われようが関係ございませんでしょう?わたくしはテオドールを愛しております。ええ、本当に心から幸せを願っておりますの。あの子は自ら屋敷の中で十分好きなように自由気ままに暮らしております。次期侯爵からのご寵愛。それがあの子にとっての最善でございますわ」
冒険者になると息巻いていたテオドール。彼がここから飛び立てる日は果たしてやって来るのだろうか…




