17 怒れるアリエスと友人
「なんてことを!なんて言う事を!僕がこんなにもお兄様はお優しい人だって言っているのにどうして信じてはくださらないのですか!」
「言っただろう、皆が知っていることだ。テオドールは社交界に顔を出さないが出入りの業者やメイド、メイド頭も居たな、人の口に戸は立てられない。そこで見聞きした事された事はこうして漏れ出るものだ。どうして疑う余地がある?」
「黙れタウルス!さぁもう泣くなアリエス。俺が送っていくから」
激高しているタウルスとは違い俺の心は後ろめたさで落ち着かなかった。
間違いを正すために来たはずなのに…間違っているのは俺たちなのだと本能がそう叫んでいる。
「手を放してください!僕に触らないで!貴方たちはなんにも解っていない!本当になにも…」
「だが今見たことは紛れもなく事実だろう。見たか!あのひどい癇癪を…。それに偏屈なのも事実じゃないか。読み書きを習う学校だと?正気か?あの馬車もこれ以上使うのはよせ!わかっているのか。あんな廃棄寸前の馬車…いい笑いものだ!」
「笑い者…タウルス様、それが貴方の本心ですか…」
「違う!笑いものにしたくは無いとそういう意味で言ったんだ!」
「あの馬車は…お兄様が僕の通学を心配して…うぅ…お小遣いをはたいて買ってくださったのです…。お義母様は馬車の用意をなさってはくださいませんでした…お兄様はそれを見かねて…」
テオドールが馬車を買ったことは誰もが知っている事実だ。
侯爵家の二男が庶子への嫌がらせにボロボロの馬車を買い求めた。
だが…アリエスの言葉は違う意味を感じさせる。
「テ、テオドールの小遣いだって?いくら侯爵家の息子でも成人前の子供にそこまで自由になる金など無いだろう…」
「ええそうです。ですがお兄様は昔から遊びにも行かず引き籠って節約をしていましたから。…それでもこれしか買えなかったって…っく、我慢してって…っ…歩くよりはましだから、そう言って買ってくださったんです。…い、今だって馬丁の給金や馬の餌…全部お兄様が払ってくれてる……ううぅ…貴族子息のお兄様がカフェにも行かず自分で焼き菓子を作るなんて…全部僕のためなんです!…だから言ったじゃないですか!あれはお兄様の厚意だって!」
「そんなまさか…」
確かにアリエスは最初からずっと言っていた。お兄様の厚意、優しいお兄様、それらは全て、アリエスの慈悲深さが言わせている言葉だと誰もが信じていた。
「確かにお兄様は癇癪持ちで偏屈…一見そう見えるでしょう。我儘だと、そう言ってしまえばそうなのでしょう…。だけどお兄様は人に不利益を与えるような我儘は一度だって言った事は無いのですよ。悪意を持った癇癪も一度だって…お兄様の我儘はいつだって僕のためのものだったのです!」
「しかし屋敷を離れたものは皆口を揃えて…」
「お兄様の話を聞いていなかったのですか?その者たちに屋敷を離れる理由があったとは一度もお考えにならなかったのですか?」
「り、理由だと?」
「あのメイド長は僕に割り当てられた予算を懐に入れ幼い僕に満足な食事さえさせてはくれませんでした。メイドたちも衣裳部屋からお金になりそうなものを一つずつくすねて…僕はいつだってボロを纏っていました。業者は…言ったでしょう?あのデザイナーは詐欺師だって。どうしてまだお調べになってはいないのですか?あの真珠は偽物です。お兄様はそれらのひどい行いを見咎めて彼らを追い出したのです、そう、あなた方の言うひどい癇癪をおこしてね」
「何…だと…?」
「ああ…お母様に鞭打たれそうになった僕を身を挺してかばってくれたのは幼かったあの日のお兄様です。使用人にまで馬鹿にされ這いつくばった僕に二度とこんなマネしちゃいけないと離れを与えてくれたのもお兄様…、ふふ、あの時のお兄様がどれほど神々しかった事か見せて差上げたい…。そう、その時もお母様の前で床を転がり回って泣き喚いて癇癪起こしたって聞きました」
癇癪持ちのテオドール…、まさかそんな…それが真実の姿なら俺は…、俺たちは…
「私腹を肥やすメイドたちを首にした後、お兄様はご自分の有能な侍従をわざわざ僕につけて下さいました。そうしてお兄様は凡庸な従者一人で今も我慢をなさっておいでです。信じられますか?お兄様は身の回りの事をほとんどご自分でやっておられるんですよ。家庭学習だって…あれはお母様がお兄様にと雇った先生です。それをこっそり離れに寄越してくださっていたのですよ?それも一日でも多くと先生に直接交渉をして」
両の手をだらりと下ろすタウルス。彼に先ほどまでの勢いはもはや微塵もない。
「お兄様のおかげで僕はこうして皆様の前で恥ずかしくない振舞ができているのです。今の僕があるのは全てお兄様のおかげです。僕は何度も言いましたよね?お兄様は優しいって。それをこうまで信じられない理由は一体なんなのですか?」
「……」
「何も答えられないのでしたらもう二度と僕に話しかけないで下さい。不愉快です。もしも…もしもお兄様に嫌われるようなことがあれば…僕は貴方がたを絶対に許しません!」
泣きじゃくりながら背を向け歩き去るアリエス。それを追いかけることも出来ず立ち尽くす俺とタウルス。
アリエスの言葉を信じられない理由…
そんなものなどある訳ない。ただただ思い込んでいただけだ。そして偏見を持ってみていただけだ。あれは悪い侯爵令息なのだと…
そう、まるで見てきたように皆がそう言っていたから…
…レッドフォード家のテオドールはわがままで癇癪持ちの鼻持ちならない子供。
母親違いの弟を離れに追いやり、本邸への立ち入りを許さない。
偏屈な、父である侯爵にも見放された悪童である…と。




