170 間一髪
ダンジョンの外へ出たバスティト様は音もたてず軽やかに、その森の一番高い木のてっぺんまで瞬時に登っていく。
え、思ってたのと違う…。僕、ど、どこへ連れてかれるの…?
そこへ大きな翼をはためかせてやって来たのは金の鳥、風神の使い、あ、あれは…シュー様だ!
シュー様は僕の目の前でどんどん大きくなって、僕一人くらい余裕で乗せられるサイズになると、魔法だろうか?バスティト様によって背中に乗せられた僕の身体は、決して落ちないよう固定された。うそぉ!
バサリ…
空路!まさかの空路!そ、それは確かに一番早いよね!
国を守る神獣バスティト様、国を離れられないバスティト様は代わりにシュー様へ頼んでくれたのか。
学院の演習の森にも今度餌いっぱい持っていこう。無事に帰ってきたら…レグルスと一緒に…、必ず。
地上には心配そうに僕を見上げるみんなが居る。お兄様が、アルタイルやタウルスが、心配して叫んでるのが見える。
ジローの姿も見えた。驚愕に目を見開いてこっちを見ている。
心配かけてごめんなさい。勝手ばかりしてごめんなさい。だけど僕はワガママだから。いつだってワガママばかりの悪役令息だから。
だから僕は絶対行く!それでレグルスを助けて、バスティト様におやつを作りに帰って来る!
シュー様は高らかに空を舞った。
バスティト様の固定魔法?結界?のおかげか、アリエスの守りの魔法のおかげか、上空の旅は寒くも暑くも、息苦しくもなく、一昼夜飛んでも快適だった。
飲まず食わずだからちょっとだけバテ気味だけど、それでも上空から眺める美しい景色はその疲れさえ忘れさせる。
これがこんな時じゃなければすごく刺激的な旅なのに。世界の上を飛んでいく僕は、その広さを今、体感している。
大海原でレグルスも同じ気持ちを感じたんだろうか…?レグ待っててね。今薬草持っていくから、あと少しだけ頑張って!
空から見下ろすどこかの街道に黒い毛並みのつやつやした大きなラブラドールが見える。
その犬が大きく一つ吠えると、あれ…?何だか疲れが取れた気がした。
それにしても僕が虫にでも見えるのだろうか?その犬はずっと僕を、シュー様を、見えなくなるまで目で追っていた。
そうしてついにシュー様が地上に降りる時が来る。それは待ちに待ったベレン国。ムッとした熱気と湿気が肌にまとわりつく亜熱帯の発展途上国。
そのベレンの小さな港はそれでも一応、お金持ち用の宿泊施設だけは整っている。きっと近隣の国から遊山の富裕層がやってくるんだろう。富裕層はいつだって珍しいものが大好きだから。
「うわぁ!神獣だ!どこかの国の神獣が居るぞ!」
「なんだなんだ!」
「おい!誰か兵を呼べ!」
シュー様はくちばしで羽根を一枚抜き取ると僕に持たせてくれる。何も聞かなくても感覚で伝わってくる。これは帰る時の合図の羽。
そして騒ぎが大きくなってくると、シュー様は再び上空へと飛んで行った。
「へっ?置き去り?ど、どうすれば…」
その時に港に僕の描いたアヌブス神の絵が見えた。あそこだ!あそこに行けばアストランティア王国の人がいるはず!
そうしたらケフィウスさんに伝えてもらって…
「テオドール様!何故ここに⁉」
走り出そうとした僕を後ろから呼び止める声。それは…今一番会いたい人、ケフィウスさんその人だった。
「そ、そうですか。バスティト様とシュー様が…。な、なんという…、いえ。愛し子の意味が今ようやくわかりました…
「後でお礼しなくちゃね」
「もちろんですとも。それにしてもああ…まさか神薬をお持ち下さるとは…、テオドール様がいらしてくれてどれほど心強いか。この国の医術は随分と遅れておりまして…その、まじないの様な事しか施されず…もう…、もう限界なのです!治癒士の力を以てしても衰弱は進む一方。ポーションによって身体の状態は治っているはずなのに!なのに魔蟲の毒はどこかに留まり解毒されない!テオドール様!殿下を、どうか殿下をお助け下さい!」
「大丈夫!これはリュミエール様のくれた薬草だもの。光の大精霊リュミエール様の。デルフィだって太鼓判押してくれた。精霊は神様と同格だって。きっと効くよ!きっと治る!」
「ええ、ええ…」
やせ細ったケフィウスさん。さっきから自分を責めてばっかり。あの時何故止めなかったのかと…
それを言ったら僕のほうこそだ。
後ろめたい想いにお互いにお互いの顔を見ることも出来ず、ずっと二人無言のまま、それでもレグルスの部屋へと向かう足取りは、自然と早くなっていく。
だけど僕は間に合ったんだ。良かった、本当に良かった。これで後悔する前に、きちんとレグルスに向きあえる。
人払いの済んだその部屋にはレグルスが横たわっていた。
…見た目はそれほど変わっていない。それだけでも罪悪感が少しはましになる。治癒魔法とポーションには感謝しなくちゃ。
再会に涙する時間も感傷にふける時間すらも惜しくて、ベットの傍らに用意されたグラスに水を注ぐ。
ポケットにしまって持ってきた、紙に吸わせた貴重な貴重なシルフィウムの樹液。それを水に浸して溶け出すのを待つ。
うっすらと光輝くのは、きっとリュミエール様の治癒の魔力。その光を見ただけで不思議とこれで大丈夫って確信できた。
「どうやって飲ませるのです?殿下は今意識がないのですよ?」
「大丈夫。ジローに教えてもらった…」
ジローの秘密の口移し。部屋でお酒に酔った僕に口移しで水を飲ませてくれた。だから今度は僕が。相手はジローじゃないけど。
手足が冷たい…。呼吸が浅い。ポーションで回復された状態なのに、それでもその顔は死人のように真っ白で…。本当にギリギリなんだ…。ギリギリだったんだ…!
泣きそうになるのを堪えて水差しが空になるまで口移しを繰り返す。
早く良くなって。早く意識を取り戻して。早く僕に話しかけて。いつもみたいに微笑んで。判子絵スマイルでもなんでもいいから。
そんな気持ちに突き動かされて、僕は薬を飲ませたその後もレグに寄り添い離れなかった。




