147 アリエスの心配
「ジロー、お前どうするんだ。ハインリヒ様はテオに閨教育をされるおつもりだぞ」
「何だと!」
僕の婚約者アルタイルは、本年度の学院高等部会長となった。賢く誠実な人柄は、殿下から会長職を引き継ぐのにまさにこれ以上ない人選、満場一致であっさり決まった。
そして卒業後、学術院にて法学を学び無事法務官見習いとなった暁には、法務長官を目指し…目指すはずだったのだけど…、目指せるだろうか…見習いでもない今でさえこんなに忙しいのに…。
ナスヴェッターとの取引、モーリィ伯爵家の財務管理、ブラウニング商会、そしてお兄様の薬事を扱うヒュギエイヤ商会、これらの書類管理、…ハインツ様からの指示は止まることが無く…、今ではブルースター家の次男、グラーシス様まで駆り出される有り様だ。
なのにこうしてジローの恋の行方まで心配するなんて…。元は恋敵だったというのに、まったく人の良い…
だからほだされてしまったのだけど。
仕方ない、援護しますか。
「そうですよ。ジローあなた、何悠長に構えてるんですか」
「そうは言っても俺に何が出来るってんだ。爵位なんか一朝一夕に賜れるはずがないだろう。ハインリヒ様は爵位を持てば正式にテオの相手として考えると約束してくださった。俺は約束を破るような卑怯な真似はしたくないんだよ」
「まぁハインツ様は策士ではありますが詐欺師ではありません。あの方が約束したならそれは履行されるでしょう」
そう。筆頭侯爵家当主であるハインリヒ様は姑息な真似などなさらない。幾重にも張り巡らした罠に嵌めることはあっても…騙したりはなさらない。だからこそ、その言葉の裏に気付かなければ、…うっかり信じてしまうのだ。
「…それに俺自身もハインリヒ様に同感だ。…テオの相手が平民であっていいはずが無い。あいつはきっと身分なんか気にしない。だが俺が嫌なんだ。…あいつにはなんの憂いも心配もなくいつでも気ままでいて欲しい」
「それは当然のことです。僕も平民のままならジローは応援しませんよ。たとえただのお付き合いでもね」
人に貴賤は無い…それは真実であって真実でない。
平民と貴族、立場が違うだけで、出来る事出来ない事、許されることが全て変わってくるのだから。
お兄様の側に居たいのであれば…彼を守れるだけの地位と財が必要だ。天真爛漫なあの笑顔をどんな脅威からも守れる地位が。
「まあハインリヒ様のテオへの献身は本物だ。テオの嫌がることを無理やりするとは思えない。それだけが救いだな」
「ハインリヒ様は…そうですね。僕もそう思います。あくまでただのお勉強です。堂々と明言される以上おかしな真似はされないでしょう。問題はお兄様がそれら嫌がってないということですよ」
「テオが嫌がってない…そうなのかアリエス」
「ええ。嫌がっていませんね。まぁでも…当たり前です。物心もつかない頃から側にいた人…お兄様はハインリヒ様だけを頼りになさっていたのですから」
父親の喪失…、その影響を受けた内向的な幼少期、そのうえあのメイド長の悪意にさらされていたあの時期、まだ僕もジローも、何の力もなくただ見ているしか出来なかった時から、いや、何が起きているかもわからなかった、そんな頃からハインリヒ様だけがお兄様に寄り添い守り続けたのだ。
まあ、かなり歪んでいたのは周知のことだが。
「だがテオはハインリヒ様との婚姻は拒んだだろう?」
「ええ。兄弟を超える振舞には以前でしたら多少は警戒なさっておいででした。ですがハインリヒ様は一年かけてお兄様からの信頼を再構築されました。力業で。そう、オリヴィア様まで娶られてまでお兄様の警戒を解いてしまわれた。…さすがです。…ハインリヒ様はお兄様の性格を熟知しておいでなのですよ」
「性格?」
「お兄様は感情的ですが…、直ぐに忘れるのです。良いことも悪いことも…」
「うっ、否定出来ねえ…」
「ま、まあ、それに俺もタウルスも救われたわけだが…アリエス、正直なところお前はどう思ってるんだ」
「僕は一貫してお兄様の幸せだけが望みです。僕が今こうして傍観しているのは…それこそお兄様が嫌がっていないからです。ハインリヒ様の事も、ジロー、あなたの事も、お兄様が嬉しそうに笑みをこぼされるから…僕は不承不承こうして…。殿下の事もお兄様が王宮をお厭いでさえなければ応援するのもやぶさかでなかったのですよ。僕のスタンスは何があっても変わりません。お兄様を不幸にするものは徹底的に排除します!」
お兄様の幸せ…、そのゴールは混沌をきわめるばかり。




