133 若き当主の手腕
「ジロー、本当にあなたは油断も隙も無い…。僕の眼の黒いうちはこの屋敷でイチャイチャできるなどとは思わないで下さいね。そもそも貴方、ハインリヒ様になんて言われたんです?ずいぶん大胆ですけどハインリヒ様が恐ろしくはないのですか?敵にまわせば一介の商人なんて簡単に息の根が止まるんですよ」
権力の恐ろしさはジローだってわかっているはず。世の中の厳しさ、身分の差や権力の力、それらを一番分かっているのは一番下に居たものなのだ。
「…まずは貴族になって見せろと。それも騎士爵以上のまごう事無い貴族位に。話はそこからだと言われたな」
「貴族に?ああ、だから貴方ここのところ精力的なんですね。話はそこからって…そこが始まりで終わりかも知れませんよ?」
「まあな。だが排除されなかっただけでも可能性はゼロじゃないと思ってる。あの男はそれも出来た。だがしなかった。食えない男だ。考えは読めないが…今は十分だ」
貴族に…?ジローが貴族になったとしてあの人がお兄様のお相手にジローを選ぶわけがない。今だって虎視眈々とお兄様を実質自分のものにすることを日々画策しているのだ。
名より実を取る…。まったくぶれないお人だ。すごいのはそれをお兄様の意思として選ばせようとしていること。
確かに…。お兄様は自由なお方。強要すれば反発する。だからって…
「それで?今日は何の用で呼ばれたんです?アルにも必ず同席するようにと仰っていましたが…つまり込み入った話なんでしょう?」
「さあな。俺にはわからないさ。若き筆頭侯爵家当主様の考えはな」
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「お兄様~お帰りなさいっ!今日はあれは?ブレッツェルは無いの?」
「テオドールはあれが好きだね。もちろんあるとも。お兄様がテオのお土産を忘れるわけがないだろう?ほら」
最近の僕のお気に入りは、王都のちょっとお高き区画に新しく出来たパティスリー。そこで売り出し始めたブレッツェル。
表面はカリッとして、中はモチっとして、塩気がきいてて美味しいの。
なのに王都ではあんまり人気ないんだって。貴族は甘みが好きだから…
下町なら大人気だと思うんだけどな。
なのにギルドは許可を出さないんだって。王都のお店のオリジナルだからね。格が下がるとか何とか言って…ホントに面倒なんだから。
「お兄様、お食事の後にしましょうね。またブレッツェルでお腹いっぱいになってしまいますよ」
「そうだな。そろそろ話をはじめようか。テオ、遅くなるからブレッツェルは後だ」
ちぇ。こういう時アルとアリエスは息ぴったりだ。基本真面目なんだよね。
「おいでテオドール。お兄様の隣にお座り。さて、今日呼んだのは他でもない。商業ギルドのギルド長選の件だ」
「それは俺も気になっていたんだ。ハインリヒ様、何か聞いているのですか?」
「まあな。そのギルド長にジローを推薦しようと思っているのだ」
「ギルド長!」
「ギルド長ですって!」
「ええっ!お、俺はまだ若輩者でそんな…」
初めて見るジローの狼狽した顔。怒るのとも焦るのとも困るのとも違う見たこと無い顔。
ジローがギルド長に?
そんなの…
そんなの応援するしかないじゃないか。そうしたら下町でブレッツェルのお店が出せる!
「あの空気の入ったタイヤは革新的だ。駆動性、耐久性、そして乗り心地。どれをとっても今までの車輪とは全く違う。摩擦への抵抗…考えて見ればそうかと思うが誰もそこにはいきつかなかった。あれはいくら売れたとかそう言うものではない。もっと大きな経済を動かすものだ」
「ですがハインリヒ様…、古参の反発は免れませんよ?」
「構わぬ。ジローには後ろ盾として私がいる。そしてアルタイルよ、ブルースター家の後援も取り付けた」
「父上が…」
「何よりこの神獣の愛し子テオドールのゴムを基としているのだ。勝機しかないだろう。ジロー、アルタイル、ギルド長の座を取りに行くのだ」
「で、ですがだからと言ってそんなに簡単に…、というか俺ですか?」
「アルタイル、アリエスと共に参謀となって勝利せよ。そしてジロー、ギルド長の座を手にした後には…何があるか分かっているな?」
「!…ええ。ええもちろん…」
まさかお話の内容がこんなだったなんて…
ジローがギルド長選挙に…ああっ!どうやって応援しよう!今夜は興奮して眠れそうにない!
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「ハインリヒ様、本気ですか?ジローをギルド長に推薦なんて」
「ああ、おかしいか?タイヤは十分な実績になるだろうに」
参謀…僕にジローを当選させろと言っているのか。
あの会談の後、早速策を練るのだとアルはジローを送って行ったが、その後はここに戻って来るそうだ。
ここのところ週の半分はあの離れに寝泊まりしている。いっそもう正式に荷物を運んだらどうだろうか。
「ですがジロー本人も言うようにまだ若すぎます」
「年齢など重ねていれば良いと言うものでもないだろう。心配なら副ギルド長に年かさのものを置けばいい事だ」
「何をお考えなのですか…?僕はこう見えて役に立ちますよ。情報共有をお願いしたいですね」
「言っておくがこの件にテオドールは関係ない。これは政治的な問題だ」
「政治…」
お兄様は関係ないとここまでハッキリ断言されるのだ、ではこれは本気の話。
「ギルド長は多かれ少なかれ都市部での権限を持つ。爵位を持たぬ者の中で議会に意見が出来るのは唯一ギルド長だけだ。中でも商業ギルド長は影響力が大きい。ドラブがあのギルド長を嵌めて操ったのもそういった側面があるのだよ」
「つまり…ハインリヒ様は駒が欲しいのですね。僕とアルタイルに続く新たな駒が。王都を掌握するために」
「人聞きの悪いことを言うな、アリエス。あれは役に立つ男だ。期待を裏切らぬうちは悪いようにはしないつもりだ。私はそれほど狭了ではない」
「はぁ…、ではついでにお聞きしますがジローとお兄様の事どうお考えなのでしょうか?ジローのお兄様への好意、お兄様のジローへのほのかな想い、お認めになっている訳ではないのでしょう?」
いいきっかけだ。実に自然に聞けたじゃないか。この流れで嘘をつくとも考えにくいが…甘いだろうか?
「アリエス…私は大貴族の嫡男として長らく教育を受けてきたのだ。お前も貴族家の子息として一応の心得は持っているだろう。貴族たるものどうあらねばならないか」
「ええ。ですので僕もアルタイルも婚約を受け入れたのです。これは家同士の取り決めですから」
「オリヴィアもそうだ。私とオリヴィアの間にあるのは強固な利害関係だけだ。だがオリヴィアはいずれ私の子を産むだろう。そう言うものなのだ、私たちとは」
あの日のオリヴィア様が思い出される。打算だと、契約なのだとハッキリとおっしゃっていた。
「私はテオがアレをそばに置きたいならそれでもいいと思っているのだ」
「何ですって!」
「遊びの相手なら構わぬよ。それでテオドールが喜ぶのならプレッツェルもジローも違いは無い」
「…お土産と同格ですか…」
「言ったはずだ。私は名より実を取るとな。テオドールも貴族家の男。愛人の一人や二人いてもおかしくはない。愚かなどこかの王太子は実より名を欲してるようだが…ふっ、まぁ見ているがいい。テオドールが最後誰を選ぶのかをな」
ハインリヒ様は愛人ごと手中に収めようというのか…。な、なんという…完敗だ。
ジローごとお兄様を…。確かにお兄様はハインリヒ様とジローの繋がりに大変お喜びで…ハインリヒ様への信頼は天井知らずに上がりっぱなしだ。
なんて男だ。流石レッドフォードの当主だけある。
その壮大なスケールに最早僕は膝を着くしか出来なかった。




