5
命があったばかりか、ケガひとつなく、川の水をすこしのんだくらいですんだのは、奇跡だった。
滝壺はちいさな池になっており、その先にも川がつづいていたが、流れはおだやかだった。ボクは、池のほとりまで泳いでたどりつくと、仰向けに倒れて、ハアハア、とはげしく呼吸した。髪の毛も寝巻きも濡れてビチャビチャだ。
やっと息がととのってボクは体を起こした。
木々のすきまから城がみえた。崖の上でみたときよりずいぶん大きくみえる。だいぶ近づいたということだろう。
あそこにいけばグリムに会えるだろうか──
そんなことを考えていたら、黒い火の玉がゆらゆらとボクの目の前にあらわれた。こわい体験になれてしまったのだろうか、不思議とこわくはなかった。むしろ親しげでボクはこの黒い火の玉を「かわいい」とさえおもった。
ボソボソとなにかがきこえる。ボクは耳をすました。この黒い火の玉からきこえてくるようだ。とても小さな声でなにかをいっている。ボクはさらに耳をすませた。すると、
「おい、人間。オレだ。グリムだ」
そうきこえた。
「グリム! この火の玉はグリムなの」
「そうだ。くやしいがやられちまった。いまの力じゃ体の形がたもてなくなっちまったから、こんな恰好をしてるんだ。クソッ」
たしかにグリムのようだ。
「やられたって、だれにやられたんだい?」
「あいつらさ」
そういって黒い火の玉はすこし尖がって城の上のほうを指した。城の上にはあいかわらず雪のような光の群れが舞っていた。しかしよくみると、雪のようにみえていたものが羽虫にみえてきた。
「あれはなんだい?」ボクは訊いた。
「外宇宙からやってきた計画9号だ」
「け、けいかく……きゅう? ……なんなんだい、それ?」
「計画9号。人間の言葉でいえば宇宙人だ」
「う、宇宙人!」
とうとうおかしなことになってきた。やっぱりボクは変な夢をみてるんじゃないかと、もう一度自分を疑った。
すると、天使がボクの目のまえに舞いおりてくるではないか!
「ああ、やっぱりコレは夢だ」とボクは確信した。
天使は、幼い子どものように可愛らしく、背中に白い鳥の翼をつけていた。人間の子どもと違うのは、髪の毛や肌が翼とおなじく真っ白だということくらいだ。
「まずい、ヤツらにバレた! はやくここから逃げるぞ!」と黒い火の玉になったグリムはいった。
しかしボクはグリムの忠告を無視して天使にちかづいた。
「おい、人間! なにをやってる! 死にたいのか!」グリムは必死になってボクを止めた。
しかしボクは、
「大丈夫だよ。こんなに可愛いし。それに、コレはボクの夢なんだから」
といって、天使に手をのばした。その瞬間──
天使の可愛らしい顔が上下に裂けて、ありえないほど口が大きく開いた。口のなかには鋭い牙が無数に生えていた。そしてその牙でボクを砕こうと噛みついてきた。
ボクは咄嗟に体をひねってよけた。頭のすぐ上で「ガチン!」と牙と牙が衝突する音が鳴った。
「走れ!」黒い火の玉が叫んだ。
ボクは走った。
黒い火の玉がボクの横にならんで飛んでいる。
「アレはなに!」ボクは怒鳴った。振り返ると天使が追ってきているのがみえた。
「アイツは計画9号の眷属だ。ヤバいぞ。あいつらはテレパシーでつながっている。すぐに大勢やってくるぞ」
「そんな! どうすればいい、グリム!」
グリムはしばらく考えるとこう言った。
「オレと契約しろ」
「契約?」
「ああ。いまのオレは力を奪われた状態だ。いまのオレじゃお前をたすけることはできない。でもオレと契約すればお前はオレの力がつかえるようになる」
「どういうこと?」
「オレがお前の体に入り、一時的に体を共有することで、オレの力をつかうことができる。お前も助かる」
ボクは逃げるのに必死でかんがえる余裕もなかった。
「わ、わかった! 契約する!」
「よし、契約成立だ!」
そういうと黒い火の玉がボクのなかに入ってきた。その途端、ボクのなかに力がみなぎった。
『オレの爪をつかえ! なんでも切り裂く鉤爪だ!』
頭のなかにグリムの声が響いた。
ボクの両手の指の爪が黒く光る大きな鉤爪になった。ボクは踵を返して、向かってくる天使にその鉤爪を振るった。
「ギアアアア!」という断末魔とともに天使は地面におちた。鮮血が飛び散る。
「うわああああ!」ボクは血と肉になった天使をみて悲鳴を上げた。
『泣いてるヒマはないぞ! 仲間がくる! 早く逃げるんだ!』
ボクは走った。まるで風のような速さで走ることができた。たぶんこれもグリムの力なのだろう。