婚約破棄され、家族に切り捨てられ、すべてを失った私が涙を呑んで去った先で、周囲が落ちぶれていくのを静かに見届けながら、唯一無二の王太子に見初められ、やがて真実の愛を知るまでの物語
「リリアーナ、あなたは本当にどうしようもない子ね」
母の冷たい声が、私の鼓膜を突き刺した。侯爵家の長女として生まれながら、私は幼い頃から両親に疎まれ、姉のクラリッサと比べられてばかりだった。
「姉上のように優雅でなく、頭も鈍い。容姿も中途半端。なのに婚約者だけは王太子殿下。身の程知らずにもほどがあるわ」
そう罵ったのは姉だった。完璧と称される美貌と才覚を備えた彼女は、常に私を見下ろし、時に人前でさえ平然と暴力を振るった。
私はただ、必死に耐えるしかなかった。
叱責されても、殴られても、涙を見せれば「惨めな女」と笑われる。だから、笑われぬよう、私は無表情を覚えた。
そして、ついにその日がやって来た。
「リリアーナ・グランチェスター、婚約を破棄する!」
盛大な舞踏会の場で、婚約者である王太子エドワード殿下は私を指さし、声高に宣言した。ざわめきが会場を覆う。
「お前のような心根の醜い女を妃に据えるわけにはいかない。真にふさわしいのはクラリッサ嬢だ」
クラリッサが艶然と微笑み、彼の隣に立つ。その瞬間、私はすべてを悟った。
家族は最初から、私を「替え玉」にしか見ていなかったのだ。私が悪役として蔑まれることで、姉がより輝く。そうしてすべてを姉に譲る筋書き。
「……承知いたしました」
私はわずかに微笑んで答えた。嗤い声が、場のあちこちから漏れた。
婚約破棄は王命として下され、私は侯爵家から追放された。
持たされたのは、古びた馬車とわずかな荷物だけ。
「せいせいするわ」母の吐き捨てる声を背に、私は生まれ育った屋敷を去った。
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街を歩けば、人々は囁いた。
「悪役令嬢だ」「殿下を騙した女」
石を投げられることもあった。それでも、私は足を止めなかった。
疲れ果て、国境を越え、隣国へとたどり着いた。誰も私を知らない土地で、初めて呼吸が楽になった。
──そして、出会ったのだ。
「君、怪我をしているじゃないか」
差し伸べられた手。夜空の下、私に声をかけてきた青年は、長い金髪に蒼の瞳を持つ、王子然とした人物だった。
「私は、隣国アルトリアの第一王太子、アレクシスだ」
その言葉に、私は目を見開いた。
王太子──? なぜ、そのような人がこんな辺境に?
「君が怯える必要はない。……君は、泣きたい時には泣いていい」
優しい声に、胸の奥が熱くなる。ずっと堪えてきた涙が、堰を切ったように溢れた。
「大丈夫、君を傷つけた者たちからは、私が守る」
その抱擁は温かく、私は生まれて初めて「庇護される」というものを知った。
──けれど、まだ知らなかった。
この出会いが、私の運命を大きく変えていくことを。
そして私を虐げた人々が、後にどのような破滅を迎えるのかを。
ーーー
アレクシス殿下に拾われた私は、アルトリア王国の王城に身を寄せることになった。
最初は居心地が悪かった。広い部屋、使用人の世話、温かな食事──どれも私には過ぎた贅沢に思えたのだ。
「リリアーナ、遠慮はいらない」
彼はいつもそう言って、私の硬さを解きほぐそうとしてくれた。
ある日、殿下自ら私の部屋にやってきて、机の上の帳簿を見て微笑んだ。
「君、字が美しいな。それに計算も正確だ。……侯爵家では、ずっとこういう役目を?」
「ええ。姉が人前で輝けるように、影で支える仕事は私の務めでしたから」
私が苦笑まじりに答えると、殿下は眉をひそめた。
「それは……本来、君が評価されるべき力だ」
その一言に、胸が熱くなる。
生まれて初めて、誰かに「認められた」と思えた瞬間だった。
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やがて私は、アルトリアの宮廷に少しずつ馴染んでいった。
殿下のすすめで書庫を整理したり、孤児院に寄付を仕組んだり。
「リリアーナ嬢のおかげで、これまで滞っていた案件が進みました」
臣下たちの感謝の声が広がるたび、心の奥に積もっていた黒い霧が晴れていくようだった。
そんなある夜。
「リリアーナ」
呼び出された庭園で、月光を背にしたアレクシス殿下が私を見つめていた。
「君に、礼を言わねばならない。……私の国は、君に救われている」
「わ、私はただ……」
「違う」
彼は歩み寄り、私の手を取った。
「君の誠実さと優しさは、誰よりも尊い。私は……君を愛している」
時が止まったかのようだった。
「そんな……私のような女を……」
「君だからいいのだ」
熱のこもった瞳に射抜かれ、私はようやく自分が生きていることを実感した。
そして、胸の奥底で眠っていた願いが、静かに芽吹いた。
「……私も、殿下を慕っております」
涙がこぼれると、彼は優しく拭い、抱きしめてくれた。
「リリアーナ。君を二度と、孤独にはしない」
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一方その頃。
私を切り捨てた祖国では、暗雲が立ち込めていた。
まず、王太子エドワードと姉クラリッサの婚姻は、国内外の反発を招いた。
「公然と婚約破棄を行い、他国の侯爵令嬢を辱めた」として、周辺諸侯が離反。
クラリッサは虚飾ばかりで政務に耐えられず、次第に「愚かな妃」と陰口を叩かれるようになった。
さらに、侯爵家も没落した。
私がいなくなってからというもの、帳簿は混乱し、商会との契約は次々に破綻。
母は神経を病み、父は酒に溺れる。
「なぜだ、すべてうまくいくはずだったのに!」
彼らは叫んだが、答えは簡単だった。
──彼らが蔑んだ私こそ、家を支えていたのだ。
やがて隣国アルトリアの圧力によって、王国は窮地に追い込まれた。
「国の威信を守るため、リリアーナ嬢を返還せよ」
そんな無茶な要求をしてきたのだ。
だが、アレクシス殿下は毅然と答えた。
「彼女は我が許嫁であり、未来の王妃である。二度と彼女を傷つけさせはしない」
堂々たる宣言に、国中が沸いた。
私は玉座の間の隅で震えていたが、殿下が私の手を握り、囁いた。
「大丈夫だ。君はもう、誰にも奪わせない」
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そして、運命の再会が訪れる。
私を追放した王太子と姉が、王城へやって来たのだ。
見る影もなくやつれた姿に、かつての華やかさはなかった。
「リリアーナ……戻ってきてくれ。お前が必要だ」
泣きつくエドワードの声は哀れでしかなかった。
私は彼を見据え、静かに言った。
「私はもう、あなたたちの影ではありません。私を虐げ、使い潰した報いを受けなさい」
クラリッサは絶叫し、母のように罵声を浴びせてきたが、私は一歩も退かなかった。
アレクシス殿下が私を抱き寄せ、冷ややかに告げる。
「我が妃を侮辱することは、アルトリアへの侮辱と同義だ。……二度とその口を開くな」
彼らは追い返され、その後失脚したと聞く。
栄華を誇った一族も、今は瓦解の一途を辿っているという。
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「リリアーナ」
静かな夜、殿下が私の名を呼んだ。
「君はかつて、蔑まれ、孤独に生きてきた。だがもう違う。私は君を愛し、君を敬う」
彼の腕の中、私は穏やかに微笑んだ。
虐げられた日々も、踏みにじられた誇りも、すべては今日のためにあったのだろう。
「殿下……いいえ、アレクシス。私も、心からあなたを愛しています」
月光の下で交わした口づけは、これまでの痛みをすべて癒やすように温かかった。
──虐げられた悪役令嬢は、もはや過去の私ではない。
私は愛されるべきただ一人の女性として、彼の隣に立つ。




