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遥かな旅路、雲間の彼方  作者: 古代かなた
禁断のフルコース
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禁断のフルコース (1)

 その町の外れには、ある一つの料理店があった。

 小高い丘の上にある、見晴らしのよい一等地。白い石造りの外装はところどころが蔦で覆われており、洒脱な印象を与えつつも、どこか風格を感じさせる。

 中庭には小さな泉が水を湛え、澄んだ水面に周囲の景色が逆しまに映されていた。


 しかし、その見事な威容とは裏腹に、店はおおよそ繁盛しているとは言いがたい。

 それというのも、この店で供されている料理の数々は、揃いも揃って常軌を逸したものばかりであったからだ。


 店の名前は“魔法の小鍋亭ラ・キャスロール・マジク”。

 世にも奇妙な、調理に魔術を取り入れた料理店である。


  ◆


「……なあ、ルタ様。本気でこの店に入るつもりか?」


 真夏の強い陽射しが、二つの人影を色濃く石畳に刻みつけていた。

 一人は老爺。齢はとうに七十を超えていようものだが、その足取りは矍鑠かくしゃくとして壮健。象牙色のローブを身に纏い、節くれだった樫の長杖を携えている。

 もう一人は少年。赤みがかった山吹色の髪を短く切り揃え、年頃は十を過ぎたばかり。店を見上げる翠玉色の瞳には、あからさまな不安と当惑の色が滲んでいた。


「何じゃ、ロット。もう怖気付いておるのか?」

「いや、怖気付きもするだろ。ルタ様だって聞いたじゃないか。やれ、料理に魔物の肉が使われているだの、料理を口にした客が、奇声をあげてのたうち回りだしただの……」

「噂というのは、常に尾ひれ端ひれが付くものじゃて」

「だからといって、流石にこれは度が過ぎてるだろう! どうせ行くなら、町中にあったもう一つの店の方がよかったんじゃないか?」


 町の人間の大半は、この店を訪れることがない。

 噂ばかりが一人歩きして、店主につけられた異名は“マドック・ザ・マッド”。

 どう見繕ったところで、まともな料理を出すコックに与えられるものではなかった。


「お主はまだ若いというのに、随分と頭が固い。何事も経験じゃぞ?」

「いやいや、そんな経験なんて必要ないだろ」

「それにな、儂の勘が告げておる。この店の料理はなかなかに面白そうじゃ、とな」


 料理に求めるのは、面白みではなく味なのではないだろうか。

 一歩も譲る気のないルタの主張に、ロットは渋々ながら折れるより他になかった。


 黒樫製のドアを押し開くと、店内は外観の印象に違わぬ風雅な造りをしていた。床には毛足の長い絨毯が敷かれており、旅用の硬いブーツで歩いても足音一つ立たない。

 壁掛けの燭台に灯る明かりは、店内を隅々まで橙色の柔らかな光で照らしだしている。純白のテーブルクロスには一点の染みすら見当たらず、テラスへ繋がる大窓は、綺麗に磨きあげられていた。


「やや、よくぞ参られた御客人!! 当店の利用は初めてですかな? もっとも、この店を訪れる客は、ほとんどが最初で最後の客ではありますが!!」


 閑散とした店の静寂を、けたたましい胴間声が打ち破った。

 厨房から姿を現わしたのは、筋骨隆々とした大柄の男。妙に鋭い眼光と撫でつけられた癖の強い赤毛。口顎には整えられた髭が蓄えられ、年齢はいま一つ判然としなかった。


「ルタ様、帰ろう。やっぱり、ここはまともな店じゃない」

「まあまあ、そう言うでない。お主が店のオーナーかの?」

「如何にも! 吾輩はこの“魔法の小鍋亭”の店主であり、総料理人を務めるマドックであります。町の者は親しみを込め、“マドック・ザ・マッド”と呼んでおりますが!!」


 がははと豪快に笑いながら、マドックは二人を席まで案内した。音もなく差し出されたグラスの水面には、波紋一つ浮かんではいない。


「お二人とも旅の方とお見受けする。もしや、ご老人は魔術に造詣が? さしずめ少年はそのお弟子といったところでありましょうや」

「うむ、そんなところじゃ。旅の道中でこの店の噂を耳にしてな。こうして立ち寄らせてもらったという訳じゃよ」

「いやはや、それはお目が高い!! このマドック、誠心誠意で腕によりをかけ、お二人の舌を満足させてみせましょうぞ!!」


 店主のマドックは、とにかく豪放磊落を絵に描いたような人物だった。少なくともその振る舞いは、己の料理に対する絶大な自信に満ち溢れているようだ。


「と、ところでマドックさん。この店ではどんな料理を出してるんだ? その、メニューらしきものが見当たらないんだけど」

「メニューなぞありませんぞ、少年!!」

「……は?」

「何せ、当店は見ての通りの閑古鳥。いたずらに食材を仕入れても、腐らせてしまうのが関の山ですからな。ここで提供するのは、我が渾身のフルコースただ一つ!! それ以外の料理は、一切扱っておりませぬ!!」


 ロットは開いた口が塞がらなかった。そもそも、食材の仕入れすらままならないのに、フルコース料理だけは出すなんて完全に論理が破綻している。

 そんな少年の心中などどこ吹く風で、マドックは意気揚々と厨房へ向かった。


「駄目だ。不安しかない……」

「後悔するのは実際に料理を味わってからでも遅くなかろう。ほれ、お主も水でも飲んで気を落ち着かせよ」

「ルタ様は、どうしてそんなに余裕綽々なんだよ……」


 泰然としているルタの胆力に半ば呆れつつ、ロットはグラスの水を口にした。

 ただの水かと思いきや、わずかに爽やかな柑橘の風味が漂っている。そういうところはきちんとしているのだと、ロットは少しだけ感心する。


 ……最初の料理が運ばれてくるまでは、だったが。


「まずは前菜オードブル。『海魔の触手と首絞め葡萄ストラングラーヴァインのマリネ』にございますぞ!!」

「か、海魔の触手に、ストラングラーヴァインだって!?」


 マドックが運んできた皿には、毒々しい色合いの触手が薄切りに盛り付けられていた。そして、付け合わせに添えられているのは、血のように赤く染まった果実。


 海魔は海辺に生息している怪物の一種だ。大きさは千差万別だが、一説によれば船をも沈める巨大な個体まで存在するらしい。

 全身がぬめった粘膜で覆われており、身体から生えた無数の触手で獲物を捕える。そのおぞましい姿は、まさに海魔と呼ぶに相応しいといえるだろう。

 そして、ストラングラーヴァインは魔素に冒された葡萄の木が変異して生まれる。

 根を自在に這わせて動き回り、伸ばした蔓で犠牲者を締め殺すという、世にも恐ろしい植物性の魔物である。


 どちらも食材にするなど、まかり間違っても考えつかない代物だった。


「な、何なんだこれ。まさか、本当に魔物の肉を出してるっていうのか!?」

「無論である!! 吾輩のレシピには嘘偽りなどありませぬぞ!!」

「ふざけないでくれ!! どこの世界に、魔物の肉を料理に使う馬鹿がいるんだ!! どんな悪影響が出るか、わかったもんじゃないぞ!!」

「ご安心あれ。この店の食材はすべて吾輩自らが検分、実食を経て厳選した逸品ばかり。お客様の健康を害することがあっては、料理人の名折れですからな」

「そういう問題じゃないだろう!!」


 声を荒げるロットと対照的に、ルタは至って平然としていた。ナイフとフォークを手に取ると、マリネを切り分けて口へと運ぶ。


「ル、ルタ様!?」

「……ふむ。なるほど、これはなかなかに興味深い味わいじゃ。ロットよ、お主もまずは一口食べてみよ」

「けど、ルタ様。それは魔物の肉なんだぞ。そんなもの食べたら……」

「少なくとも、儂はこうしてピンピンしておるではないか。それとも、お主は儂の言葉が信じられぬとでも?」

「うっ……。わ、わかったよ。食べればいいんだろ、食べれば……」


 ルタに促され、ロットはぶつくさ言いながら料理をフォークに突き刺した。

 黄みがかったソースのかかった触手は見れば見るほどグロテスクで、平然と食しているルタを目の当たりしてもなお、抵抗を拭い去れない。

 ええい、ままよ。ロットは目を固くつぶり、触手を口の中へと放り込む。


「……あれ。意外と、いける?」

「ふふ、そうであろう、そうであろう」


 拍子抜けして呟くロットに、マドックは腕組みをしながらしたり顔で頷いた。

 海魔の肉は今まで食べたことのない、独特の弾力があった。意外にもその身は淡白で、けれども噛めば噛むほどに旨みが滲み出てくる。

 続いてロットは、ストラングラーヴァインの果実にフォークを伸ばした。ぷちっとした皮を噛み切ると、中から酸味の強い果汁が溢れだす。元の葡萄とは似ても似つかないが、瑞々しくも爽やかな味わいがマリネのアクセントに一役買っていた。


 まったくの未知といってよい奇抜な食材でありながら、確かにこれは一つの料理として成立している。


「……悔しいけど、確かに美味い。海魔やストラングラーヴァインが食べられるなんて、今まで思ってもみなかった」

「流石に大型の海魔となると、癖が強過ぎて食えたものではないのだがな。幼生の触手は下ごしらえ次第で、他に類を見ない珍味にも化けるのだ」


 ロットの反応に気をよくしたのか、マドックは饒舌に食材の解説を始めた。


「ストラングラーヴァインの果実もまた、元が葡萄とは思えぬ別種の味わいに仕上がっておるであろう。熟成の度合いによっては猛毒を含むので、可食部の選定には細心の注意を払う必要があるのが玉に瑕だな」

「特にこの、海魔の肉は絶品といってもよかろう。これならばワイン……白ワインなどと合わせると格別じゃろうな」

「これは慧眼ですな。ちょうど、ワインセラーにとっておきの一本がありまする。もしもよろしければ、そちらをお持ちしますが?」

「ロットがいる手前、儂だけ楽しむという訳にもいかぬ。誠に残念だが、今回は遠慮しておくとしよう」

「左様でありますか。それでは、次の料理をお持ちしましょう」


 恭しく一礼をすると、マドックは再び厨房へと戻っていった。しばらくしてマドックが運んできたのは、この世のものとも思えない不思議な色合いをしたスープだ。


「また、すごいのが出てきたな……。マドックさん、今度はどんな料理なんだ?」

「こちらは『虹のきらめき』。あらゆる食材の旨みを凝縮した逸品にござりまする!!」


 スープに具は入っておらず、透き通った液体はその名の通り、見る角度によって複雑に色彩を変化させた。見た目のインパクトはマリネほどではないが、やはり食べ物としては奇抜極まりない。

 しかし、その味はマドックの自信に恥じぬものだ。肉、野菜、魚介、香辛料。それらの素材の旨みが渾然一体となり、かつてない複雑で濃厚な味わいを生み出していた。


「秘薬調合に用いる手法の中に、特定の薬効のみを抽出するというものがありましてな。吾輩独自の研究によって、それを料理へ転用することに成功したのです。その成果として完成したのが、自然には存在し得ない万能調味料。これぞまさしく、料理における霊薬エリクシルと呼べましょうぞ!!」

「見た目が虹色じゃなけりゃ、もっとよかったんだけどな……」

「精製の過程で加える触媒の影響で、どうしてもこうなってしまうのです。ですが、この味の前には些末な問題でありましょう。スープだけでなく、煮る、焼く、炒める。ありとあらゆる料理に応用が利くのですぞ!!」


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