盗まれた宝珠 (2)
曲がりくねった山道をようやっと登りきり、二人は件の水車小屋に辿り着いた。
みすぼらしい外観だが、意外にも庭の手入れは行き届いていた。猫の額ほどの広さではあるものの、水路が引かれた本格的な菜園まで作られている。
「あなた達は……どうやら、村の者ではないようですね」
ノックしてややしばらく、姿を見せたのはやや線の細い印象の青年だった。伸び放題でぼさぼさになった栗色の髪を、麻紐で乱雑に括っている。
「どうぞ上がってください。何となく、用件の察しはついています」
青年はラウルと名乗り、二人を家の中へと招き入れた。
書物や巻物が所狭しと散らばる室内は、規模こそ違えどルタの屋敷を彷彿とさせる。
足の踏み場もない部屋に無理やり隙間を作って、二人へ座るように促す。
「あなた達は旅の魔術師のようですね。村長の依頼で豊穣のオーブを探しておられる……そんなところでしょうか?」
「ああ、そうだ」
ロットのいらえに、ラウルは部屋の片隅に置かれた木箱を手繰り寄せる。
箱の蓋を開けると、中には乳白色で拳大の宝珠が納められていた。
「やっぱり、あんたが宝珠を盗んだ犯人なのか。一体、どうしてこんな真似を……」
「ここまでやって来たのなら、その理由にもあらかた見当はついているのでしょう?」
「それは……」
言い淀むロットに対し、ラウルは静かな口調で先を続けた。
「宝珠は確かに村に恵みをもたらしていますが、同時に村の争いの原因にもなっている。現状を見かねた私は、安置されているオーブを密かに持ち出したのです」
「言い分はわからなくもないけど、勝手に盗むのはやり過ぎだろう。宝珠の力が村全体に及ばないなら、今まで通り持ち回りで管理すれば……」
「残念ながら、そうもいかないのです」
ラウルは力なく首を振った。
「申し遅れましたが、私は農学を修めておりまして。豊穣をもたらすというオーブの噂を耳にして、数年前にこの村へ移住してきたのです」
彼の生家は田舎の男爵家で、彼はその末子だという。貴族といえども、小さな領地しか持たぬ下級貴族に末子が相続する資産はない。
せめて後継ぎの長男を支えるために、そして領内の農業を発展させるべく、彼は農学を志したのだという。
「私も当初はオーブを持ち回りで管理すべきと考えました。合議に参加し、そうするよう働きかけたのは他ならぬ私です。ですが、それは思いも寄らぬ結果を招いてしまった」
「思いも寄らぬ結果?」
「オーブの効力が及ばなかった土地だけ、作物の収穫量が極端に落ちてしまったのです。それだけではありません。他の畑では見られない病害までが蔓延してしまった」
これは私の推測ですが、とラウルは前置きして続ける。
「このオーブは周囲の土地からいったん養分を汲み上げ、その土地に恵みを行き渡らせているのでしょう。ですが、その代償として周囲の土地を痩せ衰えさせてしまうのです」
「村の周りは、元から森に覆われていたはずだ。そんな問題があるなら、とっくに樹々が枯れてしまってもおかしくないんじゃないか?」
「恐らく、肥沃な森の土壌なら影響は微々たるものだったのです。村の規模が小さな間は問題にならなかったのでしょうが……」
「農地を拡げ続けた結果、土地の養分を賄いきれなくなった……ということかの?」
締めくくるようなルタの言葉を、ラウルは重々しく首肯した。想像より深刻な事態に、ロットも黙り込んでしまう。
「……村の人々は、まだこの問題に気付いてません。ですが、実際に不作を被った家ではかなりの被害が出ている。問題が明るみに出れば、尚さら持ち回りでの管理は難しくなるでしょう。不作になるとわかりきっているのに、わざわざオーブの恩恵から遠ざかる者はいないでしょうから」
「いっそ宝珠そのものを、どこか別の場所まで移動したりできないのか? 例えば、誰も近寄らないような山奥とか」
「オーブに施された護りの術法が、それを許してくれないのです。破壊する方法も色々と考えましたが、私程度の魔力では傷つけることさえ叶いません」
その時、扉を激しく打ちつける音がした。
扉の向こう側には、村長をはじめとした村の人々が詰めかけている。どうやら、小屋に向かったロット達を後から尾けてきたらしい。
「ラウル、やっぱりお前が犯人だったんだな」
「だから言ったんだ、北側の人間なぞ信用できねえって!!」
「勝手にオーブを持ち出した件については謝罪します。ですが、このままでは……」
「うるせえ、とっととオーブを返しやがれ!!」
罵声を口にしながら掴みかからんとする村人たちの前に、ロットが立ちはだかった。
「そこをどけ、一緒にぶっ飛ばされてぇのか!!」
「ガキのくせに、しゃしゃり出てくるんじゃねえよ!!」
「ッ……誰がどくか!! ちょっとは頭を冷やせよ、ラウルさんはあんた達のために宝珠を持ち出したんだぞ!!」
凄まじい剣幕にたじろぎながらも、ロットは必死で食い下がった。しかし、小柄で未だ見習いの身である彼には半ば暴徒と化した村人を止める術はない。
勢い余った村人が投げつけた石つぶてが、ロットの目の前で砕け散った。長杖を掲げたルタが、不可視の障壁でそれを阻んだのだ。
「そこまでにせんか。子供相手にみっともないじゃろう」
「何だァ!? ジジイは黙って……」
「黙るのはそっちじゃ、このたわけめ」
静かなルタの一喝に、その場がしんと押し黙った。
吹けば飛ぶような老体に、圧倒的なまでの威圧感をみなぎらせている。村人はおろか、ロットやラウルまでも息を呑んだ。
たった一言で場を鎮めたルタは、ロットに目配せをして続きを促した。あまりの迫力に呆気に取られつつも、少年はどうにか言葉を紡ぎだす。
「……宝珠には副作用があったんだ。宝珠の恩恵を得られない土地は、周りと比べて痩せ枯れてしまう。ラウルさんはそれに気付いて、宝珠を村から遠ざけたんだ」
「だ、だったら、あぶれた連中は村から出ていけばいい! この村の恵みを受けられない奴らは、どこへなりとも行っちまえば……」
「何だと!?」
「村を潤してきたのが、自分たちだけだとでも思っているのか!?」
「そうだそうだ! 宝珠に頼りっきりで何もしてこなかったくせに!!」
二方に分かれて、激しくいがみ合う村人たち。
このまま言い争っていたのでは、事態の収拾は困難だろう。ロットがそう考えた矢先、再びルタが口を開く。
「まったく、お主らの言い争いは実に聞くに堪えぬ。宝珠を授けた大賢者も、このような諍いの火種になるなど望んでおらんかったじゃろう」
「ああっ……!?」
いつの間にかルタの手には、木箱から取り出された宝珠が握られていた。一同の視線が集中する中、ルタは宝珠を高らかに掲げる。
「大賢者が犯した最大の過ちは、尽きせぬ恵みを与えてしまったことじゃ。その過ちは、誰かが糾さなければならぬ」
「ルタ様、まさか……」
狼狽える村人たちを意にも介さず、ルタは宝珠を勢いよく床に叩きつけた。
澄み渡った音色を奏でながら、宝珠が粉々に砕け散る。破片がみるみるうちに光の粒と化し、朝陽を浴びた霜のように宙へと溶け消えていった。
「そ、そんな馬鹿な……」
「あのオーブを、いとも簡単に……」
「何ということをしてくれたのです!! 宝珠を取り戻すどころか、壊してしまうなど……これでは、村が立ち行きませぬ。どう責任を取ってくれるのですか!?」
「儂は宝珠を形作っていた力を、あるべき姿に戻したまで。宝珠が循環させていた大地の恵みは、これより自然な形で還元されるようになるじゃろう」
血相を変えて詰め寄る村長を、ルタが淡々とした口調で受け流した。
目の前で起きた現実を受け止めきれず、村人たちは呆然と立ち尽くしている。しばしの沈黙を経た後、ロットが進み出て口を開いた。
「……オレの故郷も農村だったから、凶作の怖さ自体はよく知ってるつもりだよ。備えがないまま迎える冬ってのは、本当に辛いよな。わずかに蓄えた食料で食い繋いで、新しい春を待つしかないんだ」
「それがわかってるなら、どうして……!!」
「だけど、宝珠はこの村にしかなかった。こんなのは、どこにだってある話だ。だから、どこの村も凶作に備えて、飢えを凌ぐために最低限の蓄えを作る。あんたらの祖先だって本来はそうしてきたはずだろう?」
ロットの言葉に対し、村人たちは即座に反論できず押し黙ってしまう。
「宝珠は確かに、飢えに苦しむ人たちを救ったのかもしれない。でも、こんな風にずっと依存し続けていいものじゃないはずだ。この場で宝珠を手放せたなら、むしろよかったとオレは思うけどな」
「ふん、お前のような若造が何を偉そうに!!」
「オーブの力もなしで、これからどうしてけばいいんだよ!?」
「そ、それについては、私から提案があります!!」
そう言って声をあげたのは、事の成り行きを見守っていたラウルだった。訝しげに睨む村人たちを前に、彼は気丈にも言葉を続ける。
「ここへ移り住んできて以来、私はずっと村の土壌を研究し続けてきました。その知識をもってすれば、これからも安定した収穫を十分に確保できるはずです」
「……本当に、信用してもいいんだろうな?」
「ええ。オーブの力には及ばなくとも、村のために全力を尽くさせていただきます」
深々と頭を下げるラウルの様子に、村人たちもようやく落ち着きを取り戻し始めた。
「だ、そうじゃ。これからは宝珠なんぞを当てにはせず、手を取り合って村を盛り立てていくんじゃな」
村人たちの反応は人それぞれだった。ルタに頷く者もいれば、納得できず憤慨する者もいる。中にはルタに食ってかかる者までいた。
様々な反応が飛び交う中、ルタはロットを伴ってその場を後にする。
最後に一度だけ振り返った二人に気付くと、ラウルは静かに黙礼を返した。
「やれやれ。これでは村で休むのは難しそうじゃな。ロットよ、お主には悪いが、今日は野宿とさせてもらうぞ」
「なあ、爺さん」
どこか晴れ晴れとした表情のルタに、ロットが問いかける。
「じゃから、ルタ様と呼べというに。して、何じゃ?」
「どうして、宝珠をこれ見よがしに壊してしまったんだ? そりゃあ、宝珠が村にとって重荷になってたのは間違いないけど、もっと穏便な方法もあったんじゃないか?」
「ああでもせんかったら、村人たちはなかなか宝珠を手放さなかったじゃろう。それに、ラウル殿に向かっていた矛先を逸らす必要もあった」
「だから、わざわざ憎まれ役を演じたとでも?」
「仲違いをした双方を団結させるには、共通の敵を作ってやるのが一番じゃからのう」
「ったく、とんだ荒療治もあったもんだな……」
呵々《カカ》と笑う老爺の姿に、ロットはがっくりと肩を落とした。共に旅をするようになって思い知らされたのだが、こう見えてルタは結構な食わせ者なのだ。
「後始末に付き合わせてしまった、せめてもの詫びじゃ。たまには手づから美味い飯でも作ってやるとしよう」
「言われてみれば、ルタ様の料理って食べたことがないな。何を作ってくれるんだ?」
「それは、できてからのお楽しみじゃな」
夕闇が迫る中、二人は野営の準備に取りかかるのだった。