盗まれた宝珠 (1)
その村に一歩足を踏み入れた途端、ロットは違和感を覚えた。周囲から向けられている村人たちの視線は、どう見積もっても好意的とは言いがたい。
猜疑、警戒、あるいは敵意。そんな負の感情が村の中に渦巻いているようだ。
あまりに居心地が悪く、今夜はまともに宿が見つけられないかもしれない。そう思った矢先に、背後から声がかかった。
「もし、そこな御二方」
声がした方を振り返ると、灰色の髪を後ろに撫でつけた初老の男が佇んでいた。
村人たちよりも幾分仕立てのよい衣服に身を包んでおり、一目に見ても村長か、それに類する人物であると見て取れる。
「あなた方は旅の魔術師とお見受けします。我々に何とぞ、お力添えを願えませぬか」
ロットが隣をちらと仰ぎ見てみると、ルタはゆったりと頷いてみせた。どうやら、彼の申し出を受けるつもりのようだ。
「我々にできることであれば、何なりと」
「おお、それはありがたい限り。では、早速こちらへ」
男はやはり村長であり、二人を自らの家まで案内した。
通りがかった目抜き通りには、作物や雑貨を商う露店が軒を連ねていた。比較的閑散としているが、村の暮らし向きそのものは悪くないように思える。
素朴ながらもしっかりした造りの民家が、村長が住む家だった。普段は食事に使われているであろう居間に通され、椅子にかけるよう勧められる。
程なくして、村長婦人が盆に茶器を載せてやってきた。香草を煎じて淹れた茶は、この地方ではごくごくありふれた飲み物だ。配合は家庭それぞれで違っており、村によっては旅人がこぞって求めるような逸品まであるという。
「つい先日の話です。村に伝わる宝物が、何者かによって盗まれてしもうたのです」
「ほう。宝物とな?」
「はい。豊穣のオーブという、かの大賢者から授かった由緒正しき品でございます」
かつて凶作に苦しむ村に心を痛めた大賢者ダルフが、村人たちに与えたとされる宝珠。それ以来、この村は決して飢える者がなく、今日まで平和に暮らしてきたという。
「そんなにすごい宝珠なら、外から奪いにくる輩もいるんじゃないのか?」
「オーブには強固な護りが施されており、害意のある余所者は近付けませぬ。過去に賊が現れましたが、そのいずれもが失敗しております」
「……ちょっと待ってくれ。余所者が近付けないんなら、つまり……」
「宝珠を盗んだ犯人は、村の内部にいる可能性が高い、と。そういうことじゃな?」
確かに村の大切な宝が盗まれてしまい、あまつさえその犯人が身内であるとするなら、村を取り巻いている重苦しい空気にも納得できるというものだ。
「大した謝礼は用意できず、誠に心苦しいのですが……どうか、ご助力願えませぬか?」
「あいわかった。こちらは行く当て処もない旅の途上。この老骨めの微力でもよければ、喜んでお貸しいたそう」
「おお、引き受けてくださるか。誠にかたじけない限りでございます」
深々と頭を下げる村長に見送られながら、二人は家を後にした。少し歩いたところで、ロットが老爺の顔を見上げながら問いかける。
「なあ、あんな安請け合いしてよかったのか?」
「困っている者を助けるのも、立派な魔術師の務めじゃよ。それに、その宝珠とやらにも少しばかり興味があるからの」
「へえ……爺さんでも、宝に執着なんてするんだな」
「儂のことは爺さんではなく、ルタ様と呼べと言うておるじゃろうが。ともあれ、宝珠の行方探しはお主にも手伝ってもらうぞ」
「ええっ、オレも一緒に探すのかよ?」
「これも修行のうちじゃ。まずは村人たちから情報を集めるとしよう」
ルタに促され、ロットは渋々ながら聞き込みを始める。
当初は警戒心も露わな村人たちだったものの、余所者が宝珠に手を出せないのは周知の事実らしく、苦い顔をしながらも質問に応じてくれた。話をするうちに、周りの村人たちも後から会話に参加してくる。
「誰がオーブを盗んだかって? そんなの決まってる、村の北側の連中さ」
「んだんだ、あいつらは昔っから気に食わなかったんだ」
「村の北側? 同じ村の住人じゃないのか?」
「馬鹿言うでねえ。あいつらはこの村の噂を聞きつけて、後からここへやって来たんだ。俺たちからすりゃあ、余所者と大して変わんねぇべ」
詳しく話を聞いていくと、村には大別して二つの地域が存在すると判明した。古くから定住する人々が住む南側と、森を切り拓いて新たに入植してきた人々が住む北側。
当初は多少の交流もあったものの、村が大きくなるにつれて問題も生じだした。農地の拡大に伴って、宝珠の効力が及ばなくなってきたのだ。
これまで宝珠は村の共有財産であり、村の中央にある広場に納められていた。しかし、それでは宝珠の恩恵に与かれない農地が出てきてしまう。
合議の結果、宝珠を持ち回りで管理することになったのだが、その頃から徐々に不満の声が出始めたというのだ。
「オーブは先祖代々、村を守ってきた大切な宝だ。どうしてそいつを、何処の馬の骨ともわからん連中に使わせにゃならんのだ」
「後からやって来た癖に、オーブの恩恵を受けようだなんて図々しい奴らだべ。きっと、オーブの力を独り占めにしたくなって盗んだに違いねえ!」
口々に不平を並べる村人たち。その様子からしても、常日頃からどのようなやり取りが両者の間にあったか容易に想像がつく。
「宝珠を盗んだのは、本当に北側の人間なのか?」
「さあのう。じゃが、南側の人間にも宝珠の行方の見当はついておらんようじゃ。今度は北側にも当たってみるとしよう」
川を挟んだ村の北側は、南側と比べて真新しい家屋が目立った。畑を耕している人々も南とは異なり、年若い者が多く見受けられる。
牛に鋤を引かせている農夫に対して、ロットは声をかけた。同様に聞き取りをすると、農夫は露骨に顔をしかめてみせる。
「南側の連中、今度はそんなことまで言いだしてるのか。馬鹿も休み休み言ってくれ」
「オレもあんた達が盗んだとは思ってない。けど、本当に心当たりはないのか?」
「考えてみろ。ただでさえ揉めている状況で、急にこっちの畑の実りだけよくなったら、それこそ犯人にされちまうだろ」
農夫の話には一理あった。少なくとも、こちらに嘘をついているようには思えない。
「この村の噂を聞きつけて、俺たちが移り住んできたのは紛れもない事実さ。だが、森を実際に切り拓いて荒れ地を耕し、畑を育ててきたのは俺たちなんだ。同じようにオーブの恩恵を受けて、何が悪いっていうんだ」
「確かにそうかもしれない。けど、もう少しお互いに歩み寄れないのか?」
「どうしてこっちが譲歩しなきゃいけないんだよ。それに、俺から言わせれば南の連中はオーブの力でぬくぬくと暮らしてきた。そんな奴らに、偉そうにされたくはないね」
他の村人たちにも話を聞いてみたが、概ね似たような反応だった。みな一様に、南側の人間への不平を述べている。そんな折に、ロットは思わぬ情報を耳にする。
「……仲間を売るようで、あまり気は進まないんだけどよ」
前置きを挟むと、その男は声を潜めて語りだした。
「宝珠の在処に、一つだけ心当たりがあるんだ」
「ほ、本当か!?」
「しっ、声が大きいって。この村の外れには古い水車小屋があって、そこに住み着いてる変わり者がいる。気味悪がって誰も近寄らないんだが、あいつがやったんじゃないかって密かに噂になってるんだ」
道のりを教わったロットは、早速ルタを伴ってそこへと向かうことにした。
水車小屋までの道すがら、ルタはロットに問いかける。
「今回の一件、お主はどう見る?」
「……村の宝であるオーブを盗みだしたのは、確かに許せないと思う。けど、あんな風にいがみ合っているのを見ると、複雑な気分だな。あれじゃきっと、宝珠を取り返したってまた奪い合いになる」
大賢者とやらも、厄介な代物を遺してくれたもんだ。そうぼやくロットに対し、ルタは苦笑いをこぼした。