遥かな旅路、雲間の彼方 (1)
宿の外から聞こえる潮騒の音が、穏やかに耳朶をくすぐった。
ここはラース島の北端に位置している、ルーフェンという名の港町。
サンクティア大陸との間を行き来する連絡船が発着する唯一の港であり、近隣諸国との貿易も盛んな活気ある町である。
「連絡船の空きがあるようで助かった。これならば、明日の朝には出立できるじゃろう」
「……ああ、そうだな」
ベッドの端に腰かけたまま、ロットは窓の外へ視線を向ける。賑やかな街並みの先に、どこまでも続く海と空が広がっていた。
あの惨劇の一夜から、既に半月が経過していた。
地下墓地を脱出したルタとロットは、村を出発する前に“凪待ち亭”へと立ち寄った。エリオの安否を気遣っていたヒルデに、事の顛末を伝えるためにだ。
結局、彼女には地下墓地の出来事を話せなかった。遠戚を頼って村を出て行ったという報告に、ヒルデは悲しげな顔で「そうかい」と答えるばかりだった。
現場から辛うじて回収できたのは、彼が手にしていた杖と短刀の残骸のみ。
それらはロットとルタの手で、丘の上のソフィーの墓の隣へ丁重に葬られた。
風の噂では、あの村に教会から調査団が派遣されたらしい。
ルタの言によれば、教会には古来より人の身に余る力を封印し、隠蔽するための組織が人知れず存在するのだという。そして、その組織には決して関わるべきでない、とも。
「なあ、ルタ様」
「何じゃ、ロットよ」
「オレはさ、どうしてもエリオが他人事のように思えないんだ。あいつはソフィーさんが本当に大切で、助けたい一心であんな真似をした。やり方は確実に間違っていたけれど、それでも気持ちだけはわかるんだ」
「……そうか」
その独白に対し、ルタは否定も肯定もしない。ただ、静かに耳を傾けるだけだ。
ルタに向き直ると、ロットは彼に向かって深々と頭を下げた。
「ロット……?」
「オレが弟子になりたいと言いだした時、まだ早いって言ってた意味が今ならわかるよ。爺さん……いや、ルタ様。オレをここまで連れてきて、ありがとう。そして、これからもどうか、よろしくお願いします」
「……お主がそれを見出せたのなら、儂も旅に連れてきた甲斐があるというものじゃ」
穏やかに微笑みかけるルタに、ロットもまた屈託のない笑みで応えた。
雲間から差した陽の光が海原に反射して、まばゆく煌めいていた。その輝きはまるで、これから行く先の旅路を祝福しているかのように晴れやかだった。
「よしっ!!」
自分の頰を手のひらで軽く叩くと、ロットは勢いよくベッドから飛び降りた。
「なあ、ルタ様。確かこの町には、郵便ギルドってものがあるんだったよな?」
「うむ。これまでは行商や冒険者を通じて配達していた手紙や小包を、一手に賄うために設立されたと聞いておる。それがどうかしたか?」
「村まで手紙を書こうと思うんだ。今の気持ちを、誰かに伝えておきたいからさ。オレは元気でやってる、これからも頑張るって」
「なるほど、それはいい考えじゃな。……して、宛先は何とするつもりじゃ?」
「えっ? ……そ、それは、その……誰だっていいだろ」
珍しく底意地の悪そうな笑みを浮かべているルタに、ロットは口ごもりながら、ふいと視線を逸らした。
「もっとも、それは聞かずとも想像がつくというものじゃがな。ほれ、早う行ってこい。儂はここで待っておるでな」
「ああもう、わかってるよ!! それじゃ、ちょっと行ってくる!!」
顔を真っ赤に染めながら、ロットは慌ただしく部屋を出ていく。
「……まったく、少しは成長したかと思えば、まだまだ子供じゃな」
駆けだす少年の背中を見送りながら、ルタは苦笑しつつ肩を竦めるのだった。