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遥かな旅路、雲間の彼方  作者: 古代かなた
ホルスの獣
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ホルスの獣 (2)

 翌朝は霧が深く立ち込めていた。


 朝食を済ませた後、二人は殺害された動物が打ち捨てられている空き地へと向かった。村医者による検分が行われる予定があると聞き、交渉してその場に立ち合わせてもらうことにしたのだ。


 空き地には既に数人の村人たちが遠巻きに集まっていた。死後数日が経過している骸は冬場とはいえひどく傷んでおり、周囲には強烈な腐敗臭が漂っている。

 あらかじめ定められた時刻を過ぎても、医者は姿を現さない。次第に焦れてきたのか、村人たちが口々に不平をこぼし始める。


「まったく。いつまで待たせるんだ、タリムの奴は」

「とうとう、夜逃げでもしたんだったりしてな。ここ最近、とんと稼ぎが悪くなったってぼやいてたらしいじゃないか」

「けっ、自分から客を選り好みしといて、何を言ってやがるんだか。あの守銭奴がいなくなるってんなら、こっちだってせいせいすらぁ」

「やめとけよ。余所者だっているんだ、聞かれたらどうする」


 横目で二人を牽制しながら、村人たちはひそひそと言葉を交わしている。

 この村の医者の評判がお世辞にも良くないことは、端から聞いているロットにも容易に想像がついた。

 いくら待てども姿を見せない医者に村人たちが痺れを切らしだした頃、ルタは背後から彼らに声をかける。


「少しばかり、よろしいかな」

「何だよ、爺さん」

「もしよければ、お医者様が来るまで骸を検めさせてもらってもよいじゃろうか」

「あぁ? 黙って見てるだけって約束だったろうが」

「こう見えても、多少ならば医術の心得もある。なぁに、そちらの邪魔立てをするような真似はせぬさ」

「本当かよ……。まあいいさ、好きにしな」


 村人の了承を取り付けたルタは、敷き藁の上に横たえられている雌牛の死骸へ近付いていく。ロットもそれに倣おうとするが、あまりに凄惨な光景に思わずたじろいでしまう。袖で口元を覆いながら、迫り上がる吐気を懸命に堪えた。


「ひどいな、こいつは……」

「おい、何かわかるのか?」


 村人の一人が、老爺に声をかける。ルタはそちらには目もくれず、獣の様子をつぶさに観察していた。やがてルタは調査を終えると、ぽつりと小さな声で呟く。


「……やはり、ただの獣の仕業などではないな」

「どういうことだよ」

「このような傷は、生半可な手段で付けられるものではない。恐らくは風の……それも、中級以上の攻撃魔術でも用いなければこうはなるまいよ」

「ま……魔術、だって……!?」


 ルタの言葉により、村人たちがにわかに色めき立つ。このような閑村では、魔術を目にする機会そのものがないに等しいだろう。


 同じように説明を聞いていたロットの脳裏には、丘で見かけたあのエリオという少年の姿が思い浮かんでいた。

 今にして思えば、彼とすれ違う際に感じた違和感の正体は、自らと同じ魔術師としての気配だったのかもしれない。


 しかし、それと同時に疑問も生じる。先にルタが述べた通り、これだけの威力を持った魔術を自分と同年代の少年が扱えるものだろうか。

 少なくとも現状のロットの実力では、中級はおろか初級の攻撃魔術すら覚束ない。仮に目の前の惨状がエリオによって引き起こされたのだとすれば、彼の技量はロットのそれを遥かに上回るということを意味する。


「駄目だ、どこにもいない」


 その時、村人の一人が空き地にやって来た。村医者の不在に業を煮やし、診療所にまで迎えに行っていたようだ。だが、その表情には焦りと困惑が色濃く滲んでいる。


「診療所はもぬけの殻だった。それに、どうも様子がおかしい」

「おかしいって、何が?」

「あいつの家にも行ってみたが、扉が開けっぱなしだった。もしかすると、昨日の夜から帰ってきてないのかもしれん」

「やっぱり、夜逃げじゃないか?」

「家の中には、金目のものが手つかずで残されていた。あの金の亡者が、夜逃げするのにそんな真似をすると思うか?」

「確かに、そいつは妙だな……」

「それだけじゃない。これは帰り道で聞いた話なんだが、どうも自警団の連中まで何人か行方不明になってるらしい。昨晩の見回りが終わってから、帰ってきてないって」

「おいおい……」


 村人たちの間に動揺が広がり、お互いの顔を見合わせて囁き合った。

 相次ぐ家畜や動物への被害に加え、ついに人間まで行方をくらましたとなれば、両者を結びつけて考えてしまうのも無理からぬことだろう。

 ざわめきが大きくなる中、不意に誰かの口から漏れた呟きが場の空気を凍りつかせた。


「……これはやはり、魔女の祟りなのかもしれんな」


 その一言を皮切りに、恐慌はますます広がっていく。


「おい、馬鹿を言うな!! あいつはもう、何年も前にくたばっちまったろう!!」

「け、けどよぉ。やっぱり、こんなの普通じゃねえ。お前だって聞いたはずだ。あの娘がどうやって死んじまったか……」

「やめねぇか!! 別に俺たちは、直接あいつに何かしたんじゃねぇ。こんな風に祟られる筋合いなんて、ねえはずだろうが!!」


 悲鳴に近い叫びが飛び交う中、ルタが村人たちへ静かに呼びかけた。


「もしや、その娘さんの名前はソフィーというのではないか?」

「ど、どこでその名前を聞いた!?」

「この村を訪れる前、丘の上で彼女の墓を見かけたのじゃ。聞けばお主らは、今の異変に心当たりがある様子。どうじゃ、話してみるつもりはないか?」

「そ、それは……」


 苦々しげな表情で押し黙るものの、彼らの口は一様に重かった。やがて、村人の一人が感情的に怒鳴り散らす。


「し、知らねぇよ! 俺たちはあんな女なんて、これっぽっちも知らねぇんだ!!」

「おい、とぼけるなよ。あんた達、今まで散々話してたじゃないか!」

「うるせぇ!! とにかく、お前らに話すようなことはねえ!! おい、行くぞお前ら!!」

「待てよ、まだ話は終わってないだろう!!」


 制止するロットの声に耳を貸さず、村人たちはそそくさとその場を去っていった。


「くそっ……あいつら、何を隠してるんだ」

「ソフィーという名の娘が何らかの形で関わっておるのは間違いなかろう。……しかし、これはかなり厄介な事態かもしれん」

「どういうことだ、ルタ様」

「村人たちの手前、口にはせなんだのじゃがな。……骸の傷を、よく見てみるがよい」

「傷を……?」


 ルタに促され、ロットは改めて雌牛の死骸へ目を向けた。

 腹部に深々と刻まれた裂傷。その奥の心臓にあたる部分が刃物で抉られており、中身がごっそりと摘出されているのがわかる。


「ただ、殺されただけじゃないのか? けど、どうしてこんな……」

「これはな、儀式の一種じゃよ」


 ぽつりと呟いたルタの声音は、今まで耳にしたどの声よりも乾いていた。


「心臓とは、生きとし生けるものにとっての生命の源流。恐らく、これをしでかした者の狙いとは、心臓から生命力そのものを抽出し、利用することにあったのじゃろう」

「……もしかして、それをあのエリオがやったっていうのか?」

「今の時点では、まだ何とも言えぬ。じゃが、儂の憶測が正しければ、あの少年は決して侵してはならぬ禁忌に手を染めつつあるのやもしれん」

「決して侵してはならない、禁忌……?」


 ロットの疑問に、ルタは静かに頷いた。


「かつて、魔女から人に授けられた魔術は、人自身の手で様々な形へと変容していった。その過程で生み出された術には、決して人が扱ってはならぬものまで存在する。それらは禁術と呼ばれ、人々の目に止まらぬように厳重な封印が施されたのじゃ」


 老爺から垣間見える感情は複雑なものだった。

 侵してはならぬ禁域へと踏み込んだ行為に憤っているようにも、そのような行いに手を染めてしまった少年を憐れんでいるようにも見えた。


「心しておくのだ、ロットよ。人の身に過ぎたる力は、必ずや破滅をもたらすのだと」

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