星降る夜のメロディ (5)
「あ……ああ……」
ステージから見下ろす惨状に、シャルは呆然と立ち尽くしていた。
恐らく、ロットたちが奮闘してくれたからだろう。声と音はすぐ戻ってくれたものの、ひとたび混乱に陥った観衆はもはや収拾のつかない有り様だった。
「みんな、落ち着いて!! もう大丈夫だから、どうか冷静になって……!!」
人々を鎮めようと必死で声を張り上げるが、一向に騒ぎは収まる気配がない。シャルの心もまた、次第に焦燥感と不安に塗り潰されつつあった。
(どうしよう……わたし、どうしたら……)
途方に暮れかけたその時、聞き覚えのある声があがった。
「シャルーーっ!!」
「ロット、君……?」
観客席の闇の中から、必死にシャルへと呼びかけている。
例え姿は見えなくとも、それは確かに彼女が知る少年のものだった。
「歌うんだ、シャル!! お前の歌で、みんなを元気づけてやるんだ!!」
「無理だよ、できっこない!! こんな状態じゃ、もう誰も、わたしの歌なんて……」
「お前ならできる!! この大会で勝って、母親を安心させてやりたいんだろう!? こんなところで、諦めてどうするんだ!!」
「でも、会場だって真っ暗で……リュートも、お客さんの顔も見えないんだよ。わたし、もう……どうすればいいか、わかんないよ……」
「だったら、明かりはオレが作ってやる!! だから、お前は自分の歌を届けることだけに集中しろ!!」
言うが早いか、ロットは懐にしまった自らの小杖を取り出した。
先端に嵌った輝石に意識を集中させ、ゆっくりと呪文を紡ぎだす。
「小さき散光、星の瞬き。我が呼びかけに応えて来たれ。その光は僅かなれど、暗き闇を拓く導べとならん――蛍石の明かりッッ!!」
次の瞬間、会場に光が灯る。松明の火よりずっと弱々しい、小さな魔力の輝き。だが、喧騒と混乱に包まれたこの場において、それはただ唯一の光明でもあった。
(あ……)
まず目に映ったのは、必死の面持ちで杖を構えるロットの姿。それから、手元に携えた愛用のリュート。
そして何よりも、観客席から彼女を見守る人々の姿があった。シャルを応援するために駆けつけた人々が、みな一様に歌うのを待ってくれている。
「ごめん……。わたし、何も見てなかった」
滲む涙を振り払い、シャルは楽器をしっかり構え直す。これ以上の言葉など必要ない。歌うたいはただ、自らの心を歌に込めるだけ。
柔らかく切なげな調べが、湖面に落ちる波紋のようにざわめきを鎮めていく。灯された明かりとリュートの音に観客の意識が吸い寄せられ、シャルの口ずさむメロディが会場を瞬く間に掌握する。
“ 遥かな昔の約束を、今もまだ覚えている。二人で見上げた星の瞬きは、時が流れてもなお色褪せぬまま――。 ”
古の英雄譚を題材としたバラッド。
生まれ故郷の村を旅立った少年と、その幼なじみの少女の悲恋を歌いあげるこの歌は、シャル自身が本格的に音楽に魅せられるきっかけにもなった曲だ。
リュートの弦を爪弾きながら、シャルは一心に思いを込めて歌いあげる。繊細で澄んだ響きの中に、確かな芯を感じさせる歌声。紡ぎだされた旋律が、会場に蔓延る不安さえも払拭していく。
「う、く……っ」
会場を照らす光に翳りが差した。杖の先端に灯る輝きが、早くも勢いを失いつつある。
未だ幼く未熟なロットの魔力は、さほど潤沢なものではなかった。それに加え、直前のザカリーとの立ち回りで消耗していた体力が、ここにきて重くのしかかっているのだ。
異変に気付いたシャルの視線を、ロットは気丈に笑みを浮かべて振り払う。
(いいから、演奏に集中してくれ……!!)
無言のうちに語りかけると、小杖を両手で握り締める。
しかし、気持ちと裏腹にロットの疲労は頂点に達していた。いつしか肩で息をするほど疲弊し、指先が小刻みに震え始めた。
「く……そぉ……っ!!」
小杖の先で明滅する光を睨みながら、ロットは悔しそうに歯噛みする。ここで明かりを失えば、会場は再び混乱の渦中へ逆戻りになってしまう。
(せめて、この曲が終わるまでは……!!)
無力感に打ちひしがれたロットが膝を屈しそうになった、その時だった。客席の片隅、少年から少し離れた場所で、新たな輝きが生まれる。
「あ……」
杖を掲げて光を灯しているのは、ロットにとっては見ず知らずの青年だった。恐らく、街を訪れていた冒険者の一人なのだろう。
戸惑いを隠せずにいるロットに対し、彼は肩を竦めながら片目をつぶってみせる。
ひとたび追従する者が現れれば、この行動はたちまち周囲へと波及していった。一つ、また一つと、至るところから光が灯っていく。
そのうちに術を応用し、明かりに色を付けることを思いつく者まで現れだした。
赤色、橙色、青色、黄色、緑色、紫色――色鮮やかな魔力の煌めきが、夜空の月よりもなおまばゆく会場を覆い尽くしていく。
(まるで、星の海の中にいるみたい)
たった一人の少年の思いが、大勢の人々を巻き込んで生み出された奇跡。
この瞬間、この場所で見た光景を、生涯忘れることはないだろう。
リュートの弦を爪弾きながら、シャルはそんな確信を胸に抱いていた。
暗闇に怯える者など、もはや会場のどこにもいない。
最後の一音を弾き終え、丁寧にお辞儀をしてみせるシャルに、客席から割れんばかりの拍手と喝采が送られるのだった。