星降る夜のメロディ (3)
音楽祭の日がやってきた。
一週間にも渡るこの催しの期間中、ミューザの街は常ならぬ熱気に包まれる。
大通りは訪れる見物客によって埋め尽くされており、彼らを目当てにした屋台や露店が所狭しと軒を連ねていた。
街の至る場所では演奏や歌唱に合わせた踊りが披露され、拍手と歓声がひっきりなしに上がっている。
ある格調高い芸術劇場では、この日に限って特別に座席を一般開放していた。
普段ならば貴族や富裕層しか触れる機会のない宮廷音楽や歌劇を鑑賞できるとあって、国外からやってくる観光客の姿も珍しくなかった。
そんな音楽祭の最終日を飾るのが、野外ステージで行われる競演会だ。
この日のために切磋琢磨を重ねてきた音楽家たちが一堂に介し、中央広場に設えられた特設ステージ上で技を競い合う。参加者として名を連ねているのは、いずれもミューザで有名な音楽家ばかりだ。
会場に用意された控え室には、ステージ衣装に身を包んだシャルと付き添いで参加するルタとロットの姿があった。
彼女の出番はステージの後半、夜も更けた頃に予定されている。
「いよいよだな、シャル」
「そ、そうだね……」
「なに、気負うことなどないぞ。お主はこれまで通り、自分の音楽をただ奏でればよいのじゃから」
「は、はい。ありがとうございます」
励ましに応えるシャルの表情は固い。快活な彼女にしては珍しく、愛用の楽器を抱える手は緊張で微かに震えていた。
「……ごめん。ちょっと、外の空気を吸ってくる」
「シャル……」
「ちゃんと出番までには戻るから。心配しないで」
それだけ言い残すと、シャルは控え室を出ていってしまった。ややあった後、ロットもまた席を立つ。
「オレ、あいつの様子を見てくるよ」
「そうじゃな。今のシャル殿には、誰かの助けが必要なのやもしれん」
ルタの言葉に頷き返し、ロットは足早に控え室を飛び出していった。慌ただしい足音が遠ざかるのを耳にしながら、老爺はやれやれと苦笑いを浮かべた。
会場の裏手にある資材置き場に、シャルは一人佇んでいた。片隅に積まれた木箱の上に腰かけ、暮れなずむ夕日を物憂げに見つめている。
「なあ、大丈夫か?」
「あ、ロット君……うん、平気平気」
「嘘つけ。平気なやつが、そんな顔するかよ」
「……あはは。やっぱり、わかっちゃうか」
力なく笑うシャルの隣に、ロットもまた腰を下ろす。
「別にいいさ、緊張ぐらい誰だってする。……オレでよかったら、話くらい聞くぞ?」
「ふふ、ロット君はしっかりしてるね。まだ、ほんの子供だっていうのにさ」
「おい。茶化すなら聞いてやらないからな」
「ごめんってば。……それじゃ、ちょっとだけ聞いてもらってもいい?」
ふう、と大きく息をついてから、シャルはぽつりと話しはじめた。
「わたしさ、母と一緒に暮らしてるって言ったよね?」
「ああ」
「……実はね、反対されてるんだ。わたしが、音楽で身を立てていこうとしてること」
「どうして。シャルの父親は、有名な楽士だったんだろ?」
「だからだよ。母は憎んでるの。父の命を奪ったザカリーを、貴族社会を……ひいては、音楽そのものまで」
「シャルの、お母さんが……」
「このリュートだって、わたしが父の形見だからって頼み込んだけど、そうしなかったらきっと壊されてた。わたしが街で演奏してることで、もう何度も喧嘩してる」
シャルは膝の上に置いたリュートをそっと撫でさする。古びてはいるものの、手入れの行き届いた表面が夕日を照り返して鈍く煌めく。
「母の命はもう長くない。肺の病が進行していて、お医者様には一年もたないだろうって言われてる。……今年で結果を残せなかったら、もうわたしの晴れ姿は見せられない」
「……そっか。だから、あんなにもシャルは一生懸命だったんだな」
「うん。……わたしって、ほんと馬鹿だよね。こんなことしたって、母を悲しませるだけかもしれないのに。でもね、母には音楽を恨んだままでいて欲しくない。父が歩んできた道が、決して無駄じゃなかったって証明したいの。だから……っ」
そこから先は言葉にならなかった。嗚咽と共にこぼれ落ちた涙の雫が、リュートの上にぽつぽつと降り注いだ。
肩を震わせて泣くシャルの背中を、ロットがそっと撫でさする。しばらくそうしているうちに、やがて彼女は落ち着きを取り戻していった。
「ごめんね、ロット君。こんな話されても、困っちゃうよね?」
「いいって。聞かせてくれって言ったのは、オレなんだから」
「あはは、そうだっけ。……ありがと、ロット君。おかげで少しだけ楽になったよ」
「そっか。なら、よかった」
「うん。ロット君は先に戻ってて。わたしは顔、洗ってから戻るからさ」
立ち上がって歩きだすシャルを、ロットは背後から呼び止める。
「なあ、シャル」
「ん、なに?」
「気休めにしかならないかもしれないけど、シャルの音楽はきっと母親にだって届くさ。だから、全力を尽くせ。ザカリーの件は、オレとルタ様が絶対に何とかしてやる」
「わかった。頼りにしてるよ、ロット君」
「ああ、任せとけ」
力強く突き出された拳に、シャルもまた自分の拳を合わせて柔らかく微笑んだ。