とっておきの魔法 (2)
「それでは、透明化の魔術をば。今しがたこの場に運ばれてきたこのナイフ、見事消してご覧に入れましょう」
インビジリティは中級以上に分類される魔術の一種で、対象を目に見えなくする働きがある。本来であれば、魔術師ならぬ身のヴィンに行使できるものではない。
にわかに始まった魔術の実演に、店内の客や店員までテーブルの周りに集まりだした。衆目が集まる中、ナイフを手に取ったヴィンが呪文を唱えだす。
「光より逃れる影、月の満ち欠け。我が魔力は、その身を虚ろに映す」
詠唱が終わると共にナイフをなぞると、その刃がうっすらと透けていった。
無論、これだけでは透明になったといえない。皿に盛られた肉料理を手にしたナイフで切ってみせると、肉についたソースが見えざる刃を伝って輪郭を形作る。
「一体、何が起きたんだ!?」
「やっぱり、本物の大魔術師だ!!」
観客から起きたどよめきに、ヴィンは恭しく一礼をしてみせる。
さしもの魔術師といえど、このトリックを見破れはすまい。ほくそ笑んだヴィンを目の前にして、ルタは心底感服したように顎髭を撫でる。
「いやはや、これは驚いた。これ程までに見事な手妻を拝めるとは思うておらなんだ」
「……今、何と仰いましたか?」
「はて、聞こえなかったかの。これは魔術などでなく、種も仕掛けもある詐術であると。そう言ったつもりなんじゃがな、偽の魔術師殿」
老爺の言葉にヴィンは背筋を凍りつかせた。店内の客の間にも、動揺がさざ波のように広がっていく。
「……何を馬鹿な。現にナイフはこうして消失しているではないですか。いかなご老体の言葉とて、これ以上は聞き捨てなりませんぞ」
「さて、ロットよ。お主は彼のトリックをどう見る?」
会話の矛先を向けられたロットは、ヴィンが手にしているナイフを凝視する。やがて、はっと何かに気が付くと、彼に向き直って静かに口を開いた。
「ルサージュさん。そのナイフをこちらに渡してください」
渋々ながらヴィンがナイフを手渡すと、ロットは傍らに置かれていた布巾で刃を拭う。すると、今まで消失していたナイフがみるみるうちに姿を現わした。
「やや、どういうことだ」
「消えたナイフが、また出てきたぞ」
「……これは、森林妖精の鱗粉だ。妖精というのは、元来人間と異なる次元に存在する。妖精界に存在しない金属を、この鱗粉は目に見えなくしてしまう働きがあるんだ」
「その通りじゃ。儂がした話を、よくぞ覚えておった」
「恐らく、指と肉料理のソースに鱗粉を仕込んでいたんだ。これが、この手品の正体……観念するんだな、このイカサマ魔術師!!」
一部の暗殺者に伝わるという秘伝を旅先で偶然耳にし、鱗粉を手品に転用する手立てを思い付いたのは十年近く前だ。
かなり値の張る素材を用いるため多用はできないが、これまで仕組みを見破った者など一人もいなかった。それが老爺だけでなく、こんな年端のいかない子供にまで看破されてしまうなどと思いもよらない。
その事実に愕然としつつ、ヴィンは周囲の空気が一変したことに気が付いた。見れば、村人たちがみな、殺気のこもった目で彼を睨みつけているではないか。
「よくも俺たちを騙したな、このペテン師が!!」
「ぐわっ!!」
襟ぐりをむんずと掴んだのは、広場でも難癖をつけてきた若者だ。激昂した村人たちの拳が容赦なくヴィンを殴り飛ばす。たちまち酒場は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、暴力と罵声の坩堝と化すのだった。
◆
「ああくそ、何てこった……」
ほうほうの体で逃げ出したヴィンは、痛む身体を引きずりながら街道を彷徨っていた。どうにか捕まらずには済んだものの、荷も有り金もすべて失ってしまった。
村の外まで追ってこないのが不幸中の幸いだが、身ぐるみまで剥がれてしまったのでは次の町まで辿り着けるかどうかすら疑わしい。
「随分と派手にやられたのう、魔術師殿」
「て、てめえらは……」
全身の痛みと疲労にうずくまっている、ヴィンの背後にかかる声があった。いつの間に追いついていたルタとロットが、街道の先に佇んでいる。
「……俺の姿を、笑いにでもきたのか?」
「いやなに、流石に死んでしまったのでは後味も悪いでな。どれ、傷を見せてみよ」
ルタはヴィンを手近な切り株に座らせ、長杖をかざして呪文を唱え始めた。杖に灯った光が身体を包み、傷を癒していく。
「お主、本当の名は何という?」
「ヴィンだ。……衛兵にでも、突き出すつもりか?」
「そうしてやってもよいが、この国での詐欺は縛り首じゃからのう。お主とて、せっかく拾った命を無駄にしたくはなかろう?」
治療を終えると、ルタはヴィンに幾ばくかの銀貨を握らせた。
「今回の一件でお主も懲りたじゃろ。これから真っ当に生きてゆくと約束できるのなら、この場は見逃すとしよう」
「はあ!?」
「正気なのか、爺さん」
ヴィンとロット、双方から驚愕の声があがる。
長く伸ばした顎髭をしごきつつ、ルタは言葉を続ける。
「こやつがやっていたのは、せいぜいが物の押し売りのようじゃからな。人を殺めたり、破滅させる意図まではないと見える。それならば、更生の余地はまだあるというもの」
「……だが、俺にあるのはせいぜいこの口先だけだ。ここで放免されたところで、結局は同じ詐欺で食っていくしかなかろうよ」
「のう、ヴィンとやら。そこまで口が回るなら、本格的に商いを始めてみてはどうじゃ。人を騙すも、満足させるも紙一重。お主には向きであると思うのじゃがのう」
これまで人を欺くことにしか使ってこなかった話術に、そんな使い道があるとは思いもしなかった。ルタの指摘に、それこそ雷にでも打たれたような衝撃が走る。
一条の光明を見出したヴィンであったが、その決定に異を唱える者もいた。きっと彼を睨みつけると、ロットがルタに向き直って抗議する。
「やっぱり、オレには納得できない。ここでこいつを見逃したら、騙されてきた人たちは泣き寝入りじゃないか。それに、本当に詐欺から足を洗うかなんてわからないだろ」
「……そうさな。ならば、こういうのはどうじゃ?」
「な、何を……うぐっ!?」
ルタが長杖を持ち上げ、ヴィンの心臓を指して何事かを呟いた。すると、途端に動悸が早まり、呼吸さえもままならなくなってしまう。
杖をどけると程なくして症状は治まったが、ヴィンの額には脂汗が滲んでいた。
「な、何をしやがった……」
「儂はたった今、お主に呪いをかけた。今後、悪意をもって嘘をついたり人を欺くような真似をすれば、呪いはたちまちお主の心臓を止める。ゆめゆめ、忘れぬようにな」
「わ、わかった」
老爺の警告に対して、ヴィンはただ頷くしかなかった。ロットもルタの施した処置に、それ以上の口を挟もうとはしない。
そうして、老爺と少年はヴィンの元を去っていった。
後に残されたヴィンは、ルタから渡された銀貨を握り締め途方に暮れる。
「……あの爺め。とんでもない呪いを残していきやがって」
こんな呪いを受けてしまった以上、これで詐欺師は廃業せざるを得ないだろう。だが、それは同時に新たな人生を歩む好機にもなり得る。
あの老人も言っていた通り、詐欺も商売も紙一重でしかない。だとすれば、これからもヴィンは自らの口八丁を頼みに、世を渡っていくことは変わりないではないか。
「上等だよ。やってやろうじゃねえか」
銀貨を懐にしまうと、ヴィンは新たな門出に向かって歩き始めた。
どこまでも続く旅の空で、少年は老爺に問いかける。
「なあ、ルタ様。嘘をついたら死ぬ呪いなんて、本当に存在するのか?」
「まさか。あれは呪いに見せかけた、ただの賦活の術に過ぎんよ」
「何なんだよそれ。それじゃ結局、あいつを見逃しただけじゃないか!!」
「そう、いきり立つでない。それに、あやつにはたっぷりと灸を据えてやったからのう。よもや自分が欺かれているなどと、すぐには気付けまいよ」
憮然とするロットにからからと笑うと、ルタは「嘘も方便じゃ」と嘯くのだった。