星降る夜のメロディ (1)
冬支度で追われる人々でひしめく、街の大広場。
灰白色に澄んだ空気に乗せ、そこかしこから歌や演奏が響き渡っている。
過去に多くの著名な音楽家を輩出してきた、王国でも有数の音楽都市、ミューザ。
この街に住まう人々にとって、音楽とは日々を彩るありふれた要素の一つである。
吐息が白むほどの冷え込みを打ち消すかのように、街を流れている旋律はどこか陽気なリズムを刻んでいた。
“ 遥かな昔の約束を、今もまだ覚えている。二人で見上げた星の瞬きは、時が流れてもなお色褪せぬまま――。 ”
爪弾くリュートの音と透き通った声が、広場の雑踏を縫って静かに染み渡る。賑やかな周りの演奏と相反する、優しくも哀切を帯びた旋律に、道ゆく少年がふと足を止めた。
“ 今は遠けし空の向こうで、せめて健やかでありますように。例え離れ時が過ぎても、再び巡り逢うその日を信じて――。 ”
噴水の縁石に腰かけながら歌うのは、まだ年若い少女だった。あどけなさを残しつつも伸びやかで芯のある歌声。そこに宿る確かな熱情が、聞き手の少年の心を震わせる。
栗色の髪を高く束ねた出で立ちが、少年が生まれ育った村で今も暮らす、とある少女の面影とどこか重なった。
最後の一音を紡ぎ終えた少女が、ふうと息をついて一礼する。
同じく足を止めていた聴衆からまばらな拍手が起こり、足元のおひねり箱に幾ばくかの硬貨が投げ入れられた。
「ふむ……。先ほどの歌、なかなかのものじゃったぞ」
「あはは、ありがとお爺さん。でも、わたしなんてこの街じゃまだまだひよっこよ?」
「謙遜しなくたっていいだろ。……少なくとも、オレはすごくよかったと思う」
「そう言われて、悪い気はしないわ。ありがとね、小さなお客さん」
少女に声をかけたのは、老爺と少年の二人連れだった。
共に毛皮をあしらった厚手の旅装に身を包んでおり、老爺は樫の古木でできた長杖を、少年は見習い用の小ぶりな杖を、それぞれが携えていた。
屈み込んだ少女に頭を撫でられ、少年は憮然とした表情で眉をひそめる。
「子供扱いしないでくれ。これでも、今月で十一になるんだ」
「あら、やっぱり子供じゃない」
「し、失礼な奴だな!! あんただって、オレとそこまで変わらないだろ!?」
「あら残念、わたしはもう十四だもの。今のあなたより、ずっとお姉さんよ?」
「う、ぐぐ……」
「これ、やめんかロット。そういうところが、大人げないと言うとるんじゃ」
「そうそう。子供はもっと、子供らしくしといた方が可愛げあるわよ?」
「大きなお世話だっ!! ルタ様まで一緒になって、からかうのはよしてくれ!!」
顔を真っ赤にして抗議する少年に、老爺と少女は揃って笑い声をあげた。
「ごめんごめん。あんまりに反応が可愛かったから、つい。わたし、シャルっていうの。その格好、二人ともこの街の人じゃないよね?」
「ああ、オレはロット。リーザの村から来たんだ」
「儂の名はルタじゃ。見ての通り旅の途上でな。不肖ながら、こやつの師を務めておる」
二人の言葉に、シャルは目を丸くして驚きを露わにした。
「リーザ……って、ウソ。あそこって確か、ほとんど島の南端でしょ!? あんな辺鄙……じゃなかった、遠いところから、二人だけでここまで来たの?」
「おい。今、辺鄙って言いかけただろ」
「き、気のせいだってば。でも、本当にすごいわ。ここまで大変だったでしょ?」
シャルの反応も無理からぬことだった。ラルファーン聖王国が治めるこのラース島は、差し渡しにしておよそ百里以上の距離がある。
北部に位置するミューザからでは、健脚な大人が最短距離を辿っても十日以上はかかる道のりだ。その上、各地に点在する町や村での滞在期間まで含めると、二人の道程は既に半年以上にも及んでいた。
「こやつにはまず、広い世界を見せてやらねばと思うたでな。長い旅路には違いないが、これもまた修行のうちじゃて」
「そっかぁ……。ロット君ってば、まだ小さいのにすごいんだねえ」
「小さいは余計だっての。でも、シャルの歌だって十分にすごいと思うぞ。ずっと、この街で歌ってるのか?」
「わたしは……」
表情をわずかに曇らせながら、シャルが言い淀んだその時。
横合いから突然、野太い男の声が割り込んできた。
「これはこれは、シャルロッテ嬢ではありませんか。まだこのような場所で、大道芸人の真似事などされておられるのですか?」
「ザカリー……」
打って変わった固い声音で、シャルが男の名を呼ぶ。
眉をひそめて見遣ったその先には、でっぷりと肥え太った小男が佇んでいた。仕立てのいい外套を羽織り、背後には目つきの悪い護衛を数人従えている。
「最近は街の酒場にまで出入りしているとか。いっそ歌うたいなど辞めて、客の世話でもしてみてはいかがです? 貴女のなりであれば、そちらの方がよっぽど稼げるでしょう。あの男の娘には、むしろお似合いとさえいえる」
「やめて!! わたしだけならともかく、父さんや音楽を馬鹿にするのだけは許せない!!」
「これは失礼。つい、口が滑ってしまいまして」
いやらしい笑みと共に、ザカリーと呼ばれた小男は慇懃無礼に頭を下げてみせる。
「しかし、貴女も随分と往生際が悪い。家財もほとんど召し上げられたというのに、まだ音楽家の道が諦めきれないと見える。いい加減に、現実をご覧になってはいかがですか、シャルロッテ嬢」
「……いい加減にするのはそっちだろ、おっさん。勝手に割り込んできておいて、黙って聞いてりゃ好き放題に言いやがって」
「駄目だよ、ロット君!!」
シャルの制止を振り切って、ロットがザカリーの前に立ちはだかった。剣呑な目つきで睨みつける護衛役の男たちを、負けじと睨み返す。
「これはまた、威勢のいい坊やだ。無闇に首を突っ込むと、いらぬ怪我をしますよ?」
「どいつもこいつもオレのことをガキ扱いしやがって。あんたがシャルとどういう関係か知らないけどな、はっきり言って気に食わないんだよ」
「やれやれ。痛い目を見なければわからないらしい。おい、この子供を黙らせろ」
ザカリーが目配せをすると、護衛の一人が少年の前に一歩進み出る。
肩に手をかけようとする腕を素早くすり抜けると、ロットは詠唱と共に懐の小杖を男の背に押し当てた。
「火花よ、舞い散れッ!!」
「ぐわっ!!」
「このガキ……!?」
杖から迸った火花はごくごく微弱に過ぎなかったが、油断しきった男はそれをまともに食らった。衝撃と痛みにもんどり打つ護衛を尻目に、ロットは油断なく杖を構える。
だが、優位は長く続かなかった。護衛のうちの一人が背後へ回り、少年を羽交い締めにしたからだ。
「くっ、離せこの野郎!!」
「ガキが、舐めた真似しやがって!!」
「小突く程度じゃ済まさねぇぞ、覚悟するんだな!!」
「そこまでにせんか、馬鹿者どもが」
組み伏せられたロットを、足蹴にしようとする男たちの動きが一斉に止まった。老爺の長杖から伸びる魔力の縄が、男達の手足を縛りつけている。
「ルタ様……」
「禁を侵したな、ロットよ。他人に危害を及ぼすような術は、厳に戒めたはずじゃぞ」
「けど……」
「言い訳は無用。罰として、今日の術書の書き取りはいつもの三倍じゃからな」
「……わかった」
項垂れるロットを一瞥すると、ルタは小男へと向き直った。
「さて、ザカリーと申したかな。我が弟子の非礼は儂から詫びるとして、お主らの不躾な振る舞いにほとほと嫌気がさしておったのも事実。ここで大人しく矛を収めるならよし、これ以上の狼藉を重ねるつもりなら、容赦はせぬぞ?」
「ぐ、ぐぬ……」
「ザ、ザカリー様!! 助けてくださいっ!!」
ぎりぎりと縄が軋む音と共に、護衛の男たちが苦悶の声をあげる。いつもは好々爺然としたルタの鋭い眼光に射抜かれ、ザカリーは脂汗を浮かべて後ずさった。
「わ、わかった。今日のところはこれで見逃してやる。おい、行くぞお前たち!!」
「はっ、はい!!」
「とにかく……母親のためにも、身の振りかたをよく考えるんだな!!」
吐き捨てるように言い残すと、ザカリーは縛めを解かれた護衛を引き連れてそそくさとその場を去っていった。地面にうずくまるロットに、シャルが慌てて駆け寄る。
「ちょっと、大丈夫!?」
「……ああ。ちょっと、擦りむいただけだ」
「まったく、無茶をしおってからに」
「あ痛っ」
ごん、と鈍い音がロットの頭上に落ちた。樫の杖が直撃した頭を押さえながら、涙目でその場にうずくまる。
「お、お爺さん!! 何もぶたなくたって……」
「こやつの自業自得じゃよ。後先を考えずに突っ走るなと、いつも言っておろうが」
「でも、ロット君はわたしのせいで危ない目に遭ったわけだし……」
「それがいかんと言うておる。人を助けるならば、尚のこと負けは許されぬ。軽はずみに手を出せば、却ってシャル殿を危険に晒す結果になりかねんのじゃからな」
「……ああ、わかってる」
きつく唇を噛み締めながら、ロットは師の言葉に頷いた。
「さて、それでは場所を移すとしよう。先ほどのザカリーとやらとの因縁について、もう少し詳しく聞かせてもらいたい」
「えっ……で、でも……いいの?」
「これも乗りかかった船というやつじゃよ。あの様子を見る限り、早晩またちょっかいをかけてくるに違いないからの。ここで見過ごすような真似をすれば、それこそシャル殿を見捨てたのと変わりなかろうて」