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遥かな旅路、雲間の彼方  作者: 古代かなた
精樹の森のドライアード
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精樹の森のドライアード (2)

「これは……」


 行き着いた先に広がる光景に、ロットは思わず絶句してしまう。

 集落の跡地であったと目される場所には、もはや原型すら留めていないほどボロボロになった、木造家屋の残骸が無数に折り重なっている。


 辛うじて形を保っている建物を一軒ずつ見て回っていくが、生きている人間はどこにも見当たらなかった。

 墓地に弔われている者はまだよかったのかもしれない。屋内や道ばたに転がったまま、完全に白骨化している遺体も少なくなかったからだ。


「……ひどい有り様だ。こいつを全部、あの精霊がやったっていうのか」

「いいや、違うな。ドライアードは自ら進んで、人々に危害を及ぼすような真似はせん。それに見てみよ。遺体にはどれも争った形跡がない。疫病か、飢餓か……いずれにせよ、何らかの外的要因によって滅んだと考えるのが妥当じゃろうな」


 二人はなおも廃墟の探索を続けた。

 これだけおびただしい数の死体を目にするのは、ロットにとって初めての経験だった。目の前に広がる無惨な光景に、芯から凍りつくような恐怖を覚えずにいられない。


 そうして、広場の一角にある家屋に立ち入った時のこと。無人であるはずの屋内から、不意にかかる声があった。


「もし……もし、誰か……。そこに誰か、いらっしゃるのですか……?」

「……!! 生存者がいるのか!?」

「待つんじゃ、ロット!!」


 声がする方へと駆けだして、傾いだ扉を強引に押し開ける。しかし、その希望もすぐに裏切られてしまう。


「あ、ああ……っ」


 与えられた衝撃によって、朽ちかけた寝台が派手な音を立てて崩れ落ちた。寝台の上で横たわっていた骸の頭蓋が転がって、ロットの足元で止まる。

 唖然とするロットの驚嘆はそれで終わらなかった。崩れ去った寝台の傍らには、青白い輪郭を纏った年若い青年の立ち姿が、静かに佇んでいたからだ。


「もし、もし……。この地を訪れてくださったあなた様。私の名は、スエンと申します。どうか、私の……私どもの罪を、お聞きください……」

「ゆ、幽霊……!?」


 故郷に伝わる民話や寝物語でその存在を耳にしてはいても、実際に目にするのは初めてだった。恐慌寸前のロットを、追いついたルタが静かにたしなめる。


「慌てるでない。……どうやら、何か伝えたいことがあるようじゃ」

「伝えたい、こと……?」

「かつて、この地には小さな人里がありました。どこにでもありふれた、何の変哲もないちっぽけな村です」

「あ……あんたは、この村の住人だったのか? 一体、村に何が起きたんだ?」

「ですが、この村はもう終わりです。他ならない村人たちの愚かな選択が、村を滅ぼしてしまいました……」


 憂いと悔恨に満ちた表情で、亡霊は繰り言を紡ぎ続けた。


「古くよりこの村は、盗賊や妖魔の被害に悩まされ続けてきました。それ故に村人たちはみな、外敵の脅威に怯えながら暮らしていたのです。そんな折りに、ある旅の精霊使いが村を訪れました」


 精霊使いは、村を精霊に守護させるように提案した。

 豊富な森の恵みを糧に精霊と契約を交わし、外敵を退けようというのだ。

 村人たちは精霊使いの提案に対し諸手を挙げて賛同し、早速、村をあげて儀式の準備が執り行われることとなった。


「しかし、その契約には代償が必要でした。精霊使いは村人たちに人身御供……生け贄を要求してきたのです」

「何て、ことを……」

「当然、村人たちの間でも意見は分かれました。ですが、度重なる略奪に疲弊した我々は結局、その要求を飲んでしまったのです」

「……なるほど、それでようやく合点がいったぞ。そやつが行ったのは、恐らくは邪法の一種じゃろう」

「邪法?」

「人によって編みだされた魔術には、人の道から外れたものも存在するということじゃ」


 厳しい表情を浮かべたまま、ルタは言葉を続ける。


「ドライアードというのは、樫の古木に自然霊が宿った結果として生じるとされておる。じゃがな……ドライアードにはもう一つ、別の経緯で生まれる可能性があるのじゃ」

「別の経緯……?」

「森で命を落とした人間の魂が、樫の木に取り込まれてドライアードと化す場合がある。そして、とりわけ若い娘の魂というのは、精霊に変じやすい」

「まさか、あのドライアードは……」

「村の中から、一人の少女が生け贄に選ばれました。そして、その娘は……アーニャは、私と将来を誓い合った仲でした」


 ロットが息を呑むと同時に、亡霊はさめざめと涙を流しながら慟哭した。狂ったように頭を振り乱し、あらん限りの声を張りあげて叫び続ける。


「私は、彼女を見殺しにした!! あの子はとても気立てのよい娘で……生け贄に選ばれた時も、自分が犠牲になるだけで村が守れるならと……そんな風に、気丈に笑ってみせて。だというのに、私は村の決定に逆らえなかった。村人たちからの迫害を恐れ、アーニャが殺されるのを黙って見ているしかできなかった!!」

「……それであんたは亡霊になったっていうのか。アーニャって人を救えなかったことを悔やんで、ずっとこの場で嘆き続けて」


 悲痛な告解に胸を打たれながらも、ロットは一抹の反発を覚えずにはいられなかった。憤りに拳を握り締め、なおも泣き叫ぶ青年に食ってかかる。


「だったら、どうしてアーニャさんを見殺しにした!? あんたの大事な人だったんだろ!!

例え村の人たちを敵に回してでも、あんただけは味方でいるべきじゃなかったのか!?」

「そこまでにするんじゃ、ロット」


 激昂するロットを制したのは、ルタの静かな声音だった。


「けど、ルタ様。こいつは結局、自分の身が可愛かっただけじゃないか。こんなところで悲しんでるからって、許されていいものじゃない!!」

「死者をなじったところで、既に起きてしまった結末までは変わらぬ。それに、ロットよ。その場に立ち会った瞬間、お主がそうならぬとどうして言い切れる?」

「そんな、オレは……!!」

「人の心とはとても弱い。どれだけ高潔な意志を持ち合わせていようと、時には己自身を裏切ることさえあるのが人間というものなのじゃよ。それ故に、献身という行為は尊くもあるのじゃがな……」


 ルタに諭されたロットは、まだ納得できないといった様子ながらも、それ以上の反論を口にはしなかった。少年と老爺が見守る中、スエンの独白はなおも続く。


「そうして生まれたドライアードは、精霊使いの命令通りに村への侵入者を阻みました。しかし、ここで想定外の事態が起きたのです」

「想定外……?」

「彼女が行く手を阻んだのは、盗賊や妖魔だけではありません。森に立ち入ろうとする、ありとあらゆる者たち……行商人や、罪のない旅人まで遠ざけようとしました」

「つまり、それは……」

「結果として、村は外部との往来を完全に絶たれました。それと同時に、ドライアードは村から出ようとする者まで幻惑の対象としたのです」

「入ることも出ることもできない、迷いの森の誕生ってわけだ……」


 儀式は失敗に終わった。

 恐らく、当のドライアードに悪意はなかったのだろう。彼女はあくまでも、精霊使いが下した命令に忠実であろうとしたに過ぎない。

 だが、結果として村は外界から完全に孤立してしまった。例え自給自足したとしても、すべての物資を小さな集落の中で賄えるわけではない。


 さらに問題は続いた。ドライアードは大型の獣まで村人へと害を与える存在とみなし、森から追放してしまったのだ。それは森の生態系を大きく狂わせ、結果として狩りすらもままならなくなってしまう。


「もちろん、私たちも手をこまねいていたわけではありません。暴走したドライアードを食い止めようと、事の発端である精霊使いと共に森へと向かいました。しかし……」

「気性こそ穏やかではあるが、ドライアードは強力な力を秘めておる。まして、この森に生息する樫は長い時を経た古木ばかり。生半可な術者では太刀打ちなどできまい」

「精霊使いは森で帰らぬ人となり、同行した村人からも多くの犠牲が出ました。いよいよ打つ手をなくした村は次第に困窮していき、やがては死に絶えたのです……」


 長い独白を終えたスエンの亡霊は、再びその場に泣き崩れてしまった。

 変わり果てた故郷への哀愁。そして、救えなかった恋人に対する自責の念が、数百年に渡って青年の魂を苛み続けてきたのだろう。


 静寂が支配する廃村に、スエンの慟哭がいつまでも響き渡っていた。

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