とっておきの魔法 (1)
あるところに、ヴィンという名の男がいた。
学がなくまともな仕事にも就けない、その日暮らしの根なし草である。
貧民街のありふれた孤児だった彼は、同じく貧民街に住んでいるけちな盗っ人の夫婦に拾われた。もっとも、それは慈悲や憐れみではなく、自分たちの仕事を手伝わせるための打算に過ぎなかったのだが。
ヴィンにはお世辞にも、盗賊としての才覚がなかった。
とんだ見込み違いだったと、夫婦はヴィンをあっさり奴隷商に売り飛ばそうとし、彼は命からがらそこから逃げ出した。
盗みやスリのセンスはいまいちで、殺しや強盗ができるほどの胆力もない彼だったが、小さな頃から口先だけは達者だった。
並べたてた嘘八百で相手を言いくるめて、金品や食べ物を巻きあげて糊口を凌ぐ日々。いつしかヴィンは、詐欺師として身を立てる術を学んでいた。
詐欺師という生業は、顔が割れてしまえばそれまでである。いきおい彼は一つところに留まらず、のらりくらりと町を渡り歩かざるを得なかった。
路銀が心許なくなってきたヴィンは、立ち寄った村でひと稼ぎしようと決めた。
この国は信心深い人間が多く、特に辺境の住人は神秘に対する畏敬の念が顕著である。詐欺を働くなら、いんちき魔術師がうってつけだった。
「さあさ、そこな道ゆく皆々さま、どうか、どうかお立ち会いくだされ。私は魔法王国のさる学院にて魔術を修め、達人の位にまで昇り詰めた術師。学院が誇る神秘の業の数々、どうかご照覧あれ!」
朗々と口上を述べると、半信半疑ながら興味を示した村人がぞろぞろと集まりだす。
「やい、兄ちゃんよ。本当に魔術師ってんなら、何か魔法を使ってみせてくれよ」
「うむ、無論である」
若者が飛ばす野次に鷹揚に頷いてみせると、ヴィンは複雑な身振りを交えつつ鮮やかな妙技を披露した。
それらはすべて種も仕掛けもある手品に過ぎなかったが、村から一歩も出たことのない無垢な村人たちに見分けがつくはずもない。
「すげえ、本物の魔術師だ」
「いやはや、こいつはたまげたな」
いったん信用させてしまえば、後はこちらのもの。
あらかじめ用意していた品を並べ、ヴィンはその場で即席の露天商を始める。
「病苦に喘ぐそこな御仁には、あらゆる病をたちどころに癒す霊薬を。恋煩う乙女には、想いを実らす女神の加護秘めた幸符を。伝説に名高い大賢者が記したとされる、ダルフの写本もありますぞ」
薬は隣町で買った酒を適当な瓶に詰め替えただけの代物だし、幸符はどこぞの土産屋に二束三文で売っていた粗悪品。写本に至っては、借金まみれの貴族の館で買い手がつかず残っていたという、古びた日記帳である。
しかし、村人たちはそんな紛い物の数々を疑いもせずに、目の色を変えて欲しがった。みるみるうちに露店は大盛況となり、ヴィンは首尾良く金子をせしめるのだった。
◆
「まったく、ちょろいもんだな」
村一番の大宿に部屋を取ったヴィンは、巻きあげた金を元手に酒場へしけ込んでいた。
時折り声をかけてくる村人を適当にあしらいつつ、安酒と料理で祝杯をあげる。
本来は事が露見するより前に退散すべきだったのだが、この日の彼は久しぶりの大金に些かばかり気が大きくなっていた。
とはいえ、彼らの反応を見るに今日一日くらいなら余裕で騙しおおせるだろう。
純朴な村人たちを欺くことに対して罪悪感を抱かなくもなかったが、彼とてこれ以外の生きる術を知らない。
それに、ヴィンが売りつけたのは真っ赤な偽物とはいえ、実害のないものばかりだ。
病をたちどころに治すと信じて飲んだ霊薬が、病苦をやわらげる気休め程度になるかもしれないし、偽の御守りに背中を押されて実る恋だってあるだろう。
売りつけられた商品の真贋がわからないなら、騙された側も案外幸せなのではないか。
そんな都合のよい理屈をこじつけつつ、酒盃を呷るヴィンにかかる声があった。
「相席をよろしいかな、魔術師殿」
「席は他に、いくらでも空いているでしょう」
「なぁに、そう邪険にしてくれるな。同じ魔術師のよしみではないか」
そこに立っていたのは、旅装に身を包んだ老爺と少年の二人組だった。
老爺は象牙色の長衣を身に纏い、樫の古木を削りだした杖を携えている。
それに付き従う少年の身なりは村人たちとさして変わりなかったが、やや赤みがかった金髪と、同年代の子供より強い意志を感じさせる翠眼が印象的だった。
祖父と孫と呼んで差し支えがないくらいに歳が離れているようだが、顔つきそのものはあまり似ていないので、他人同士だろうとヴィンは結論づける。
「一体、何のご用で?」
「この村にたまたま立ち寄ったところ、我々以外にも魔術師が逗留しておると聞いてな。これは是非とも、挨拶をせねばならぬと参ったのだ」
「……それはそれは。随分とご丁寧に」
よもや、本物の魔術師に出くわしてしまうとは。
内心では臍を噛みつつも、ヴィンとて生粋の詐欺師である。動揺をおくびにも出さず、席につく老爺と少年を丁重にもてなした。
「儂の名はルタと申す。この少年はロット。年甲斐もなく弟子を取ることになったので、こうして旅をしているというわけじゃ」
「私はルサージュです。以後、お見知り置きを」
「聞けば、かの魔法王国で魔術を修めたと。どの学院の出身かな?」
「レイクロードです。ご老体もさぞ名の知れた魔術師とお見受けしますが」
「ほほ。儂など学院とはとんと縁のない、ただの田舎の隠居じじいに過ぎぬよ。しかし、レイクロードとは大したものじゃ。大陸における魔術の最高学府ではないか」
「いえいえ。私など、かの学院では末席を汚すに過ぎません」
立て板に水を流すがごとく、口からでまかせを紡ぎ続けるヴィン。
運ばれてきた蜂蜜酒を傾けつつ、饒舌に会話するルタと対照的に、ロットという少年は一言も口を開かず、じっとヴィンの挙動に注視していた。
「時に魔術師殿。村人たちに披露したというお手並み、是非とも拝見したいのじゃが」
「私ごときの児戯では、ご老体の目を汚すだけでしょう」
「謙遜なされるな。この子はまだ、儂の弟子になってから日が浅くての。達人の域にまで至ったルサージュ殿の術を、後学のためにも見せておきたいのじゃ」
「そこまで仰るなら、無碍に断るわけにもいきませんな」
ついにきたか、とヴィンは舌打ちする。無論、それを表情に表しはせずに。
この魔術師の師弟が、初めからヴィンを疑っていることは明白である。老爺はあくまで好々爺を装っているが、弟子の少年はまだ未熟ゆえか警戒心を隠しきれていない。
村人たちに見せた子供騙しの手品などでは、本物の魔術師を欺けるはずもなかった。
だが。ヴィンにはまだとっておきの魔法があった。自らが切り札とするそれを使えば、例え相手が本当の魔術師であろうと出し抜ける自信がある。