屋上
ある日の昼休み、真梨は千郷を屋上に誘った。当然、この行為にも大きな意味がある。一見すれば、友人同士が屋上に赴くことは、何気ない日常の一環でしかないだろう。
しかし御巫真梨の手にかかれば、この瞬間もまた計画の一部である。
二人は屋上に到着した。校庭や街を一望しつつ、彼女たちは隣り合って腰を下ろす。真梨はほんの一瞬だけ迷いを見せ、それから自分のスクールバッグに手を伸ばした。彼女が取り出したものは、一筒の水筒である。
「ねえ、千郷」
「ん? どうしたの?」
「リラックス効果のある薬膳バナナミルクを作ってみたんだけど、良かったら飲んでみない?」
さっそく、真梨の計画は次のフェーズに移りつつあった。千郷はなんの疑いもなく、水筒を受け取った。それからおもむろに蓋を開いた彼女は、バナナの香りを堪能する。そんな彼女が水筒に口をつけるまで、真梨は緊張感を噛みしめていた。やはり真梨は、このバナナミルクに何らかの細工をしたのだろう。
「美味しそうな匂いだね、真梨」
「あ、ありがとう。千郷が喜ぶと思って配合してみたんだ。口に合うといいけど……」
「それじゃ、いただくね」
何の疑いも持たず、千郷は水筒に口をつけた。薬膳バナナミルクを飲み進めていく彼女の横顔を、真梨は密かに凝視している。その視線に気づき、千郷は少し怪訝な顔をする。
「どうしたの? 真梨」
「いや、なんでもないよ。それより、口に合ったかな?」
「うん。微かにスパイスのような風味があって、美味しいよ」
通常、バナナミルクにそんな風味はない。しかし真梨は、事前にその飲み物を薬膳と銘打っている。多少の味の違和感は、それだけで誤魔化しの利くものだ。
「そっか。千郷が喜んでくれて、私は嬉しいよ」
嬉々とした笑みを浮かべ、真梨は言った。一方で、千郷は少しばかり疑問を抱いていた。それはまだ疑念には至っていないが、彼女にも好奇心というものはある。
「ところで、このバナナミルク、何が入ってるの?」
千郷は訊ねた。一応、真梨もその質問が出ることを想定してはいる。
「植物の出汁だよ。漢方としても食べ物としても使われる植物は色々あって、高麗人参なんかがその一例だね。高麗人参には疲労回復や新陳代謝の促進などの効果があると言われているんだよ」
「このミルクには、どんな植物が使われてるの?」
「そこは乙女の企業秘密だよ」
またしても、彼女は企業秘密という言葉で質問をはぐらかした。さりとて、彼女の本性はまだ公にはなっていない。その回答もまた、彼女のミステリアスな人間性の一環として見られるだけである。
「真梨が配合してくれた薬膳なら、きっと健康に良いんだろうね。美味しくて体に良いなら、毎日でも飲みたいよ」
それが千郷の反応であった。真梨は相変わらず嬉々とした笑みを浮かべたまま、説明を続ける。
「まあ、そもそもバナナミルクの時点で、わりと健康には良いんだけどね。バナナが多く含有するカリウムなんかは、細胞にも神経にも、果てには筋肉にも作用するからね。もちろん、過剰摂取は体に毒だけど、一日一本くらいのバナナであれば基本的には健康的だよ」
「その上で薬膳なんでしょ? あーし、肌がつやつやになるかも!」
「一応、バナナに含まれるビタミンCにはコラーゲンの生成を促進する作用があると言われているけど、流石に劇的な効果があるとは断言できないかな……」
そんな会話を交わしつつ、二人は心を通わせつつあった。屋上の出入り口の影では、その内容を盗み聞きしている者もいる。
――小倉沙奈だ。
心の中で、彼女はこう呟く。
「何か裏がありそうだね」
真梨はまだ気づいていないが、この少女は間違いなく探りを入れ始めている。沙奈は不気味な微笑を浮かべたまま、静かに階段を下っていった。