完成
そして今、教室に真梨の姿はない。担任教師の口からは、彼女が転校したことだけが告げられた。彼女が本当に黒幕だったのか否か――それを決定づけることは誰にもできない。後味の悪さだけを噛みしめていた生徒たちは、ホームルームの時間にずっと押し黙っていた。結論から言えば、彼女たちは沙奈を信頼している。ゆえに真梨を庇う者は、千郷ただ一人となるのだ。して、その彼女ですら本人の自白を聞いている身の上である。その日の昼休みになり、生徒たちは話し合う。
「真梨って、結局やばかったのかな?」
「本人が去った今となっては、これ以上探りを入れることもできないね」
「まあ、でも沙奈は間違ったことを言わないと思うよ」
当然ながら、彼女たちは真梨を黒幕だと考えていた。自らの思考が「沙奈に植え付けられたもの」という自覚もなく、彼女たちは今もなお操られている。一方で、千郷は物思いに耽っている。
「あーし、真梨に何もしてあげられなかった」
「あーしが真梨のことを理解していれば、誰も傷つかなかったのかな」
「どうして、人はわかり合えないんだろう……」
そんな思いを募らせつつも、彼女はそれを口にはしなかった。その脳裏では、真梨と過ごしてきた時間が繰り返されている。窓際から空を見上げながら、千郷は気づく。
「……あーし、真梨のことが好きだったんだ」
奇しくも、二人は両想いだったようだ。今となっては、それを伝える手段もない。彼女が手にしているスマートフォンには、トークアプリが映し出されている。しかし真梨と思しき人物のアカウントは、Unknownというユーザー名で表示されている。何やら真梨はトークアプリのアカウントを削除したらしく、二人が連絡を交わす手段は絶たれている様子だ。
そんな中、沙奈は千郷の方へと歩み寄る。
「千郷。例えアナタがワタシを恨んでも、許せなくても、それはワタシにとっての当然の報い。今はまだ、情緒が乱れて憎しみさえわからない状態かも知れないけど、アナタはいずれワタシを恨む」
それが人心掌握のための言葉なのか、あるいは沙奈自身の本心なのか――それは誰にもわからなかった。千郷は深いため息をつき、すり減ったような愛想笑いを浮かべるばかりである。
「……わかんない。あーし、もう、何が正しいのか、わかんない」
もはや彼女には、物事を深く追究する余力などなかった。そんな彼女に対し、沙奈はこう助言する。
「アナタも、ワタシも、そして真梨も、決して正しさで動いてなんかいない。人を動かすものは、結局エゴなんだから」
その助言は、千郷からすれば溜飲を下げるのに不十分なものだった。千郷は更に思い悩み、今度は真梨の写真を見つめ始める。その時、彼女の表情は無心を極めたようであり、複雑な感情の渦に囚われているようでもあった。一方で、沙奈は依然として静かな佇まいだ。その偽りの優しさに飾られた表情の奥では、得体の知れない感情がうごめいていることだろう。
*
その日の晩、沙奈は高層ビルの屋上に赴いた。夜風が吹き荒れる中、空は星に覆われ、地上はネオンによって照らされていた。おもむろに靴を脱いだ沙奈は、それをパラペットの上に並べる。使命を全うした彼女には、もう思い残すことなどないらしい。
「真梨を終わらせたことで、ワタシの人生が完成した。美しいものは、美しいまま終わらせるのが華だね」
元より、小倉沙奈は「推し」を壊すことに人生の全てを注いできたような人間だ。そんな彼女が目的を達成したということは、彼女が生きがいを失ったことと同義なのだ。沙奈は夜景に背を向け、そして後方に向かってゆっくりと倒れた。風圧によって乱れる頭髪の隙間から、彼女の妖艶な笑みが顔を覗かせていた。




