歓楽街
あれから貞美は、学校に来ない日が増えた。ひとたび登校すれば、彼女は生徒指導室に呼ばれるようになった。そこには確かに変化がある。偽りの女神の甘言により、彼女は着実に素行が悪くなり始めていたのだ。
それでも貞美は止まらない。彼女は度々コンビニエンスストアやスーパーマーケットに入っては、商品を盗んでいった。当然、それが店員に見つかることも多々あった。されど彼女の本来の目的は、大人を動かすことである。児童相談所が機能不全である以上、貞美は手を汚さなければ己を見てはもらえないのだ。
とあるコンビニエンスストアにて、店長は貞美と話をする。
「生徒手帳は持っているのかな?」
「は、はい……」
「何故こんなことをした?」
事情を知らない彼は、当然ながら険しい表情だった。その緊張感に圧迫され、貞美の心拍数が上昇する。しかしここで助けを求めなければ、現状を変える機会を失うだろう。そこで貞美は、全てを正直に話す。
「アタシ、お母さんに虐待されているんです。でも、児相は取り合ってくれなくて、何か事件を起こせば大人が動いてくれると思ったんです」
「だからって、お店に迷惑をかけていいわけじゃない。君は苦労しているかも知れないが、ここで働いている皆も苦労しているんだ」
「はい、ごめんなさい……もうしません……」
内心、彼女は思った――「自分の苦労は並ではないのに、他者の常識的な範囲の苦労の存在を槍玉に矮小化されている」と。それからも彼女は別の店で窃盗を繰り返したが、やはり大人は動いてはくれなかった。そうなれば、彼女が頼るべき相手はただ一人である。
貞美は、昨今の出来事を全て明かした。沙奈は相槌を打ち、話を整理する。
「親の支配下で動ける範囲は限定的だし、普通の大人ではワケアリの子に関わってはくれないわけだね」
「アタシ、一生助からないのかな……」
「いいや、ワタシは必ずアナタを守る。ワタシたちはマヴだから」
誰からも手を差し伸べられない貞美にとって、その微笑みはやはり女神のようだった。これから、貞美は更に道を踏み外すことになる。
「アタシ、どうすればいいのかな?」
そう訊ねたということは、彼女は半ば主体性を放棄したということだ。言うならば、彼女は自らの今後の行動を、眼前の支配者に委ねている。
沙奈は語る。
「大丈夫、アナタは一人じゃない。夜の歓楽街に行けば、アナタのような境遇を抱える青少年がたくさんいるから。同じ痛みを持つ者と触れ合えば、アナタも少しは気が楽になれるんじゃないかな」
その提案は、紛れもなく相手を破滅へと誘うものだった。
「こ、怖いことに巻き込まれたりしたら、どうしよう……」
「無理強いはしない。だけど、一度見てみる価値はあると思うよ。まずいと思ったら距離を置けばいい……ただそれだけのことだから」
「そ、そうだよね。ものは試しだよね!」
すでに沙奈に毒されていた貞美は、簡単に迷いを捨てた。その日を境に、貞美は深夜の歓楽街に通うようになったのだった。
それからしばらくして、貞美は退学処分を下された。彼女は夜の街で、薬物の濫用を繰り返していたらしい。この時分、彼女は家出も頻繁にしており、見知らぬ成人男性の家に宿泊することも多々あったのだ。その背景に沙奈の存在があったことは、誰にも知られていない。当の沙奈は、内心で嗤うばかりだ。
「孤立ゲーム、まだまだ楽しいね」
何はともあれ、彼女は一人の人間の人生を破壊した。それは紛れもない悪意であったが、傍目に見れば純然たる善意だ。
この時、沙奈は一人の少女の顔を思い出していた。
「次は推しを壊したい」
心の中で呟いた彼女の脳裏には、真梨の姿があった。あの幼馴染に対する歪んだ愛情を抱えたまま、沙奈は引き続き中学での生活を送っていった。