教会
中学で孤立していた沙奈のことを案じたのは、彼女の母親だ。ところがこの母親は、少しばかり異常である。
「沙奈、あなたには信仰心が足りない」
「幸せになるには、神様からの祝福を受けなければならないの」
「これはあなたのために言っているのよ」
そう――母親の思想は、何らかの宗教に染まっていたのだ。そんな彼女のことを、沙奈はあまり良くは思っていない。
「ワタシは神なんて信じてないから、押し付けないで」
沙奈はそう言ったが、母親は依然として考えを変えはしない。
「一度、教会に行きましょう」
「行かないよ、そんなところ」
「行ってみないとわからないでしょ」
母親の眼差しは、何かに取り憑かれた者のそれだった。彼女は沙奈を無理やり連れ出し、教会へと向かった。
教会の信徒たちは、沙奈を歓迎する。
「ここに来たということは、何か悩みがあるのかな?」
「大丈夫だよ。神様は、乗り越えられない試練は与えないから」
「この世の全てに意味があるんだよ」
そんな彼らの言葉を前に、彼女が感じたのは狂気に他ならなかった。一先ず、彼女はこの教会の雰囲気を掴むため、観察眼を研ぎ澄ます。壇上に一人の神父が現れると同時に、周囲は静まり返った。その沈黙を破るように、神父は話し始める。
「主は全ての罪を洗い流してくださいます。私たち一人一人が、主に選ばれたのです」
「生きる意味がわからない、自分の命に意味を見いだせない――そんな方々はたくさんいます」
「それでも、主が望んだ生に間違いはないのです。私たち全員が、かけがえのない存在なのです」
彼の口から紡がれる言の葉は、いずれも信徒たちの存在意義を肯定することに特化していた。彼の語りに対し、信徒たちは次々と呪文のような一言を口にする。
「アーメン」
「アーメン」
「アーメン」
その空気感は、沙奈からすれば耐え難いものであった。それでも彼女は、その場で反論するような無粋な真似はしない。彼女はただ、淀んだ眼差しで辺りを見回すばかりであった。そんな彼女には構わず、神父は続ける。
「愛される資格のない命などありません」
「主の前に人は平等であり、いかなる罪びとも懺悔すれば天国に行けるのです」
「愛をもって、私たちも互いを許しましょう。それは遠回りのように見えて、幸福への一番の近道なのです」
当然ながら、その演説は微塵も沙奈の心に響かなかった。さりとて、熱心な信徒たちは挙って感動している様子である。
「アーメン」
「アーメン」
「アーメン」
一見、沙奈は無駄な時間を過ごしたようにも見えるだろう。しかしこの日の出来事は、彼女の人生を大きく変える引き金となる。
沙奈はこう考える。
「なるほど。許され、包容され、帰属意識を与えられた人間は、相手に無条件で依存するようになるのか」
事もあろうに、彼女は眼前の光景を「人心掌握の手段」として学習し始めたのだ。
それから沙奈は、積極的に教会に通うようになった。彼女は熱心な信徒を演じていたが、そこに純然たる信仰心などなかった。時には架空の悩みを用意した上で懺悔室なども利用し、彼女は「他者に依存心を植え付ける話術」を学んでいった。皮肉にも、真梨以外の誰からも本心を理解されてこなかったはずの沙奈は、この時分にクラスメイトから信頼されるようになっていった。こうして歪んだ全能感を獲得していった彼女は、やがてこう考えるようになる。
「自分の限界を知りたい。ワタシは、どこまで人を操れるのか」
いよいよ彼女もマニピュレーターの端くれだ。神父の話術を模倣し、彼女は学校で様々な生徒の相談に乗るようになった。当然、沙奈は相手を救うことなど考えていない。されど彼女は、全てを許し、包容し、帰属意識を与える者だ。
「ワタシたちは、マヴだよ」
その一言は、いつ何時も無力な同級生たちを虜にしていった。