最初のマヴ
小学生の頃から、沙奈は勉強のできる子供だった。それでいて、彼女は美しかった。才色兼備を兼ねた彼女に、周囲の大人は期待を背負わせた。特に、彼女はピアノの演奏も上手く、大多数の大人が彼女を天才だと確信していた。一方で、そんな沙奈には理解者などいなかった。他の小学生とは違い、彼女は妙にシニカルな考え方をしていたのだ。
沙奈には将来の夢がない。それは小学生としては何も珍しくないことだったが、彼女の場合は夢を持たない理由が特殊だった。それが明かされたのは、彼女が三年生になったある日のことである。
それは担任教師が宿題を出した後のことだ。生徒たちはそれぞれ、将来の夢について作文を書かされている。一人一人が作文を読んでいき、いよいよあの少女の番が訪れる。
沙奈が口を開く。
「ワタシは夢というものが嫌いです」
そんな第一声に、周囲は耳を疑った。彼らには構わず、彼女は続ける。
「皆が夢を諦めるなと言うせいで、夢を諦めない人たちがいます。皆、見ていてとてもつらそうです」
「夢を追いかけたことに見返りがなければ、それは心の傷になります」
「皆は、成功者は偉くて、そうでない人間は偉くないと思いませんか? 努力に裏切られた人間がどんなに苦しんでも、誰も助けてはくれません」
その口から放たれた言葉は概ね、どことなく厭世的だった。生徒たちは固唾を呑み、次の言葉を待つ。沙奈の書いた作文は、小学生にはあまりにも重すぎる内容だ。
「努力は必要だとは思いますが、結果の出ていない人間は努力をしていないとまで考えるのは毒されすぎではありませんか?」
「夢を叶えないままで納得しようとしている人たちがいるのに、人々はその人たちに夢を見せるのです。とても無責任だと思います。」
「無謀な夢なら追わないほうが幸せになりやすいのに、夢を諦めさせることは悪いことだと言われます。皆が夢なんてものを貴うから、より多くの人が傷つくのだと思います」
教室に重苦しい沈黙が訪れた。その作文は、教師が求めていたものではない。
「小倉、あとで職員室に来なさい」
教師は言った。そこで彼女を庇うのは、一人の女生徒である。
「先生、沙奈の言ったことは正しいと思います」
「なんだ? 御巫」
「先生がこの宿題に求めていたものは、綺麗な嘘だったんですか? 作文には、綺麗事しか書いてはいけないんですか?」
――真梨だ。奇しくも、彼女は沙奈と同じ小学校に通っていたらしい。そんな真梨もまた、大人たちの期待を背負った天才児の一人であった。この瞬間、沙奈は確信する。
「真梨は、ワタシの追い求めてきたマヴかも知れない」
一方で、周りの生徒たちは彼女たちのことを理解できていない。この日を境に、彼らは沙奈たちから距離を置くようになった。さりとて、ただ一人だけ、沙奈を庇った生徒はいる――それは揺るぎない事実だ。
その日の放課後になり、沙奈はその生徒に声をかける。
「真梨、さっきはありがとう」
この頃の彼女には、まだ相手を壊したい欲求などない。彼女はただ、純粋に唯一の理解者になりうる人間に興味を示しただけだ。一方、真梨もまた、先程の発言には打算などない。
「夢が嫌いとまではいかないけど、私もあの宿題は嫌だったからね」
そう答えた彼女は、屈託のない笑みを浮かべていた。
それから二人は、よく話す仲になった。他の誰もその中には割って入れない。そんな日々の中で、沙奈の抱える想いは徐々に肥大化していった。
「……真梨」
「どうしたの?」
「ワタシたちは、ずっとマヴだよ」
自分たちが遠い未来で敵対することを二人はまだ知らない。沙奈にとって、真梨は初めての「マヴ」だった。
「もちろんだよ。私たちは、マヴだ」
そう返した真梨からしても、沙奈は最大の理解者であった。




