怒り
「いい加減にしてよ!」
沈黙が訪れていた教室に、千郷の声がこだました。周囲の生徒たちの視線は、一斉に彼女の方へと注がれる。無論、彼女たちには千郷が憤った理由がわからない。仮に真梨が黒幕であれば、この少女もまた被害者のはずなのだ。
そんな千郷が親友を庇った理由は、友情や信頼だけではない。
「誰が犯人だとか、誰が悪いだとか、そんなのやめようよ! 皆がそうやって、一人の生徒を寄ってたかって責め立てて……真実がどうであれ、そんなの、間違ってるよ!」
それが彼女の言い分だった。犯人が誰であろうと、もはや関係はない。疑惑だけで特定個人を攻撃するような学級会そのものが、彼女にとっては見るに堪えないものだったのだ。
一方で、同級生たちからすれば、その言い分は美辞麗句に過ぎない。
「そんな綺麗事で済まされる話じゃないでしょ!」
「誰かが終わらせないといけないんだよ……この地獄を!」
「千郷は真梨に騙されてるんだよ! 目を覚ましてよ!」
たった一人の人間が立ちはだかったところで、彼女たちの想いは変わらなかった。沙奈に対する絶大な信頼が、彼女たちの目を曇らせる。沙奈が黒幕と言っただけのことで、真梨は黒幕とみなされたのだ。
この時、真梨は口を滑らせる。
「千郷。もういい。もう……いいんだ」
その一言は、彼女が潔白を示すための打算ではなかった。それは正真正銘――彼女自身の愛から生じた言葉だったのだ。
千郷は両腕を広げ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
「真梨。あーし、誰が犯人だとか、そんなことは知らないけど……それでも、あーしは真梨の親友だからね」
そう言い切った彼女の視線の先には、全ての元凶に等しき黒幕がいる。感極まった真梨はその胸に飛び込み、そして落涙する。
「千郷……ありがとう。私、千郷の親友で、本当に良かった……」
この光景を前に、生徒たちは動揺した。そんな中、ただ一人――沙奈だけは依然として冷静である。先ずは小さなため息をつき、それから彼女はこう語る。
「見てごらん、皆。この涙が答えだよ」
「追い詰められた人間の涙は、嘘をつけないからね」
「まあ、この場面で泣くくらい心に余裕がなかったということは、ワタシの言っていたことが図星だったということだよ」
彼女の言葉の一つ一つは、着実に周囲を味方につけていった。これまで起きた全てに対する鬱憤――それをぶつける相手を見いだした群衆は今、怒り狂うばかりだ。
「ふざけんな、真梨!」
「やっぱり、全て沙奈の言った通りなんでしょ?」
「皆の前で土下座してよ。どーげーざ、どーげーざ、どーげーざ!」
この瞬間、彼女たちは歯止めの利かない状態だった。当然、千郷はこの事態を快く思わない。
「真梨が正しかったかどうかなんて知らない! だけど、今のあんたたちは間違ってる! 真梨だって、一人の女の子なんだよ? あんたたちと同じように、心に痛みを感じるんだよ!」
そう訴えた彼女は、真梨の背中を優しくさすった。真梨は更にその身を震わせ、大粒の涙をこぼしていく。さりとて、生徒たちが鎮まる様子はない。
学級会を終わらせるのは、一人の人物だ。
「そこまで! 今日はここまでだ! さあ皆、早く帰りなさい!」
――担任教師の石川だ。例え不正を働いた身であっても、彼も結局は教育者だ。眼前で荒れ狂う生徒たちを見て、彼は居ても立っても居られなかったのだ。
「行こう、行こう。明日から、真梨のことを皆で無視しよう」
「そうだね。次アイツと話した奴、絶交ね」
「帰ろう、帰ろう」
学級会を終えた彼女たちは、次々と手荷物をまとめ始めた。その後に続き、沙奈も妖艶な笑みを浮かべながら教室を去る。最後に教室に残ったのは、互いを抱きしめ合う二人の少女――真梨と千郷だった。