人心掌握
本来なら理解されない動機――それが理解されてしまった今、戦況は真梨にとって分の悪いものだ。さりとて、彼女はまだ敗北を認めるわけにはいかない。動機と状況を結びつけられてしまったのなら、こちらも同じことをすればいいだけのことだ。ここで真梨は反撃に出る。
「だったら、貴方にも動機はあると思う。沙奈……貴方は私を潰すことに躍起になっていた。そして、そのための舞台を整えるだけの力が貴方にはある」
そこには一定の説得力があった。確かに、沙奈は序盤から執拗に彼女を貶めようとしていた。して、周りの生徒もそれをよく理解している。
「どちらかが嘘をついている」
「まさか、学級会がこんな展開を迎えるなんて……」
「アタシたちは、どっちを信じれば……」
彼女たちが迷ったのも無理はない。今互いを睨み合っている二人のうち、どちらかが黒幕かも知れない。しかし、双方ともにその証拠はない。それでもこのクラスでは、確かに見えない戦いが繰り広げられてきたのだ。
確証を得られない場合、ものを言うのは信用だ。つまるところ、より多くの支持を集めた者が勝者となる。
「ワタシたちはマヴだよ。マヴの皆は、ワタシと真梨、どちらを信じる?」
そう訊ねた沙奈は、慈愛に満ちた修道女のような面構えをしていた。無論、それは彼女の本心でもなければ、本性でもない。真梨を壊したい――ただそれだけの欲求を偽るために、彼女は善性を繕うのだ。
生徒たちは口々に発言する。
「沙奈がそんなことをするわけがないよね」
「そうだ。沙奈とわたしはマヴだもの。沙奈がわたしを騙すわけがないよ」
「やっぱり真梨が黒幕だったんだ!」
いつの間にか、沙奈は様々な生徒を懐に取り入れていた。これがマニピュレーターの真髄だ。こと人心掌握において、彼女の右に出る者はいない。
真梨は抵抗の意思を見せる。
「待ってよ。まだ私が悪いと決まったわけじゃないでしょ? だって、私もいじめられたんだよ? 殴られたんだよ? そんなこと、自分で仕込むわけないでしょ」
その主張自体には、確かに筋が通っていた。されど怒りに駆られた者たちには、理屈など通用しない。
「だったら何? 沙奈が間違ってるとでも言いたいの?」
「どちらかを信じなきゃいけないなら、ウチはマヴを信じる!」
「潔白を証明してよ、真梨!」
それが彼女たちの答えだった。何も確定事項がないのであれば、より信用できる相手に合わせる。踊らされてきただけの群衆には、カリスマに流されないだけの主体性などない。
再び真梨の方へと振り向き、沙奈は言い放つ。
「真梨。これが、アナタの失った信用にして、ワタシが勝ち取った信用だよ」
それはもはや勝利宣言に等しかった。数瞬の沈黙が訪れ、教室の空気は淀んでいく。この瞬間にも、真梨は必死に思考を巡らせていた。反論をやめてしまえば、負けを認めたことになる。それが意味するところは、彼女自身の積み重ねてきた罪を認めなければならないということだ。
「くだらない。どっちが嘘をついているかわからないからって、こんな人気投票みたいな方法で決着をつけようってわけ?」
その問いは、極限状態に立たされた真梨の悪あがきに他ならなかった。さりとて彼女の言葉はもう、周囲の人間を動かせない。真正のマニピュレーターを前にすれば、彼女の声は無力だ。
「理屈で考えたって無駄だよ。人間は、理屈だけでは納得しないから」
「皆、目を覚まして。沙奈は、貴方たちを操っている」
「違うよ、皆。ワタシたちはマヴでしょ? ワタシたちが心を通わせることは、何も間違っていない……そうでしょ?」
やはり小倉沙奈は強敵だ。この女に壊されたいと思われた時点で、真梨は半ば詰んでいたのだろう。
その時だ。
千郷は怒りに震えつつ、席を立った。