陰口
後日の放課後、真梨は廊下の中心で何かに気づいた。
「……忘れ物」
そう呟いた彼女は後方へと振り返り、教室まで歩みを進めていった。そして出入口の側を通りかかった時、彼女の耳には複数人の女子の声が入ってくる。
「真梨の奴さ、ウザくない?」
「アイツ本当に空気読めないよね」
「学校来ないで欲しいよね」
――この時になり、真梨の中にあった疑惑が確信に変わる。やはり同級生たちは、彼女のことを嫌っている様子だった。真梨は引き続き聞き耳を立てる。無論、それは彼女自身の精神衛生上、決して良いことではない。それでも彼女は、自分が周囲にどう思われているかを確認せずにはいられない。
「ていうか、学級会の時やばかったよね」
「わかる、わかる! なんか逆ギレしてたもんね!」
「アイツ本当にキモいよね!」
案の定あの学級会での一件は、真梨の風評に大きな傷を刻んでいた。この会話を聞いた彼女の中に、怒りや悔しさはない。
「あんなよくわからない連中に理解される必要はない。私は連中の都合に合わせて生きている命ではない」
それが真梨の考えだった。呆れたようなため息をついた彼女は、その場を去ろうとした。本来、彼女には忘れ物を取りに戻るという目的があったものの、今それを果たそうとするのは悪手だろう。当然、その程度のことは彼女にもよくわかる。
その時だった。
「あんたたち、ダサいよ」
教室から聞こえた千郷の声が、その歩みを止めた。真梨はおもむろに振り返り、再び聞き耳を立てる。
「なんなの、千郷。アンタもウザいんだけど」
「ていうか、なんで真梨の肩を持つわけ? ありえないんだけど」
「何がどうダサいのか説明できるの?」
女生徒たちは、こぞって千郷を非難した。それでも怖気づかなかった千郷は、必死に声を張り上げる。
「真梨と直接言い合いになったら勝てないクセに、そうやって裏でコソコソ陰口言ってさぁ! ダサいに決まってるじゃん、そんなの!」
ほんの数瞬ほど、教室は静まり返った。緊張感のある空気の漂う中、女生徒たちは次々と口を開き始める。
「でも屁理屈に正面からぶつかるなんて、馬鹿のすることでしょ?」
「そうそう。真梨はあたしたちの揚げ足を取って悦に浸ってるだけ」
「なんかの病気じゃないの? あの子」
何やら彼女たちは、本気で真梨を疎ましく思っている有り様だった。当の真梨は、彼女たちから向けられている目に関心がなくなりつつあった。今の彼女が知りたがっているのは、千郷の気持ちだけなのだ。
千郷は更に声を荒げる。
「屁理屈なんかじゃない! おかしいことをおかしいと言って、何がいけないの? あんたたちは真梨を悪者にして、自分たちの間違いから逃げたいだけだよ!」
この頃から、彼女はすでに真梨を妄信していた。その声色には、鋼の意思が宿っていた。
「真梨とちゃんと向き合ったことのないあんたたちが、真梨を語らないでよ!」
「真梨は……真梨は! 真梨は賢くて、正しい奴なんだよ……」
「それをあんたたちにあーだこーだ言われて、あーし、すっごく気分悪いよ!」
彼女の紡ぐ言葉の一つ一つが、正義感と優しさに満ち溢れていた。もっとも、それで相手が屈服するわけではない。
「ウザッ」
「何アツくなってんの? 前々から思ってたけど、アンタも大概に頭おかしいよね?」
「いい子ぶってんのマジでキモいから、やめた方がいいよ」
それが同級生たちの反応だった。この時になって、真梨はようやく苛立ちを覚える。
「貴方たちに、千郷の何がわかるの……?」
そう思った彼女だったが、それを口にはしなかった。何故なら、彼女自身が対話の無意義さを、嫌というほど思い知ったばかりだからだ。握り拳を震わせながら、真梨はゆっくりと歩き始める。
彼女の中で、あの女生徒たちは「敵」とみなされた。