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保健室

 あれから一ヶ月後のある昼下がり、千郷(ちさと)の身に体調不良が降りかかった。彼女が訴えた症状は、以下のものだ。

「うえぇ……視界が歪んできた……」

「吐きそう」

「めまいがするよ……」

 これらの症状の原因は火を見るよりも明らかだ。案の定、ナツメグに含まれるミリスチシンが、彼女の脳を脅かしている有り様だ。して、この状況は真梨(まり)が想定していたものでもある。

「先生には私から伝えておくから、保健室に行こう」

 そんな提案をした彼女は、千郷に肩を貸した。千郷は千鳥足になりつつも、真梨に支えられながら保健室へと赴いた。


 その日の放課後、真梨は保健室を訪ねた。ベッドの上に横たわる千郷は、苦しそうな表情を浮かべている。彼女が弱っているこの瞬間は、真梨からすれば絶好の機会である。

「千郷、大丈夫?」

「真梨、来てくれたんだ」

「当たり前でしょ。私たち、親友だもの」

 この事態を引き起こしたのは、言うまでもなく真梨自身だ。その事実を知らない千郷の目には、真梨の姿は孤独を癒してくれる掛け替えのない人物として映ってしまう。

「あーし、おかしくなっちゃったのかな。心がグッチャグチャなの。目もおかしいし、頭もフラフラする。早退しようとも思ったけど、まともに歩けそうな状態でもなかったんだ」

 事態はかなり深刻だ。この時、真梨はわずかに罪悪感を覚えていた。これは彼女自身が望んでいた結末ではあったが、やはり最愛の人が苦しむ姿は見るに堪えないものだろう。真梨は居た堪れなくなった。されど、今更引き返すわけにもいかない。千郷を手に入れるため、真梨はあらゆる手を行使することを選んだのだ。

「お母さんに連絡はした? 迎えに来てもらった方がいいよ。場合によっては、救急車を呼んだ方が良いかも知れないね……」

 結局、彼女は善意を偽ることにした。千郷は目に涙を浮かべつつ、彼女の目をじっと見つめるばかりである。

「真梨。お母さんが迎えに来るまで、側にいて。あーし、怖いの。自分が、どうなっちゃうのかわからなくて……それが凄く怖いの」

 今の千郷にすがれる相手は、眼前のマキャヴェリズムの申し子だけだ。

「大丈夫。私はずっと、千郷の側にいるよ」

 そう囁いた真梨は、頬を紅潮させながら彼女の手を握った。そんな真梨の手を己の頬に当て、千郷は少しだけ穏やかな表情になる。

「ありがとう、真梨。あんたが友達で、あーし、本当に良かった」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。私と仲良くしてくれるの、千郷だけだから」

「皆が真梨の良さに気づいていないだけだよ。真梨は頭も良いし、こうやって気も利かせてくれるもん」

 ただならぬ事態と向き合っているものの、二人は安堵のひとときを噛みしめた。当然、千郷には真梨を疑う気持ちなどない。彼女は目の前の戦犯を善人だと妄信し、甘い言葉に酔いしれている。それが今まで培った信頼なのか、あるいは化合物の効果なのか――それは明らかではない。ただ一つ言えることは、今の千郷が真梨のことを全面的に信用しているということだ。



 一方、保健室の壁の反対側では、沙奈(さな)が聞き耳を立てていた。彼女は小さなため息をつき、こう考える。

「なるほどね。やはり、薬膳ジュースに何か仕込んでいたみたいだ」

 市立桃園女子高等学校において、この少女は他と一線を画する観察眼を持つ。同時に、彼女は真梨に対する執着も人一倍強い。

「明日、千郷にも疑惑の種を植え付けておこう。例え証拠が残っていなくても、人は肥大化した疑惑を向けられていては信用を得られないからね。ああ、真梨……アナタの壊れる姿は、きっと愛しいものに違いない」

 そんなことを心で呟いた彼女は、息を殺しながらその場を後にする。真梨の計画と同様、彼女の根回しもまた、水面下でじわじわと進行し始めている様子だった。

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