準備
「ちょろいものだね……」
モニターに照らされた薄暗い部屋で、御巫真梨は笑った。彼女の目の前に映し出されているのは、数十万にも及ぶ大金の振り込まれたデジタル通帳だ。続いて、彼女はスマートフォンを手に取り、ロック画面を見つめた。そこに映し出されているのは、一人の少女の写真だ。
「千郷……私は必ず、貴方を手に入れる」
そう呟いた彼女の口元は、妖艶に綻んでいた。
時は、約一ヶ月前にまで遡る。私立桃園女子高等学校――そこが真梨の通う場所だ。その日、校内はリバイブ3という最新ゲーム機の話で持ちきりであった。
「昨日さぁ、リバイブ3手に入れたんだよね」
「本当? いいな、いいな!」
「ウチは発売日に買ったよ!」
この三人だけではない。他の生徒たちも、それぞれのグループの中でこのゲームの話をしている。この時、真梨の脳裏を過ったのは、ちょっとしたビジネスチャンスであった。普段はゲームに興味を示さない彼女が、この時だけは同級生の一人に声をかける。
「さっき、リバイブ3の話をしていたね。貴方は、買ったの?」
「うん、買ったけど……」
「そのゲームの空箱、要らなかったら二千円で売ってくれない? 口座を教えてくれたら、振り込んでおくから」
それは相手からしてみれば、この上なく妙な交渉だった。このクラスでは、誰もがゲーム機の本体を欲している。しかし眼前の少女は、空箱の方を求めているのだ。
一方で、この場にいるのはどちらも高校生――はした金にさえ縋る年頃である。ましてや、両者は共に同じ高校に通っており、互いを疑う理由などない。
「わかった。明日、空箱、持ってくるね」
同級生がその結論に至ったのは、至極当然のことであった。
「ありがとう。二千円は、その後で振り込むね。口座の情報、わかる?」
「コンビニの口座なら……」
「大丈夫。交渉成立だね」
後に、その二千円は更なる大金に変わることとなる。
この調子で、真梨は他の同級生にも声をかけていった。
「リバイブ3の空箱、まだ捨ててない?」
「箱、二千円で買い取らせてくれないかな?」
「状態の良い箱だと嬉しいね。いくらあっても良い」
彼女の手元には、すでに五人もの生徒の口座番号が渡っている。無論、それで相手の相性番号までわかるわけではない。少なくとも、彼女が他人の口座から金を抜くようなことはないだろう。さりとて、彼女の行動が妙であることは火を見るより明らかである。
そんな彼女に声をかけてくるのは、一人の少女だ。
「真梨、箱なんか集めてどうするの?」
その少女は、真梨がスマートフォンのロック画面に設定した写真に映っていた人物――萩原千郷であった。無論、この少女は何かを勘ぐっているわけではない。単に、彼女は真梨の行動の理由を知りたいだけなのだ。
「最新型ゲーム機の箱でしか出来ないことがあるんだよ」
「それって何? あーし、すっごい気になる!」
「まあまあ、そこは乙女の企業秘密だよ」
この後の計画について、真梨は何も知られてはならない。ましてや、眼前の少女にだけは、絶対に裏の顔を見せてはならないのだ。内心、真梨は「危なかった、千郷に嫌われたら全てが終わるところだった」とさえ思っていた。幸い、千郷は疑うことをあまり知らない。
「真梨って頭良いもんね、きっと凄いことをするんだろうなぁ」
そう口にした彼女は、あまりにも無邪気な笑みを浮かべていた。その屈託のない表情を前に、真梨は密かに動揺する。この瞬間に彼女が感じていたものは、不安でも悪意でもない。
「やはり、私はこの子を愛している」
心の中で呟いた彼女は、物思いに耽った。そんな彼女の頬を指先で小突き、千郷は笑う。
「隙ありっ!」
「な、なにするの……」
少し頬を赤らめた真梨は、軽く俯きながらも頬の感触の余韻を噛み締めた。