第7話 「天使と兵士」
天使様。それは一見するとただの人だった。
色素が薄く、全身が白色に覆われていることを除けば、一般的な人間と大差はなかった。
白銀の髪、色白の肌、白色の外套。頭の先から足の先まで、その姿は真っ白に包まれている。
浮世離れした容姿に格好。
白銀の髪が日の光を反射して光り輝いている。
伝え聞いていた天使と寸分違わぬ姿がそこにはあった。
赤色の目だけが爛々と燃えている。
屋上に立っている男がメガホンを片手に声を上げる。
「同士達よ。戦力をこの場に集中させよ。人民の敵が、今やってきた」
人民の敵、そう言われても天使様は眉ひとつ動かさない。
天使様の片手には軍刀が握られている。なんの変哲もない剣である。
そして空いていたもう片方の手で床に落ちていた歩兵銃を拾った。いつ攻撃を受けてもおかしくないのに、その動きはひどく緩慢だった。
重機関銃の銃口はこちらに向いたまま微動だにしない。
俺の心配を知ってか知らずか、天使様の口から言葉が出た。
「動くなよ」
その刹那、重機関銃が起動した。轟音と共にこちらに向かって数多の弾丸が飛来する。
秒間三〇発のその弾丸は、一発でも受ければ即死を覚悟しなければいけない代物だった。皮膚に擦れば肉ごと持ってかれる、直撃すればその部位は木っ端微塵に捻り切れる。たった一発でも脅威となる代物が、一秒間に三〇発もの雨となって降り注ぐ。
「っ!?」
壁や窓を建物ごと貫通して、こちらに向かう死の嵐。それを目の前にしても天使様は直立したまま微動だにしなかった。重機関銃の弾に削られて壁や床から粉塵が舞う。そして異変に気付いた。
一発も当たっていない、まるで射手に当てる気がないかのような命中率だった。天使様は何もしていない、歩兵銃と軍刀を持つ手も下に降ろしたままだった。
遠くで重機関銃を操作する人間の顔が歪んでいた。その顔は恐怖で捻じ曲がっていた。
そして天使様は手にしていた歩兵銃をヘリコプターの射手に向けて持ち上げる。ゆっくりと腕を持ち上げ、ゆっくりと引き金が引く。
天使様の歩兵銃から火が吹き、銃口の先にいた重機関銃の射手の体が大きく後ろに仰け反る。
その射手は、力の無くなった人形のように全身を弛緩させ、重機関銃から手が離れ、後ろへと倒れた。
機関銃による嵐が止む。
たった一発の銃撃。それだけで回転翼機の射手の頭は削れていた。
俺の持つ常識から外れている、ありえざる現象だった。重機関銃からの速射は当たらず、天使様の歩兵銃は一発であたってしまう。
後手必中、そんな言葉では終わらない何かがあった。
これほど近い距離なのに、まるで機関銃から放たれた弾が自ら軌道を変えているかのようだった。
機関銃による連射が終わったのを確認すると、天使様の全身が動いた。
風圧が地面を撫でる。
あらゆる注目があった。敵も味方も住民も、全員が天使様を注視していた。しかし、天使様の動きを目で終えた者一人もいなかった、目の前にいたはずの俺を含めて。
床がへこむ、そう思った時には天使様は回転翼機に向かって飛んでいた。人外じみた跳躍である。獣族の人種にはこれほどの跳躍をみせるものもいたが、初速が段違いだった。今までの人生の中で、これほどの動きを見せる生物は見たことがない。
一般的な立ち幅跳びのような緩やかな軌跡ではない、ほとんど直線の軌道を描いて、回転翼機に向かっていた。
そしていつの間にか回転翼機に到達したかと思った矢先、回転翼機がズレた。
絵をハサミで切り、それをズラしたかのような光景だった。
機体が半分になり、プロペラが付いていない前方部分がゆっくりと街道に落ちていった。
いつの間にか回転翼機は両断されていたのだ。
回転翼機の前方、操縦部分と呼ばれる区画が機体から切り離される。
軍刀で切れるはずのない鋼鉄が、分断を見せていた。
機体の前方部分が切り離されると同時に、天使様は軍刀を持っている腕を振った。腕を振ったというより腕が見えなくなった。腕が見えなくなったと同時に、機体後方部とプロペラの接合部分が切り離された。
両断に次ぐ両断。弾丸すら弾き返す鋼鉄が、ただの軍刀によって最も簡単に切り刻まれる。
そして天の使いは空を飛んだ。実際は機体内部から機体の真上に向けて跳躍しただけなのだが、それは飛翔と呼んで差し支えない光景だった。
機体の真上に向かっての跳躍、それは高速回転するプロペラに突っ込むことと同義だったが。
鉄がねじ曲がる音、それと同時に天使様の手にはプロペラが握られていた。身の丈の何倍もあるような回転翼の端を片手に、空へと飛翔していた。
高速に回転するプロペラを片手で掴む。
勢いよく動く鉄塊を受け止めた代償か、天使様が持っているプロペラの羽が大きく歪んでいる。
天使様の手には何の傷もついていない。ただ鉄塊だけが歪んでいる。
そのまま腰を捻ると、プロペラを遠投した。狙いは先ほどまで演説を行っていた兵士たちグループ。
四人の男達がヘリの異変に気付き、天使様に向かって突撃銃を乱射する。それに目掛けて放たれたプロペラという鉄の塊。弾丸とは比べるまでもない質量が、兵士たちを両断した。血飛沫と断末魔が散る。
メガホンを片手に持つメフィウスと名乗った先導者。彼はプロペラが向かう直前横へと飛び、すんでのところでそれを回避する。周りにいた兵士達だけが装備ごと体を真っ二つに切り開かれている。
地に落ち爆裂する回転翼機。鉄の塊によって削られる建物に大地。
その中心に立ち、一切の傷を負わない天の使い。
人間の戦いではなかった。
『天性』というのはいつだって非常識で、天使様はいつだって俺達の予想を超えてくる。
常軌を逸した戦場がここにはあった。
プロペラを投げた反動なのか天使様の体はさらに高く宙へと舞っている。
天高く舞う天使様の姿が太陽と重なった。
一説には天使という存在は後光がさす存在なのだという。その後光を表現するために絵画では天使様の上部または背部に光輪が描かれていた。
天を舞うその姿は、絵画で見る天の使いと重なった。
「神秘・・・」
自分も、おそらくこの街にいる全ての住人がそう呟いただろう。
天使様は宙を舞っているが飛んでいるわけではなかった。そこは人や物と同じように地面へと落ちていく。
下へと落ちていく間、天使様は片手で歩兵銃のボルトを引き、片手で銃を発射した。それを三回。まるで拳銃を扱っているかのような早業で、銃を四方へと発射させる。
奇怪な行動だった。
後になって知ったことだが、あの三発の弾丸で、街に偏在していた敵側の狙撃手を仕留めたようだった。
まるで呼吸するかのように行われる人外の技術。
宙空からの早撃ちが済み、建物の上に飛び乗った天使様は歩兵銃を捨て、軍刀を構え、その場から消えた。屋上に残るひび割れだけが天使様がそこにいたことを示している。
建物の窓からは見えない。だが、天使様が地面を踏み抜き、猛速で走り去る姿は想像に難くなかった。
敵はまだ残っている。