第11話 「天使と脱走」
どこに衛兵がいるのかは分かっていた。だから、それを避けて通ればいい。
右折し廊下を直進。その後、左折、直進、右折して、完全にカゲちゃんや衛兵の目線を掻い潜ったと感じた時に、たくさんある部屋の一つに滑り込んだ。
それからは単純だ。ベットと、ベットを支える木組の間に手を突っ込み、前もって準備していた縄と靴、そして外套を取り出した。
前々から、城から抜け出す準備をしていた。城のあちこちにこう言った物を隠している。このような強行に出る時に備えてのものだった。従者からしてみたら堪ったものではないのだが、そこらへんは「ごめんなさい」しとく。
何より片付けられてなくて安心した。まあ片付けられない場所を選んだので、当然と言えば当然だが。
窓の外を見る。前から予期していた通りだ。高さ良し、衛兵もいない。
靴を履き、縄をベットの支柱に結んだ。縄を引っ張る、強度に問題はない。
そして縄を体に巻いて、窓を開ける、そこから外へと降下した。
昔見た鋼具を用いた懸垂降下のようなスイスイと降りれるようなことはなかったが、これでもかなり早い方だった。地面へと降り、そのまま道を走った。外壁までの距離は近い。
人の目線はない、すぐさま持っていた外套を身に包む。
衛兵の数、配置を思い出し、そして人の流れを考えた。カゲちゃんたちが衛兵に呼びかけているだろう。部屋を見られたら、すぐに衛兵を呼ばれる。時間はなかった。
外には出たがここからすぐ城内を出ることは出来なかった。もう一度、城の中に入り、外へと通じている外門に行かなければならなかった。
道を直進し、曲がり角のところでしゃがみ、壁に寄りかかった。それと同時に道の交差路から、衛兵が顔を出した。こちらの道に顔を向けると同時に、私は衛兵の後ろに歩いた。
衛兵の視界には、私は一瞬も映り込んでいない。衛兵からして見れば、窓から吊るされている縄を発見したに過ぎなかった。
そして交差路から城内へと入り込む。そこにはあらゆる人間が行き交っていた。
「誰か来てくれ!」と先ほどの衛兵は叫んだ。そして衛兵が外へと出ていく。
予期していた私は、柱に身を隠し、その場をやり過ごす。
そして動き出す。執事にメイドもいる。外套を着ているため、城内の人間からしてみれば不審者極まりない。しかし見つからなければ問題はなかった。
人の視界を縫って歩いた。人の後ろに隠れ、運ばれる台車の影に隠れ、垂れ幕に隠れ、部屋に身を潜め、窓を潜り、廊下を進んでいった。
壁や物、または人を盾にして、私は衛兵や召使の視界を縫って歩く。
蛇行した歩行だったが、遅くはない。城の中を使った全員が相手の隠れ鬼ごっこ。負ける気がしなかった。
「シロ様が部屋から飛び出しましたッ!」
三階から降りてきたカゲちゃん。ベットに括り付けられた縄を見たようだ。それを伝えにこの一階に降りてきたようだった。
でも遅い。もうその叫びは、私の援護にしかならないよ。
全員がカゲちゃんの方向を向いていた。視線が一極集中するその時を狙って、私は足音を殺して走り出した。私に気付く人は誰もいない。
城門へと出た。人の行き交いが激しい、そして警備も万全だ。なんとも頼もしい。
馬車に乗せられた人が次々に降りていき、従者を連れて城内に入っていく。
高貴であると主張を見せる人々。その豪華絢爛な装飾品、見てるだけで目がチカチカする。
目的は、あんなキラキラではない。私は、馬車が滞在している場所へと足を運んぶ。目的の人たちがいた。馬車に木箱を積んでいる商団の姿があった。
城には今日、いろんな物が運ばれる。父に献上される上納品だったり、父がみんなに送る下賜品だったりなんかもそうだし、鮮度がいい状態の食材も運ばれる。
その荷運びが行われている場所があった。もうすでに、上納品や下賜品は城内に運ばれているのだろう、荷を運ぶ商団の足取りも軽く、木箱も軽そうだった。
空の木箱を、馬車に積んでいる一人に声をかけた。
「すみません、お手伝いさせていただきます」
「は?」
私は、喉の奥から低い声を出し、そう言い切った。おっさんのダミ声が私の喉から出ている。外套を身に包む私は、おっさんそのものだ。私をうら若き乙女だと思う人間は誰もいない。
昔から変装や、変声が得意だった。色々やってきたが「マントとダミ声おっさんの術」を看破した人は今まで誰もいない。
「あっし、城内の下男でして。城での仕事が片付いたんで、商団の仕事を手伝いに行ってこいと指示されまして」
「はぁ。でも空箱を積み込むだけだぜ。手伝いなんていらないよ」
「いらない仕事なら感激でさぁ。それほど楽な仕事はこの世にございやせん」
商団の男性が私を見つめる。数瞬の間が空いて。
男性は笑った。
「ふふっ、そうだよな。楽な仕事の方がいいよな」
「へぇ。責任も重量も軽いに越したものはありやせん」
「ハハハッ。だな。じゃあ頼むよ」
私はマントの中で笑みを浮かべた。この男性は、私のことを楽な仕事をしにきた召使だと思い込んでくれた。
そうなる人を選別したのだが、やはり役がハマると嬉しいものだ。
「あんたも大変だな。城での仕事は終わったのに、こんなところまで駆り出されて」
「えぇ。全くです」
私は木箱を運んでいく、軽いので私でも持てた。
ここで仕事をしていれば、ここに来た衛兵にも怪しまれずに済む。
木箱は積み終わり、男性は荷台に乗って馬の手綱を引いた。
「ありがとう。またな」
そう言い。馬車を発車させる直前。私は馬車へと潜り込んだ。音も振動も、ほとんどしていない。そして、男性が後ろを振り向いても大丈夫なように、私は木箱に隠れるようにして荷台に寝そべった。荷台の外枠にすっぽりと包み込まれる。
日差しが顔に当たった。太陽が煌めいている。
視線を意識して荷台に木箱を積んでいた。衛兵も、周りの人間にも、荷台で手綱を引いている男性にも、私は見えない。
ゆっくりと着々と、馬車は進んでいく。誰も私には気付かない。
馬が前に進む、馬車が揺れる、私も揺れる、世界が動いている。白い居城が遠ざかっていく。馬車が私を乗せて遠ざかる。
ただ寝そべったままで、私を乗せた馬車は外門を抜けて街へと出た。
私は目を開けて、体を起こした。もう城からは大分離れて。街の中間地点へと入り込むようなところに入った。馬車が停車したときに、荷台から飛び降りた。馬車を操る男性はとうとう私には気付かなかった。
「疲れたぞい」
軽く伸びをする。周りに追手はいない。
城から出入りする馬車は大量にある。私が乗る馬車だけを追跡するのは難しいだろう。後手後手に回っちゃったねカゲちゃん。
私が逃げたと分かった瞬間に城門の閉鎖ぐらいはやっておくべきだったかな。来賓の方々がいる手前、どうしたらいいか分かんなくなったのかな?
「まぁ、閉鎖したところで抜け出せないことはないんだけどね」
周りを見渡した。もう、私を邪魔する人はいなかった。
もう一度、城を見た。綺麗で、大きな、私の家。そして私を殺す家。物理的にも、性格も、個性も、あの家にいたら殺されてしまうと思った。だからいつも私は家から離れたかった。
「それに殺される私でもないしね」
外套に身を包み、私は街を歩き出す。そして、街を離れていった。行き先は言わずもがな山にある。
悠々と歩く私。その歩みを止める人間は一人もいなかった。
私の死亡が確認されるのは、これからちょうど一日後のことだった。