第10話 「天使の影武者」
太陽の日差しに照らされて、白色の城が煌めいている。
今日、城には様々な人が行き交っていた。商工団の団長さん。他の領地のお偉いさん。軍部の偉い人に、教会の偉い人。この大陸を代表する名士さんが、この城に集まっていった。
それに伴い、城では朝から大忙しだ。
執事に家政婦は汗を額に滲ませながら働いていた。
この城に常駐する衛兵や施設兵のみんなも、元気よく声を出して自身が護衛する人や場所を確認している。
この城を任されている補佐官達が式典の段取りを執事達に命じていた。
調理場では大量に調理された料理が、舞踏場へと運ばれていく。
城の中の舞踏場はすみずみまで磨かれて、大理石で出来た床や壁は鏡のように光っていた。この城は社交場として最上位の場所だった。
「みんな、頑張ってるな〜」
兄と父が帰ってくる。久しぶりの家族の会合が今日行われる。今日、この城に天使が三人集うのだ。それを機に挨拶に来る人は大勢いた。
家族がみんなで集まる時ぐらいほっといて欲しいとは思うが、「天の使い」という形でこの大陸の政治経済を割り込んでいるのだ、
「私達の間には割り込まないで」と言うほうがどうかしている。
兄と父はまだ到着していない。大勢の人がこの城に集まり、主役の登場を心待ちにしている。
「それにしても」
ゆっくりと私は窓から目線を外し、部屋を見た。
扉が閉ざされている化粧室、兼休憩室に私はいた。髪をとかし、化粧をして、この部屋に待機している。
この部屋の光景を見て驚く人はたくさんいるだろう。
私と同じくらいの年齢の子が部屋の中に三人いた。
「暇だよね〜」
三人は一斉に首を縦に振った。従者の白い髪が揺れる。
全員の容姿、髪、服が私に揃えられている。私と瓜二つの別人が、この部屋には三人もいた。
三人とも私の従者であり、影武者だった。
「ということで・・・」
「お言葉ですがシロ様」
「私は遊びに行きます」
「おやめください」
従者の一人が椅子から立ち上がり、私の前に立った。
影武者3号ちゃん。他の二人とは違い。達観していて責任感が強く、私の行動にいつも意見を申していた。
影武者として名前は昔に無くしている。
私と容姿が似ていることから教会からの通達で影武者となった子だ。
影武者として行動するべく、自分の名や家族を捨ててもらった子なのだ。髪を脱色し、化粧を施せば初見で見分けられる人はあんまりいない。
「カゲちゃん。お願いだよ。少しだけだから」
影武者3号ちゃんのことを私はカゲちゃんと呼んでいる。
昔の名前を呼ぼうとしたら、『お願いですから、その名で呼ばないでください』と言われたので、それからカゲちゃんと呼ぶようにしていた。
「お願いも何も、私には決定する権利はございません。今日は国中から、シロ様に会おうと来賓される方が集まっています。どうか今日だけでも城内にいてください」
「う〜ん。でも私はいい機会だと思うけどね」
「何がでしょうか?」
「今回の式典でね、カゲちゃん達が私の代わりに出るじゃん。それで何事もなく済めばさ。カゲちゃん達の有用性というか存在意義が城内に知れ渡るわけじゃん。私も嬉しい、カゲちゃん達の城内の地位も上がるし。影武者としての能力も上がるわけでしょ。いい事づくめでしょ」
「シロさま。もちろん御用があれば式典に向かわせていただきます。しかし、それとシロ様がこの場を離れるのは話が違います。兄君や閣下の到着の出迎えは、私たちでは身に余る役割です。どうかこの場にお残りください」
「うーん、大丈夫だと思うけどな。お父さんもお兄ちゃんも案外気付かないかもよ」
「ありえません」
カゲちゃんの目に真っ直ぐ見つめられるとちょっとどうしようか困る。だがここが自分にも、カゲちゃんにも人生の分岐点だと思った。要は正念場だ。
「ちょっとおちゃらけた感じで接すれば大丈だって。バイブス上げてこー、って言ったらウェーイって返事してくれるよ、みんな」
「シロ様」
「あー、怒らないでよ。私は単純にみんなの影武者としての力の向上とか、そういうのを見てみたいと思っただけでさ」
「・・・私達はシロ様に仕えることを至上の喜びと存じております。しかし、私たちの役目はシロ様の安全を守ることです。この部屋を抜けるなど、城内を脱走しようとする試みは未然に防がねばなりません。どうかご再考を」
「うーん、私がいてもいなくても変わんないと思うんだけどなー。お父さんとお兄ちゃんがいれば国は割と安泰だし」
カゲちゃんの顔を見た。今日こそは逃さないといった表情だ。私が逃げるたびにメイド長に叱れる気の毒だとは思うけど、これで好転すると思うんだよなぁ。
それに・・・。
「暇すぎなんだもん」
「もん、ではございません」
「ももんが、もん」
「頬を膨らましても駄目でございます。遊び相手なら私たちが努めさせていただきますから」
横にいる影武者2号ちゃん、影武者4号ちゃんもそれに倣い頷いた。
正直、こういう遊びにはうんざりしていた。
「えー、またボードゲーム?」
「はい・・・そうなりますが」
机に置かれたボードゲームの残骸を見た。
今まで散々、この子たちとボードゲームに勤しんできた。
手を替え、品を替え。戦略性の強いゲーム、運要素の強いゲーム、多面打ちなんかもやってきた。
しかし結果として、私は一度も負けなかった。一度でも負けると危惧したことさえなかった。
カゲちゃんが「一度でも私たちが勝てれば城外に出ないでください」と言われ、粘り強く勝負してみても引き分けることすらなかった。
百戦百勝。もうこんな遊びはうんざりなのである。なんとなく不毛だと思ってたし、普通に苦痛を感じるレベルだった。
カゲちゃん弱すぎ。
「絶対、私が勝つやつじゃん。面白くないよ、なんならボーッとするより苦しむやつだよ」
「で、ですが。私も前より強くなっている自信がございます」
「カゲちゃんがどれだけ強くなってもボードゲームで私には勝てないよ」
そういうと、私は式典の時間が迫っているのを感じた。
時間があんまりない。
私は部屋を見渡した。化粧道具に衣装、香水、装飾品。着飾る道具が、ここには揃っている。見る人が見ればここはお宝の山なんだと思う。
でもここに私の欲しいものは無い。
私の嫌うものだけはある。
心苦しいが意を決した。
私はカゲちゃんに近寄り、その細い腰を抱きしめた。
「カゲちゃん、いつもありがとね」
「シロ様?」
困惑するカゲちゃんたち。細くて柔らかい腰を腕で包む。この先の行く末を、少しだけ憂いた。
ただこの子たちが不憫だと思った。
私の身代わりになるためだけに、この城に集められた子たち。
ある人は心の底から嫌がるだろう。自分の名前と家族を捨てることに抵抗する人もいる。
しかし、ほとんどの場合違っていた。全員が全員、私のことが好きだった。私という存在が、天使という存在が、人々に無条件に愛されている。
それが嫌いだった。贅沢な話かもしれないが、私は無条件な愛を嫌っていた。
理由が欲しかった。愛される理由が欲しい。私という存在がみんなを束縛しているようで嫌いだった。
「もっと嫌ってもいいのにね」
「・・・シロさま?」
それと同時に、私は理由なき殺意を嫌っていた。
「カゲちゃん」
私はカゲちゃんの体から離れた。そして呆気に取られているカゲちゃんたちを置いて、数歩だけ横にそれた。
「これからのこと、よろしくね」
私は口角を上げて笑った。
鉄くずを落としたような音が、私の手から鳴った。
「怪盗シロちゃんは、脱出を試みます」
私に手に握られていたのは、この部屋の鍵だった。
「シロ様ッ‼︎」
私は、カゲちゃんの掴みかかってきた腕をかわして、扉へと向かう。
この部屋の作りは他と違い、部屋の内側に錠がついていた。だから鍵を使って扉の部屋を開けないと外に出られない仕組みだった。私を閉じ込めるために改修された部屋だ。なんとも恐ろしい。
鍵を使わなくても扉を開けることはできるが、カゲちゃんを抱きしめた時についでだと思って鍵を拝借させてもらった。
ドアへと直進し、そのまま鍵を錠へと差し込むと、すぐに回転させた。
常人には理解できないふざけたスピードだった。
後ろから追いかけるカゲちゃんたちも、これには間に合わない。
すぐに扉を開けて、そのまま廊下を直進した。カゲちゃんたちは影すらも踏めない、影武者なのにね。
「衛兵ッ‼︎誰か来てッ‼︎」
カゲちゃんは叫んだ。
私はそれに構わず、出来る限りのスピードで廊下を駆け抜けた。