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過去話③ 「過去の日常」

 三ヶ月前までは普通だった。村も、家族も、私も。何も問題なく暮らしていた。

 三ヶ月前まで農村での生活が私の日常だった。


 朝は集会所でパンを焼いて、昼は織り機を使って布を作って、夜は刺繍をして暮らしていた。

 たまにやってくる休みの日は父に連れられて街に行き、街で開かれる即売市で刺繍や布を売って、帰りに蜜菓子を買ってもらった。


 父、母、兄、妹。全員とそれなりに仲が良かった。

 不満なんかもあったけど、今考えればあまりに贅沢な願いだったのだろう。

 好きな人もいたし、交際関係にもあった。


 隣街に住んでいる鉄の精錬所の若旦那だ。

 正直、自分には過ぎた相手だったと思う。

 酢いも甘いも織り交ぜた、これが私達の暮らしだった。


 好きとか嫌いとか、そんな感慨すら浮かばない。

 恵まれていることに実感すらできない自分にとって自然な場所。

 そこが日常であり、居場所だった・・・はずなのに。

 

 三ヶ月前。

 唐突な終末が日常を消し去った。


 それは流れ星のように私の農村に降ってきた。

 二体の鋼質有機体。それによって村は消え去った。

 建物は押し潰されて、人も物も土の中で息絶えた。


 村が潰された。


 破壊という破壊を受けて、集落という形はなくなった。

 人という人は建物と一緒に土と混ぜられ埋められた。

 私たちが暮らしてきた跡。築き上げてきた文化はその時姿を消したのだ。


 家にいた母と妹は家と一緒に潰された。

 村の外に出てた兄と父は今でも消息がつかめていない。


 私は井戸へ水を汲みに出掛けていたから、その異変に気づいてその場から逃げることは出来たが。

 自分だけが生き残ってしまったという思いに何度も苦しめられることになる。


 運よくバケモノも追ってこなかったため、自分だけは生き残ることが出来た。


 馬や馬車はない。


 お守りだけを身につけて、着るものさえ満足にいかないまま私は隣の街へと向かった。


 恋人に助けを求めて隣町へ向かって歩き出した。

 隣町に着いた時、言葉が出てこなかった。

 結果から言えばそこには何も無かった。


 何もかもが無くなっていた。

 恋人が営んでいた精錬所も、店も、家も。

 全てがぐちゃぐちゃにこわれていた。


 建造物が破壊され、燃やされ、土の中に埋まっていた。

 全てが破壊された後だった。


 天変地異。


 およそ人間には太刀打ちできない脅威。

 人類の上位種、鋼質有機体の出現によってこの大陸は一変してしまった。


 世界の終焉がやって来たのだ。

 一人ぼっちになった私は避難地に向かった。

 山で一人になっていたところ、街路に人の動きがあったの見て、そこに合流した。


 そこで出会った人たちは避難場所に向かっていたのだ。

 そこにあった避難所は数週間後に鋼質有機体によって破壊された。

 また逃げて、逃げた場所を破壊されて、また逃げた。


 何度も居場所を追われた。みんながみんなそうだった。


 誰もがこの争いに疲弊していった。

 避難先で牧師が言っていた。「これは天の采配なのです」と。


 神が終末を告げに来た。人が間違いを犯したためそれを正すためにやって来たのだと。

「バカか」と思ったし、その牧師に怒りを覚えた。


『みんなが死んだのは神の導きだ』とでも言うようだった。


「この裁きに身を任せなければいけません。私たちには不浄を浄化する責任がある」


 そう語っていた牧師は鋼質有機体の前足に踏み潰されて、あまりに呆気なく死んだ。


 最後まで神に祈りを唱えていたのを見ると、彼なりに本気だったんだろうと少しだけ感心した。

 もし鋼質有機体に殺されていなかったら私が彼を殺していたところだった。


 それだけ牧師の言葉は鼻に付き、私の倫理観は崩壊しつつあった。

 食べ物がない、住居がない、外はバケモノがいる。


 みんなが正気じゃいられなかった。狂気に駆られる人は少なからずいた。

 先ほどの牧師も狂っていたのだ。バケモノを神の使いだと誤認するほどに。


 バケモノが闊歩する世界で、人と人との争いが激化した。

 人はさらなる安全を求めて、人と争うようになった。

 食料を求めて、安全な住居を求めて人を襲うようになったのだ。


「身内が死ぬくらいなら、隣町の誰かに死んでもらう方がいい」そう考えるのが人の常だった。


 世界が壊れていくのを眺めながら、私は自分の持っている小刀を眺めた。

 皮で出来た鞘から刀身を引き抜くと、刃紋が脈打ち輝いているように見えた。


 その小刀は恋人からもらったお守りだった。

 彼は「高名な工匠による業物だ」と言っていた。

 そんな高価な物をお守り代わりに私にくれたのだ。


(胡散くさい・・・)とは思ったが笑顔で受け取った。


「この刀は鋳造じゃなくて鍛造で作ってある逸品でね」と目を輝かせながら彼は語っていた。


(何言ってるか分からん・・・)とは思ったが、彼が嬉しそうに渡して来たので、私も嬉しくはあった。


 そんな小刀が私を正常に繋ぎ止めてくれている鎖のようなものだった。

 こんな戦争が起こる前の平和な日常。それを思い起こしてくれる過去の産物。


 この小刀を見ると過去の自分を思い出し、今いる狂気の世界にのめり込むのを救い出してくれる。

 自分が狂気に駆られないために不可欠な心の柱。

 

 小刀を眺めてくると自然と涙が出た。

 思い出していると何も考えずとも流れてくるのだ、あの平穏な日常を。

 この涙は自分が正常である証明のようにも思えた。


 人間性が欠如したら涙なんてもう出ないと思ったからだ。

 そんな日が続いた。


 「安全な場所がある」その言葉を半信半疑で聞き入れながら、この砦にやって来たが、結果は最悪以外の何物でもなかった。


 避難民として私は受け入れられたが、数日の安眠の後、またしても鋼質有機体が空から降って来た。


 砦に築かれた岩の防壁も、丸太で作られた建物も、何もかもが崩壊した。

 

 雄叫びのような悲鳴が集落を覆っていた。

 半年前では信じられなかったであろう、本当の人の絶叫。声の限り叫び続ける人間の恐怖。


 燃え盛る集落、崩壊する城壁、泣き叫ぶ人々、暴れ回るバケモノ。

 熱い。この場にいたら焼け死ぬ。


「生きないと・・・」


 まだ死ねない。まだ生きたい。

 狂っていたら出てこなかった言葉だった。自暴自棄になっていたら吐けない言葉だった。


 だから私は生きている。今もこれからも。

 行きたい理由が具体的にあるわけではない。


 しかし、死にたくない。死にたくないという気持ちだけが生きたいと思う理由だった。


「うぅぁ・・・」


 声を振り絞り、足に力を込めた。

 火の手が上がっていない農場に走り出す。

 何度だって逃げて来られたのだ。


 今度だって生き延びてみせる。

 燃える集落を後ろに、息が切らしながら走り切る。


 足が地面にめり込んだ。

 土の柔らかい感触。農場へと飛び出すことに成功した。


 燃える物のないこの場所では火の手が迫ることはなかった。

 あとは農場を抜けて、山を降ればいい。

 

 これから辿る逃走経路を考えていた時だった。

 自分の中に違和感を感じ取った。

 それは周りを見て確信に変わる。


「はぁ・・・はぁ・・・」


「みんな大丈夫か?」


「手当ては逃げた後でいい。今はとにかくここから離れるぞ」


「バケモノから距離をとれ!」


 周りに人が多く集まっていた。

 火の手から逃げて来たのだ。全員が火の気のないここを目指すに決まっている。

 集落の生き残りは全員がこの農場に集まっていた。


 人が集まりすぎだ。まずい・・・。


 瞬時にこの場の危機を察知したが、もう遅かった。

 空から流星が落ちる。

 爆音と共に、農場は吹き飛ばされた。


 土が波のように飛び上がり、煙が立ち込める。

 鋼質有機体が空から落ちて来たのだ。

 まるでここに人が集まるのを見越していたかのように。


 鋼質有機体が農場に飛来した衝撃で、私は農場の外に吹き飛んだ。

 ざらりとした地面の感触が頬を撫でる。

 

 全身の皮膚が痺れ、指一本動かせない。

 視界が擦れて、意識が朦朧とする。

 運よく直撃を免れたが、それでも体を激痛に襲われていた。


 腕が痛みで動かなかった。見ないでも分かる、もう折れていた。


「あっ・・・」


 恐る恐る、自分の体の被害を確認する。

 そして見たことを後悔した。


 自分の腕から骨が見えるのだ。

 折れた骨が肉を突き破って外へと出ていた。


「うぅぅぅ・・・」


 自分は運がいい方だと思っていた。

 今まで逃げてこれたのだから、今回も逃げれるだろうと思っていた。


 しかし、それは勘違いだったようだ。

 

(・・・あ・・・死ぬんだ・・・私)


 痛みが全身を駆け巡っているのに、ひどく冷静だった。

 思考が鋭く研ぎ澄まされている。

 余命の短さを哀れに思った神様がくれた贈り物のようだった。


(ここで・・・終わる)


 唐突なことではない。

 死んでいく人は周りにいくらでもいた。

 今度は自分の番、それだけのことだった。


 なんて顔をすればいいのか分からない。

 痛くて体も動かせない。

 鋼質有機体が倒れている人を足で踏み始めた。


 さっきの衝撃で倒れている人達。

 そんな瀕死となっている人々に確実な死がやってくる。

 瀕死となっていれば見逃されるなんてことはなかった。


 鋼質有機体に死んだふりは通用しない。


「・・・っ!」


 遺言すら残されず、倒れている人たちの体が踏み砕かれていった。

 一人、また一人と。鋼質有機体はその足を止めることはない。


 グシャリグシャリと熟れた果物のように。人の体が破裂していく。

 ゆっくりと、しかし着実に近づいてくる鋼質有機体というバケモノ。


 逃げ出すという選択肢はない。

 自分に残されたのは、ただ座して死を待つことだけだった。

 冷たい土の感触を頬に触れながら、私は鋼質有機体を見ていた。


(バケモノ・・・大きな虫のバケモノ)


 思考だけは鈍らずに出来ていた。

 それはあまりに残酷な現象だった。自分が死ぬ感触も、恐怖も、鮮明にしながら自分は死ぬのだ。


(あぁ・・・ダメだ)


 倒れていた人の一人が起き上がり、鋼質有機体に背を向けて走り出す。

 その動きを察知した鋼質有機体は、腹の中から大砲を突き出した。


 鋼質有機体は腹の中に大砲を持っているのだ。人間が作るものより遥かに精巧で複雑な大砲を。


 ガガガガガッっと何重にも重なったような砲撃音が鳴る。

 鋼質有機体はその走り去る人間の背に向けて鉄屑を浴びせる。


 それに直撃した人は上半身と下半身が分離し、肉塊となって地面に倒れた。


(逃げてもダメ・・・)


 ガンッ、と。鉄と鉄がぶつかる音鳴る。

 爆裂音と共に鋼質有機体の体が揺れた。

 それは何度も見たことがある光景だった。


 砦の城壁から放たれた砲弾が直撃したのだ。

 誰かが打ったのだろう、大砲が鋼質有機体の体に直撃した。

 そんな攻撃はもう三ヶ月前に人類が何度も行っていることだった。

 

 大砲による榴弾の直撃。

 それは鋼質有機体にとって脅威とはならない。

 鋼質有機体の体はススで汚れ、少しだけへこんだ。


 それで終わり。


 大砲による攻撃など、なんの解決手段にもならなかった。

 鋼質有機体は自身に向けられた攻撃を受けきり、そして鉄屑によって反撃した。


 視界の後ろから人の悲鳴が聞こえる。

 悲鳴の主人は大砲を撃った人だろう。

 心優しい人だったと思う。踏み潰されていく人間を見捨てられないぐらいには。

 

(攻撃してもダメ・・・)


 あたりを確かめるような動きをした後、また鋼質有機体は動き始めた。

 自分の作業を思い出したように、人の体を踏み抜いていく。


(全部・・・ムダ・・・)


 何も成果をなさなかった。あのバケモノに対して有効なものは何もない。

 毒も罠も効かない。

 真っ当な攻撃手段など一切受け付けず、隠れることすらままならない。

 

 人類は死滅する。

 遅かれ早かれ、これからの私のように。

 踏まれて、焼かれて、切り刻まれて殺されるのだ。


(いやだ・・・)


 死ぬのは嫌だ。

 だがここで終わるのだ。

 私という存在は死滅する。


 今までたくさん見てきた死体の一体になるのだ。

 過去を語ることも、未来を見ることも、もう出来ない。

 何を成すことの出来ない死骸と化す。


「やだ・・・」


 それが怖くてたまらない。

 もっと親身に宗教を学んでおけば良かったなと思う。

 死後の世界をもっと学んでいけば良かった。


 あのイカレた牧師のように、これを救いだと思うことが出来たら、こんなにも苦しむこともなかっただろうに。


「いやだ・・・」


 父と兄の安否も確認できていない。

 恋人に返さなければいけないものがある。

 死にたくない。まだ、この世界を見ていたい。


 こちらがどれだけ願おうと執行者はゆっくりと近づいてくる。

 鋼質有機体が地面を踏むたびに地面が揺れ、頬に触れる砂利が肌に食い込む。

 何もない、自分にできることなど願うことしかないのだ。


「おねがい・・・」


 願えば死ぬことを避けられるのなら、どれだけ良かっただろうか・・・。

 鋼質有機体の足は止まらない。死ぬことは避けられない。


「・・・しにたくない」


 自分の番が来た。隣に倒れていた人は鋼質有機体の前足に潰された。

 次が自分だった。


 今から私は自分の内臓を外側に漏らしながら死ぬのだ。

 ただ無情に、羽虫のように。


 そして鋼質有機体は、こちらに振り向き。その前足を高く上げた。

 時間がゆっくりになるのを感じた。

 時間の進みが遅くなる。


 それは自分の死に合わせて集中したことによる錯覚のように思えた。

 最初は自分が集中しているからこそ、自分が見ている風景が遅くなっているのだと思った。


 実際に鋼質有機体は前足を振り上げたまま、止まってしまっている。それは自分の集中力がなした技だと思った。


 それが間違いだと感じたのは、鋼質有機体の頭が回転したからだった。


 どこかを見つめるように。

 まるで私に興味をなくしたかのように、その前足を止めた。


(なんで?)


 その問いに答えるように、一人の人間が姿を現した。

 ゆらゆらと揺れるその姿は間違いなく人のものだった。

 

 鋼質有機体の後ろ、農場のその先に、白い大男が立っていた。


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